第32話 仮面を被った天才達

部屋のセットが作られたスタジオの中、多くの撮影スタッフがカメラをセットし、合図を送り合って確認した。そしてメガホンを持った男がガラガラ声で言う。

 「それじゃあ、本番行きま〜す。はい3、2、1...」


...今から7年前、役者界で一人の鬼才が現れた。特に演技経験もない一人の男が、有名な演劇作品の主演キャストにいきなり抜擢されたのだ。その男は感情の溢れる表情と、役を憑依するような大胆で見事な演技スタイルで一躍世界でも有名人となった。そうしていくつもの役を完璧にこなすその姿から、いつしか彼は『百化の道化師』と呼ばれるようになった。その男の名は、レオン・パーソン。まだ俳優として青二才な青年であった。


 「...はいカットー!いや〜今のも素晴らしい演技でしたねレオンさん。このまま後の撮影も頼みますよ?」小太りの眼鏡監督が、汗ばむ白シャツをはたきつつもニコニコとしながら俺に話しかけてきた。きっと俺の演技で今回のドラマのヒットを確信したんだろう...下心が本当に分かりやすいオヤジだ。お陰で元々なかった演技する気力もさらに無くなってきた。...そうだ、少しおちょくってみるか...!

「まぁ...気分が乗ったらですけどね。別にこのドラマなんかどうでもいいし。まぁ、話題になったしもう十分じゃないすか?あ...まだ時間あるじゃん。そんじゃ、次の撮影まで少し楽屋で休みまーす。」

「えっ、えぇ...う、う〜ん...」俺はクスクスと笑った。本当に分かりやすいジジイだな。ショックの受け方が幼稚だ。まぁいいか、もう少しおちょくってから撮影に行くかな?


 この時のレオンは、自身の才に自惚れていた。「自分がこの業界で最も演技がうまいというのを自他共に認めてくれている。演技に関しては誰にも口出しされない。」と考えていた彼の行動はまさに縦横無尽であった。無論、その暴挙を止める事は監督やマネージャーでさえ出来ず、周りからは自然と避けられていた。しかしそんな中で、彼はもう一人の天才と出会う事になる...


 「ねぇ、レオンさんって言うんですか?あなた、今回のドラマでは私が演じてる主人公の昔からの友人ですよね?その...なんというか、アドリブが多すぎて上手く対応が出来ないんですけど。確かに、アドリブにはリアリティが増すメリットはあります。でも、あまりにも突拍子も無いアドリブは演技の崩壊です。せめて私にアドリブをやると、一言伝えて下さい。」

 現場のセットをスタッフがスタジオを準備している時に生まれる俺の大切な休憩時間に、俺はこのドラマの主役を演じている女、穂乃田彩理ほのだあかりに釘を刺すようにそう言われた。今まで演技について文句を言われたことがなかったので、十数年も子役から女優として下積み生活をしていた凡人の彼女に文句を言われたことに俺はイラッときた。そして自分の抱いていた彼女への不満を、その女に全てぶつけた。


「は?何だって?そんなの、お前の演技が下手くそなのが悪いんだろ?そもそもな、お前に言わないでやるからアドリブなんだろうが。教えてたらそれはアドリブじゃねぇよ(笑)。...今ここで正直に言ってやるがな?お前のやってる演技には華というか、盛り上がりが全くないぜ。もっとこう...主人公としての輝くヒロイン感があったらなぁ〜...そんなフニャっとした演技じゃ、主役をやってる意味ねぇよ。脇役のエキストラの人と交代したらどうだ?w」長々と文句をいうと、彩理は諦め混じりの深いため息をついた。


「はぁ〜...そんな感じで考えていたんですか。全く...あなた、このドラマの内容を上澄みだけしか分かってないんですね。ドラマを作る主要キャストならば、ドラマの内容を自分たちの感じた記憶として役に落とし込むのが普通です。そうした方がキャラの印象、イメージ、感情...その全てにおいてリアリティが出るんです。幼稚園のお遊戯会がしたいのなら、あなたの言う通り盛大にはっちゃけてもいいですけどね?」その上から物言う態度に、俺はさっき以上に怒りが湧いた。

「何だと...?お前、長くやってるからって随分といい気になってやがるな...?」怒りで暴言を吐く寸前の所に、新人の撮影スタッフがやってきた。どうやらセットの準備が出来たらしい。次に撮るのは主人公と友人で久しぶりに遊んでいる所に主人公の彼氏が現れて...という、よくある修羅場のシーンだ。


 「ふん...そんなに自分の演技に自信があるなら、是非とも参考にさせてもらいたいね〜?」やや挑発的に声を上ずらせて言ってみた。しかし、彼女はそれにまた嘲笑うような笑みを浮かべて言い返した。

「良いですよ、是非参考にしてみて下さい。きっとあなたも驚くはずですよ?」まだ生意気な事を言ってやがる...まぁいい、この演技が下手くそだったらボロクソに言って、この女の弱いプライドをズタズタにしてやる。俺はそう思っていた。


 しかし、その考えは撮影を重ねるにつれてみるみる消えていった。彼女の演技は、普通の一般視聴者から見れば平凡な女性の姿の様に見える。が、近くでそれを観てみると段々と彼女の演技の凄さに気がついた。その演技には、自分にはない、リアリティのある曖昧で無限な感情表現、そこから広がる想像の数々...溢れんばかりの技術と才能が彼女にはあった。それはもはや自分の考える『演技』なんかではなく、かつて実際に体験した『素』の経験をその時のまま再生しているかのようであった。俺は何度も「今回はたまたまいい演技だっただけだ。次回はきっとボロが出る...」と言い聞かせた。だが結局このドラマの撮影が全て終わるまで、彼女の演技のボロを見つける事はできなかった。俺は初めて、役者としての、演技という物で負けたのだ。


 クランクアップの後、一人スタジオの裏で悔しがっていると、そこにあの彩理が現れた。俺は歯を食いしばりながら言った。

「...何だよ、俺に情けの言葉でもかけにきたのか?いらねぇよ...そんなもの...」すると彼女は首を傾げながら言った。

「え?待って待って、何で私があなたに情けの言葉をかける必要があるのよ。クランクアップしたから挨拶しとかないとって思っただけよ?」

「は?何いってんだよ...俺はお前の演技に、全く敵わなかったじゃないか!流石に白々しいぞ、その演技。」そう言うと、彼女は吹き出し、突然大声で笑い出した。恥ずかしくなった俺は、顔を赤く染めて言う。


「な...何笑ってんだよ!おい、笑うんじゃねぇ!」

「アハハッ!!いや〜...なんか勘違いしてるみたいね。別に私はあなたに演技で勝負してたわけじゃないわ?私の持ってる、演技のポテンシャルを認めてほしかったのよ。別に私は、あなたのダイナミックな演技が嫌いなわけじゃないわ。だって、それがあなたの演技のポテンシャルなんだから、私が否定するわけにもいかないでしょ?」 俺はその彼女の言葉に絶句した。俺は今まで、他人を認めるという事をしなかった。『正しいのは、いつだって自分。』そう思ってきた。だが、彼女のその言葉の裏にある数々の経験と、他人を認める事ができるその寛大な心に、俺は自身の今までの行いの恥じらいを感じた。


 「まぁでも、私の演技のポテンシャルに気付いたって事は、あなたも私のことを認めてくれたって事でしょ?それなら、あなたも十分に成長したと思うわ。これからもよろしくね。レオンさん」彼女はそう言い、花束を抱えながら右手を俺に出してきた。やっぱり、この女に俺は負けていた。

「...っち、やっぱり俺の負けだ。...これからもよろしくな。彩理さん」

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