第41話 報われない努力
...〜今から三十年以上前の事、この世界はまだ1つの政府で統一されておらず、多くの国や集団が、自分たちの領土を多く得るために日々戦いを各地で繰り広げていた。そんな戦乱の時代の中、山奥の村の小さな道場で二人の若々しい男性が竹刀で剣術の稽古をしていた。これは、若かりし頃の仙八一角の、淡く儚い過去の記憶...
「おらっ!」私は竹刀を大きく振りかぶり、縦に一閃、振り下ろした。その竹刀は面を被っていた相手の頭に沿って大きくしなった。
「グェーっ!!ダハっ!痛た...ははは!全く、一角は強いなぁ。これで俺、累計で何回お前に負けたのかな?」2本の竹刀を持つ男が私の攻撃に倒れて言った。面を外す彼は私の幼馴染の
「私の5371勝、1敗、2引き分けだ。お前もこれからはちゃんと剣の道を極めるんだぞ、十針谷。今の世の中では、強き者が弱き者を統べて支配し、優位に立てるのだ。国を守り、家族を守る...その揺るがない大黒柱として、それぐらいの事はしておくのだぞ。」
「はいはい、分かってるって...お前は俺のオカンかよw」私達はそう言いながら、自分の竹刀の手元を拭いた。何十年も使い古した私と十針谷の竹刀には、今までの苦労と努力が、拭えない黒いシミとなって現れていた。
「...それにしても、妻の
「うん。ついこの前、遠くの町の病院からやっと退院してきたんだよ。娘の
「そうか。それなら、お前がミシン帝国の護衛兵になったのもあの二人は喜んでくれるだろう。これからは暫しの別れか...十針谷、今度会う時は互いに強くなって会おうな!!」私は村を出る彼の背中を見て、そう言った。彼は特に何も言わず、ただ手を上に挙げて答えた。夕日に輝くこの光景を、私は後に何度も思い返すことになる...
...それから二年後、私は近くにあったトラスト王国の騎士団に招待されて入団した。その時、隣同士のトラスト王国とミシン帝国は領土などの問題で、一触即発の際どい均衡を保っていた。そんな最中、トラスト王国の国王に突如、隣国のミシン帝国から名指しで殺害予告が飛んできたのだ。国王は私を急遽宮殿に呼びつけ、護衛の勅命を下した。
「仙八一角、お前の巧みな剣術の腕を見込んで頼みがある。今宵、私を暗殺しに来るであろうミシン帝国の刺客を返り討ちにして欲しい。これは指示ではない、命令だ。...出来るな?」
「はい、私のような者にお任せいただき、感激うけたまわります。その刺客、私めが粉骨砕身、命を賭けて倒させて頂きます。」私はそう、自信満々に国王に告げた。その目にはまだ、この後の地獄を知らぬ、幼い輝きがあった。
そして日は沈み、月が明るく地面を照らすその日の夜、私は王宮の国王の部屋がある回廊を一人で待ち伏せしていた。大きな振り子時計の連続して響く音を聞きながら、私は全身の感覚を際限まで研ぎ澄ましていた。そうして時間は刻々と過ぎ、月が最も天に昇った頃になった。すると突然、一人のフードを被った人物が回廊の窓を割って中に入ってきたのだ。その時はフードと夜の暗闇に紛れて、その人物の顔を見ることは出来なかった。
「っ!フードについたその赤い針と白い布の紋章...お前が国王を暗殺しようとするミシン帝国の刺客だな?だがここから先はお前の息すら通さん。この剣士、仙八一角が相手になろう!」そうして背中から長い大太刀を抜くと、フードの人物はそれに合わせるように2本の短刀を取り出し、そして有無を交わさずに素早い刺突を私にしてきた。だが私にはその軌道が手に取るようにわかった。感覚が研ぎ澄まされていたのもあるが、それがかつての旧友、十針谷の太刀筋とよく似ていたのも関係していた。
「ふっ...それがお前の全力の刺突か。それでは国王を狩るには遅い!はぁ!!」私はその短刀の一本を自らの太刀で吹き飛ばし、よろけるそのフードの人物を一刀で袈裟斬りにした。その時、窓に掛かっていたカーテンが割られた窓から入った夜風になびき、そのフードの人物の顔が淡い月光によりあらわになった。その瞬間、私は全身の痺れを感じた。何故なら、その人物がかつて同じ釜の飯を食い、同時に一人の女性を愛し、何十年も共に剣術を極めた親友の十針谷縫取であると気付いたからだ。
「なっ...お、お前、十針谷!?な、何故お前がこんな事を...お前は殺生などしないと、アレだけ口を酸っぱくして私に言っていたじゃないか!!」私は持っていた太刀を地面に投げ捨て、すぐに駆け寄って十針谷に言った。その時、彼の体を支えた私の手が、傷の血で赤黒く、そして生暖かくじっとりと濡れた。今の袈裟斬りは奇しくも、彼の急所を完璧に捕らえていたのだ。十針谷は血反吐を吐き、目から涙を流しながらも、私の目を見て真剣に言った。
「がふっ...し...仕方ないんだ...俺が、トラスト国王をやらないと、貴布や麻世が酷い目に合う...頼む...そこをどいてくれ。一角...俺らは...親友だろ?」その言葉に、私は全てを悟った。ミシン帝国の大臣は、度がつくほどに残虐な者だとは聞いていた。奴らは十針谷の妻の貴布が病弱である事を使って、彼を執拗に脅したのだ。人柄が良いが故、彼女たちを危険に晒すことを潔しと出来なかった彼は、その時に言われた悪魔の命令を、全て飲んでしまった。その犠牲の覚悟を私は、親友の痩せてボロボロになったその体を斬っても分からなかった...
感情が混濁している私の顔を見て、十針谷は残った余力で手を伸ばし、遺言のように喋りだした。
「...一角、お前...随分と、男らしくなったじゃねぇかよ。でも昔の頑固で意地っ張りな感じは、何も変わってないなぁ...」
「と...十針谷...、く、ぐぅ...!」その震えた言葉に、私は抑えていた涙を流した。それを見た十針谷は静かに笑った。
「ハハ...!おいおい、そんな泣くなよ。俺がしくっただけなんだからよ...」そう言った十針谷は、かすれた声で私に最期の言葉を告げた。
「一角...お前、あの時よりも強くなりすぎだろ...ぐっ...今ので...もう、体が限界だ、ぜ...」そう言うと、十針谷は伸ばしていた手を降ろし、そのままぐったりと私の腕の中で目を閉じた。床に広がった彼の赤黒い血を見て、私の頭の中は真っ白になり、胸がぐしゃぐしゃになるような感覚が、私を無数に襲った。
「...お、おい、どうしたんだ十針谷?起きろ、まだ約束は終わってないぞ!まだ...何も...」私は血まみれになり動かなくなった十針谷のそばで一人、膝をついて泣き崩れた。
「...村の結婚式の時、貴布を一生幸せにするって...お前が言ったんじゃないか...今度は強くなって会おうって...あの時に私と約束したじゃないか...!なんでお前は私との約束をいつも破るんだ...これだけは、破らないでくれよ...十針谷...くそ、なんで...何でだよぉおおお!!」その叫びは、広い夜の回廊に虚しく響いた。
その後の事は、あまりよく覚えていない。湧き上がった感情に溺れ、ミシン帝国の大臣とその護衛兵28人を彼の短刀で殺したが、最も親しき友人であり盟友であった男をこの手で殺してしまった残念と、この理不尽な世界へのやり場のない憎しみと怒りは、自分の死に場所とその戦いを求めていくようになった。その結果、仲間のトラスト王国の騎士団の数人、更には関係ない民間人をも殺害してしまった。そうして殺人鬼と化した私はいつからか、『悪夢の一角』として世界中で指名手配されるようになったのだ。
「...っ!お前は、誰だ...?刀を持っているな...?」そして、私は街をふらふらと彷徨い歩き、ある日一人の若い英雄に出会った。まだ若く、活き活きとしているその男は、戦いを求める魔物と化した私にこう言った。
「俺はキール・インフェルディア、五代竜の者だ。お前が無差別に人を斬ってるっていうあの『悪夢の一角』か?よ〜し、今からお前をここで倒させてもらう。これ以上犠牲者は出したくないんだよ。」
「『五代竜』?あぁ...あの新進気鋭で話題の英雄団か。っ...待てよ、お前のような強い者なら、この私を殺してくれるのか...!?ハ、ハハハ...!何という僥倖だ...頼む、この私を殺してくれ...!うぉおおお!!」
...私はそこで、初めて剣士との戦いで負けた。今まで剣術で負けたことはなかった。これが世界...こんなにも広いのか...無限に広がる黄昏の空を仰ぎ、ぼんやりと思いながら倒れていると、どこからか警備隊のサイレンが聞こえてきた。はは...そうだ、私は何人もの、無実の人間を傷つけ、無惨に殺してきたんだ。これが、この世界でおける私の罪の償い方なんだ。私は自らの犯した行動の数々を思い返した。
「...どうせ捕まった後は刑務所に死ぬまで幽閉なんだ。それなら、早い方が幾分いい。もう疲れたんだ...ほら、早く私を殺せ。(もう...悔いはないな...十針谷、すぐにそっちへ行くぞ)」そう思っていると、英雄の男は私に、持っていた刀ではなく、なんと手を指しのべてきたのだ。
「...はっ?なんだ...何の真似だ?」
「何って...そりゃ再戦でしょ。負けっぱなしじゃつまらないだろ?ほら、どうするんだよ。もう一回やるか?」その言葉に、私は昔の十針谷との稽古を思い出した。今の私は、あの稽古の時にいつも「もう一回、もう一回!!」と言っては私に倒されていた彼と同じなんだというのを感じた。十針谷は私に何度も何度も立ち向かってきた。力の差は歴然なのに、勝てるわけがなかったのに、彼は一度も諦めなかった。その瞬間、私の中に、『この男ともう一度戦うために、まだ死ぬわけにはいかない。』と言う決意がみなぎった。きっとあの時、十針谷が私に思っていた決意もこれだったのだろう。私の濁り、枯れきった目からは、湯水の如く涙が溢れた。
「良いか、若いの!今度会う時は、必ずお前に勝つからな。覚えておけよ!仙八一角、この吾の名前を...!!」私は警備隊に連れて行かれながら、紅い刀を持つ、まだ若い男に言い放った。
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