第2話
電車の中で書いてた短編ですが。
続きものにする予定だけど続かなかったら没です。
「胎児自殺」
生きることは恐ろしい、死んでしまうよりずっと恐ろしい。
生まれたときからあたしは胎児でありました。
そりゃそうでしょう。人間誰だって胎児から始めるんだ。なんて、そういうことではない。
あたしは胎児だった。
生を知り、性を知り、そして正を知る、それ以前から。
きっと誰もが言うのだ。それらしく、理屈ばった言い方で「お嬢さん、そんなのは当然のことなんだよ」と。
だけどもそれは違っていて。何一つ当たり前ではなくて、ひどい苦痛を抱え込んだブリキの像に由来する感情なのだ。あぁ、重くて苦しいブリキの像。
あたしはブリキの像。
ブリキの胎児。
今にも壊れてしまいそうな、無意味で無個性な生体模型。
あたしが目覚めたとき、世界は真っ暗だった。やっぱり嘘、なんだか赤かったような気がする。絶対そうだって断言することはできないけれど、多分赤かった。
真っ赤であたしに染み入った。
そして、あたしはその中でひとりうずくまっていたんだった。ひとりで、小さなあたしが。
世の中の人は、たぶんきっと言語を使って思考するのだけど、あたしは胎児だったからそんなことしないのよね。それよりもっと高尚で未発達で、抽象的な思考を繰り返していた。
あたしは誰?誰が誰で、何がどうなってここにいるんだろう。そんな風な言葉を形成前の状態でぐにゃぐにゃさせていた。ぐにゃぐにゃ。
粘土みたいにぐにっと形を変える思考。
上手く形を定められないで、思考はただそこにある。
そうなるとどうなるかって分かるわよね?
これって結構普通の感性だもの。林檎が落ちたら、「あっ、落ちた」って思うようなもの。その先は無いわ。
それで、あたしは思った。
「怖い」
全てが抽象で、完結しないまま、作りかけのままで放っぽりだされちゃった世界があたしの中心で。
あたしはその中で唯一実体を持った存在だった。
あたしだけ形があって、他は無い。
それはあんまりにもひどい恐怖だった。
あたしだけの形、あたしだけになってしまった領域。
唯一他と混ざり合えないあたし。
まるでファーストペンギンにでもなったみたいに。
世界にひとりぼっち、胎児のあたしは放り出された。
そして、あたしは自分が胎児であることを知った。
より正確には「胎児」ではなく、自らが、切り離されてしまった、自分を取り巻く不定形の何かとは別の存在であることを知覚した。
だから、もう駄目だって思ったの。
ねぇ、そういうときって確かにあるじゃない?
例えばテストの点数が過去最低だったとか、爪を深く切りすぎてじくじくして、もうこんな痛みに囚われるぐらいならいっそ。
なんてときが人生にはあると思うでしょ?
だからあたしは決意した。
戻ろう。
自分がまだ不安定で、どろどろの塊で満足できていた頃に回帰しようって。決意した。
きっと、自然な反応だったのよね。
極めて本能的で、最も原始的な欲求に基づいた解放をあたしは望んだの。つまり、ね。
要するに「こうなったらもう死ぬしかない」って思った訳。死んで、全てリセットしたいって感じかな。ううん、その頃は死ぬなんて概念すら理解できていなかった。だから。
最も近い言葉を探すと、そう。「消えたい」って思ったの。
やっぱり本能なのよね。
偶然なんかではなくて、最優先に定められた必然だったのかも。あたしは理解した。
それでこの、自分にくっついた何だかよくわからない長いものを首に巻こうって思った。
勿論、今じゃ何だか分からないってことも無いわよ。
つまり、それはへその緒だったのよね。
へその緒。植物の中に通る管とか、電気ケーブルみたいな役割を果たして、それはあたしに繋がっていた、文字通りの生命線。運命の赤い糸、なんて言うとロマンチックかしら?
まぁ、当時のあたしにそれが解ってたのかっていうと、勿論そんな訳無いんだけどね。でも、何かを感じ取ったあたしはそれを首に巻いた。巻いて、いつか来る終わりを待とうって思った。
だからぐるっと二周、何かの玩具みたいに本当に身動きの取れない体で何とか巻いたの。
絞めるところまではいけなかったけどね。
でも、こうすればいつか望みが叶うって、知ってた。
それから。それからそれから。
あたしは生まれる訳。産まれちゃう訳よ。
今までそれでも安定していた均衡がぐわあって崩れて。
あたしの首に巻かれたへその緒がぎゅっとしまって。
びかびかびかっ!って初めての光に瞼の裏を焼かれる訳。そしてあたしは押し流される勢いと共に意識が途切れるのを感じる。涙が出そうになったわね。待ちわびてたんだもの。この時が来るのをどれだけ待ったかしれないんだもの。
……馬鹿ね。今ここであなたとお喋りしてるんだから失敗したに決まってるでしょう?
あなたが死んでるってんなら話は別だけど。
ともかく、あたしはそうして一回目の自殺未遂を終えました。更に広がった世界はひどいところでした。
それだけよ。
続きはまた明日、同じ店の、同じテーブルで。
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