6-6 (終)

「……マーリア、かい」


 王子様が、わたくしの膝の上で目を開ける。その身体は、心臓を含めて既に半分以上が喪われ。そこに、わたくしと同じような鋼鉄の継当つぎあてがされている。


「あ、起きた。よかったー……」


 ベニーチカが、震えながら、涙を堪えながら、気の抜けた声を漏らしている。

 ……傍から見るのは、初めてだけれど。もしかして、わたくしの時もそうだったのかしら、と。ふと、そんなことを思う。彼女はいつも、こんなふうに。人知れず震えながら命に向き合っていたのだろうかと。


「……マーリア。君達の仕業か」

「ええ。わたくしと、ベニーチカが」

「あ、ど、どうも。くれない いちです。初めまして、王子様……」


 体液でグシュグシュになった顔を拭きながら、挨拶をするベニーチカ。


「……そうか。良い出会いに恵まれたようだけれど、もう時間はない。僕の命は、もうじき終わる」

「……そう。やはり、そうですのね」

「な、なんで……そ……そんな、そうだ、心臓! 炉心があれば……!」


 慌てて、摘出した炉心を差し出すベニーチカ。王子様は炉心それを受け取り、けれどその手を押しとどめる。


「僕は、僕達は、既に死んだものだ。束の間、生を夢見ているだけの怪人だ……だから、何も気に病むことはないんだよ。マーリア、優しい人」

「勝手なことを……っ! こんな、間違ったことをして」

「……ああ、そうだ。間違っていたんだよ」


 つい漏らしてしまった、わたくしの非難めいた物言いを。王子様は、それでも優しく受け止めて、言葉を続ける。


「マーリアは強い人だから。僕の助けは最初から必要ないと思っていた。なら僕は、他のものに優しさを向けるべきではないかと思っていた。けれど」


 そこで、王子様は初めて、後悔のような表情を滲ませた。


「……僕は、『彼女』が欲したものの一つに過ぎなかった。僕が何をしようと、彼女が満たされることはなかった。僕は、欲するものを間違えた」


 届かぬ星に、手を伸ばすように。王子様は、取り出された心臓を掲げて。


「せめてもの償いに。この心臓を、君に捧げよう」


 そう告げて。王子様は、事切れた。


「……こんな時まで、他人ひとの心配なんて」


 わたくしはもっと、彼を罵るべきなのだろう。そしてもっと、悲しむべきなのだろう。


「本当に……大きすぎる人」


 けれど、芽生えたのはそんな、妙に力の抜けた感慨だった。

 彼の愛は、わたくし一人に注がれるには大きすぎた。その愛の大きさが、疎ましく感じることもあったけれど。

 わたくしの膝の上で。王子様の身体が、燃え尽きた灰のように崩れていく。

 ……さようなら。非道ひどくて優しい、王子様。


「…………お嬢様、もしかして」

「……泣いてなんて、おりませんわ」

「何も言ってませんけど……」


 泣いている暇は、ない。もうすぐ、ヴァイスブルクの軍が王都に入ってくるだろう。それに……まだ、気掛かりなことがある。


『僕は、『彼女』が欲したものの一つに過ぎなかった』


 ……本当に、王子様とエルゼ、そしてシナル達が全て悪かったのかしら?

 駄目押しとばかりに、ベニーチカが口を開く。


「王子様の身体、改造されました……多分、童話怪人と同じ……それで、血統魔法を……」

「なんですって……」


 自分で自分を改造して? でも……

 そういえば、最初から違和感はあった。けれど、王子様が敵の可能性にばかり気を取られて、まともに考える余裕がなかった。

 残されたのは、一つの疑問。童話怪人たちは、なぜ、ベニーチカの世界の童話をモチーフにしていたのだろう?

 わたくしが、この身体になって出会った人々。シナルと雷霆勇者は置いておくとして。

 ベニーチカの力は、似ているけれど違うものだった。エルゼは、モチーフの童話を知っていたけれど、童話怪人を作り出すような力がなかった。

 そして……王子様は童話怪人の複製を作れたけれど、それはあくまで紛い物。その力を完全には再現できていなかった。


 ……つまり、この一連の陰謀には、まだ黒幕が居る。



  ◇


 王城の北、白雪の離宮の最奥。厳重に閉ざされたそこに、彼女は居た。わたくしが姿を目にしたのは、断頭台の一瞬だけ。けれど間違いなく彼女こそが、王子様の新しい婚約者。ホワイトと呼ばれたひと

 そして、ベニーチカと同じ……


「シロ……さん!」

「ああ、ベニーチカ。よく無事で」


 駆け寄ろうとする、彼女ホワイトから。


「……下がりなさい、ベニーチカ」


 わたくしは、ベニーチカを庇うように前へ進み出る。


「えっ……シロ、さん……?」

「それは渾名あだな須納スノウ ホワイト。こっちが、ワタシの本名。笑っちゃうでしょう?」


 ベニーチカが「き……キラキラネーム……」とうめいているけど、そんな場合でもない。


「……ベニーチカ。彼女が」


 わかっている。きっと、彼女ベニーチカももう、わかっているのだ。


貴女あなたが、全部の始まりだったんですか?」


 ベニーチカが、言葉の先を引き取った。

 シロ……いえ、ホワイトは、答えの代わりに傍らの寝台の布を剥ぎ取る。

 ……わたくしは、そこに横たわっているのが誰か、知っている。


「国王、陛下……!」

「えっ、あ……あれが⁉」


 王子様のお父上、行方不明だった国王陛下だ。全身がわたくしのような鎧に覆われ、童話怪人に改造されている。


「身体の改造は終わっても、このお人形は目覚めなかった。せめてもの抵抗のつもりなのかしらね?」


 彼女の目を、わたくしは知っている。人を人と思わない目。心を喪った貴族が、他者へと向ける目。


「ど、どうしてこんなことを……」


 相手を理解しようとするのはベニーチカの美徳だけれど。経験上、この目を向ける相手に道理は通じない。そもそも、相手を対等に見ていないのだから。


「ワタシは、この世界は好き。だけど、貴方たちは……嫌い」


 わたくし達が混乱と疑惑の目を向ける中、彼女ホワイトは誰へも届かぬ呪いを語り始める。


「理不尽に生まれて、理不尽に生きて。いろいろなものに、人に、仕事に、ボロボロのもみくちゃにされて。異世界に召喚された時には、やっとこれで、ワタシはワタシの人生を、思い通りにできると思ったのに……」


 語るさまに、怖気おぞけがした。彼女ホワイトの中には、「自分」しか居ない。よくある「自分が大事」、という身勝手ですらない。


「思い通りにならない王子様。ワタシの邪魔ばかりする貴族たち。そして挙句の果てに、いらいら邪魔な、同じ世界からの召喚者。ワタシは、ワタシの思い通りになる世界が欲しいだけなのに」


 そもそも、他人を人として見ていない。世の中のすべてを、漠然としたひとかたまりの障害物のように思っているだけ。誰かを思いやる気持ちも、逆に特定の誰かを激しく妬み憎む気持ちも、ろくに持ち合わせてはいない。いや……その余裕が、そもそもないのか。


「だから、ぜんぶ思い通りにしようっていうんですか⁉ そんな理由で……」

「勿論、そんな簡単にできるとは思っていない」


 やってはいけないから、ではなく。単純にの問題なのだ、と。彼女ホワイトはそう言っているように聞こえた。


「邪魔な婚約者とにんげんNPCを消して、『シンデレラ』の計画を使って貴族を傀儡かいらいにして蘇らせようとして、失敗して。ウザい王子様までうしなって。思い通りの世界を作るのに、ここまで、結構苦労してきたんだから。アンタ達のせいで……!」


 そうして、彼女は。八つ当たりのように、初めてわたくし達へと憎しみを向けた。


「この人……ゲーム感覚で」


 ベニーチカが、呟く。


『僕は、『彼女』が欲したものの一つに過ぎなかった』

『僕が何をしようと、彼女が満たされることはなかった』

『僕は、欲するものを間違えた』

 

 王子様の遺した言葉が、頭の中に響く。そうか、彼女は……そういうもので。王子様あのひとは、それに手を差し伸べようとして壊れてしまったのだと。ようやく理解が追い付いた。


「でも、……それで? どうなさいますの? ゲームはもう終わり。今の貴女に何ができますの?」

「……今は、ここから逃げることかしら」

「……逃がしません」


 ベニーチカが、彼女の前に立ちふさがる。


「どうか投降して頂けますかしら? 今なら、斬首ギロチンで済むと思うのですけれど。運が良ければ、わたくしのように生き延びられるかもしれませんわよ?」

「えぇ……」


 ベニーチカが横で凄まじい表情をしているけれど、これくらいは言わずには居られなかった。けれど、ホワイトはまるで意に介さず、寝台の王様に手を伸ばす。彼女の眼に、あかい光が灯る。


「あなたが壊れるまで遊び、壊れてからを愛しましょう。『壊死想ネクローシス・ロマンサー』」


 詠唱の型は少しことなるけれど、あれがホワイト異能チートなのだろう。その言葉に応えるように、王様がビクンとバネ仕掛けの人形のように跳ね起きる。


「国王陛下……!」

「普通の怪人と違って、自我はほとんどなくなってしまうけれど。少しは戦えるでしょう」

「あの、もしかして、あの『黒の花嫁』も……!」


 ベニーチカが呟く。わたくしの生身の首から下、なんだか格好いい名前が定着してしまっているみたい。


「王子様は、貴女を元に戻そうと取っておいたみたいだけど。意趣返しにやってみたら出来た。人間、努力はするものよね」


 国王様だった童話怪人が、わたくしに襲い掛かる。

 ……本当に、悪趣味。


「どうして、そうまでして、この世界に執着いたしますの⁉」


 執着とは、愛の一つの形だ。けれど貴女はきっと、他の何も愛してはいないのに。王子様の愛ですら、貴女には届かなかったのに。


「別に。ただ、そうしないと、釣り合いが取れないから。くだらないワタシの人生に、価値を与えてくれるには‼」

「……わたしと同じ、なんだ」

「全然違いますわ」


 そう呟くベニーチカの言葉を、陛下の攻撃を避けながら否定する。彼女ベニーチカは、他者をいつくしんでいた。歩み寄ろうと努力をした。色々な行き違いや悲劇はあっただろうけれど。愛される前に、まず愛そうとした。それが多分、僅かな、けれど大きな違い。


「人を思い通りにするには、改造してしまえばいい。国を思い通りにするには、陰謀を巡らせばいい。でも」


 彼女ホワイトの呪いは続く。


「この世界を思いどおりにするには。この世界にまかれた、在らざる力チートスキルの欠片を集めなければならない。それが、茨の女神様との……」

「……知ったことでは、ございませんわ」


 わたくしはとうとう、ホワイト妄言もうげんさえぎった。


「貴女が何を企んでいようと、何をしようと、どこの誰であろうと。もうおしまいですもの」


 王子様を倒し、調略を暴き、王城の敵をはいして、後は国王陛下を押さえれば。何もしなくても、この陰謀はもうじき終わるのだから。彼女はどのみちここまでだ。


「なら、貴女あなたはどうしてここへ来たの? 貴女あなたの王子様も、もう居ないのに」

「至極簡単なことですわ」


 復讐のため。正義のため。色々、言いつくろうことはできるだろう。どれも真実かもしれない。けれど、結局のところはシンプルだ。


わたくしは、アイアン悪役令嬢そういうものですもの」


 わたくしが、「そう在りたい」と願ったから。


「ええと……それで結局、はぐれ者の召喚者と……そっちは何? 生きているのか死んでいるのかすらわからない、壊れかけのパッチワーク? アイアン悪役令嬢? なにそれ。そんな二人だけで何ができるの?」


 彼女は、自棄やけになったかのように挑発的に囁く。彼女の操り人形おうさまが武器を構える。わたくしはそれを受けて立つ。


「ええ、大したことはできませんわね」


 だからわたくしは、大切な人たちを幾人も取りこぼした。この鋼のてのひらに残されたものは、他人ひとから見れば、もうちっぽけな欠片に過ぎないのかもしれない。

 けれど、


「精々が、この世界を救うことくらいしか」


 そう強がることが、高貴な血持って生まれた者の、そして、今のわたくしの務めなのだから。


「悪役令嬢……スマッシャー!」

 

  鋼の力が悪を砕き、城は炎に包まれる。

  女は、鉄の拳を握る。

  アイアン悪役令嬢の戦いは続く。




◇ 最終章『王子の章』 完◇

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