6-5

 お嬢様が絞り出すように、あるいは祈るようにそう告げた時は、わたしは本当にびっくりした。まるで、何もかも見透かされているのかと思うほどに。でも、


「それは……」


 できない、と。昔のわたしなら言っていただろう。

 童話怪人を元の人間に戻す。『ラプンツェル』と戦った時から、ずっと、ずっと、考えてきた。別の異能チートで作り変えられた人間を、わたしの異能チートで元に戻す。そんなことが、できるのだろうか?


 童話怪人の中身は、ぐちゃぐちゃだ。それはたとえるなら、こぼれた水を盆に戻すかのような。ばらばらに割れた花瓶を繋ぎ合わせて元に戻すような話だ。

 でも、ただそれは、「現実的ではない」というだけで。「全くの不可能」ではない。つまり、何か抜け道を見付けさえすれば、諦めずに進みさえすれば、辿り着くことができるということ。

 


 わたしは、わたしが嫌いだった。わたしは、わたしに価値がないと思っていた。それは前の世界でも、今の世界でも変わらなかった。だから、わたしは本当に、全力で、わたしの力の限界に向き合ったことはなかった。この力でどこまでのことが出来るのか、完全には突き詰めずにふたをしてしまっていた。

 でも、お嬢様が断頭台で命を落とす瞬間の、微笑みを見たあの時から。命を助けた、その時から。何かがゆっくりと変わり始めたのだ。こんな気高い人が、わたしのことをおもんぱかってくれるなら。もしかしたら、わたしは価値があるのかもしれないと。そう思えたから。


 けれどそもそも、どうして、この人は。断頭台の上で微笑んだのか。ずっと不思議に思っていた。けれど今なら、わかる気がする。

 あの日。あの時、この人は。世界に向けて微笑んだのだ。

 わたしを含めた、世界に向けて微笑んだのだ。

 自分でも、現金なものだと思うけど。これは好きとか、愛してるとか、そういうのとはたぶん違うけれど。


「……やって、みます」


 わたしは、この人のためなら頑張れるのだと。そう思えるから。



  ◇ ◇ ◇


 彼女ベニーチカに曰く。王子様を元に戻すには、完成図イメージが必要らしい。

 それは、人間だった頃の彼を知る私にしか思い描けない。

 だからわたくしは、過ぎ去りし日々を思い浮かべ、ただ、祈る。

 王子様の笑った顔、神妙な顔、はにかんだ顔。

 誰の話にも真剣に耳を傾けて、頷いてみせるところ。

 びっくりした時、瞬きをするクセ。

 疲れている時に、少しだけ笑みをこぼすところ。

 多くのものを喪ってきた。多くのものを取りこぼしてきた。

 もし、全てが取り戻せるのなら。どんなに素晴らしいことだろう。

 けれど。わたくしは、多くのものを貰ってもきた。身体も、在り方も、心すらも。今のわたくしぎで。それは、多くの人から譲り受けてきたものだから。

 そんなの割に合わないと、ベニーチカなら嘆くかもしれないけど。その天秤を釣り合わせ、傾かせるのは。他の誰でもない、これからのわたくしなのだ。


「最後は、一緒に」

「……はい!」


 差し出したわたくしの手を、ベニーチカが握り返す。そうして心の中で、ただ祈る。

 ……ずっと、口にしてはいなかったけれど。過去の清算が終われば、わたくしは死んでもいいと思っていた。死者は再び墓の下へ。それが在るべき姿なのだと思っていた。

 けれど、今は違う。わたしは、わたしのこの道のりに意義を認めます。ここまで成し遂げたことと、これから歩む道を、素晴らしいと思います。

 鋼の拳を、彼女ベニーチカの血が伝う。変生の異能を駆動させるための、最も強力な触媒。震えと、命の温度がてのひらに伝わってくる。まるで、この一時だけ、人間に戻ったかのように錯覚をする。

 鋼の右腕が、白銀に輝く。わたくしの腕に、彼女ベニーチカの力が流れ込む。


「えーと……構造解析、人体再現図固定、抗体アンチボディ生成。最終制御を、お嬢様に。『変生メタモルフォーゼ』・逆転インバート!」


 またたきの夢は、人の願いに。人の願いは、明日あすち得るために。わたくしける。

 わたくしの拳が、王子様に触れる。

 それは、時計の逆廻しを見るようで。王子様の鋼の鎧が砕け、ほどけ消えていく。

 けれど。王子様は、その腕を跳ねのける。


「それが、君の答えなのか。マーリア、否……アイアン悪役令嬢!!」


 血を吐きながら、王子様は最後の力を詠う。黄金錬成アルヒミー再結晶化リクリスタライズ


「金の盾……! それに、鎧が……!」


 王子様の最後の力。鋼の鎧の再構成と、盾の構築。エネルギーの全部を、防御に注ぎ込んでいる。

 黄金錬成の瞬間の地獄は、やはり鋼の体ならまだ耐えられる。けれど今のわたくしたずさえるこの力は酷く不安定だ。このままでは、間に合わない。この護りを、破れない……!


 その、一瞬。黄金の嵐が、わたくしかたわらを通り抜けた。



  ◇ ◇ ◇


 同刻、城の外。遠雷の轟く空の下に、は居た。


「……まさか、国の中枢から距離を取ってたのが仇になるなんてな……」


 どうか、あの人すべての嘆きが、報われますように。それが、あの王子が口癖のように零していたことだった。「あの人」というのは、特定の誰かではない。彼は、文字通りの全てに寄り添おうとしていた。

 それは、勿論。彼……雷霆勇者、サキミ・アカリも含めてだった。

 異郷より呼び出され、壊れ、国のために使い潰される召喚者達。そしてそれを狩る勇者の嘆きに、王子は誰より寄り添ってくれたのだと思う。

 だが、もしかすると。嘆いていたのは、他の誰かではなく。王子である彼自身ではなかったのか。ただ、それを表に出す自由が、彼には無かったから。他の誰かに託しただけではなかったのか。


 もしも、少しでも早く、そう気付けていたのなら。何かが違っていたのか? 彼が他の召喚者達のように、手遅れになる前に止めることができたのだろうか?

 あの鋼の悪役令嬢を倒すことができていれば、間に合ったのか? それとも、あの二人に倒されたから気付くことができたのか?


「まぁ少なくとも、コイツが使えてれば、負けるこたぁなかったんだけどよぉ……」


 今は、嘆いても仕方ない。前回の戦いは街中で、巻き添えを出すわけにはいかなかった。しかし、今回は城の中。おまけに既に半壊。その心配は無い。やっと回復した分の魔力も、これでからっけつだ。


「情報素粒子転用武装システム『ケラウノス』、制限解除……雷装らいそう奥義おうぎ・全開放・雷霆らいていけん。見逃された分の借りは返したぜ。後は気張りな……『ベニーチカ』!」



  ◇ ◇ ◇


 巨大な光の剣が、外の城壁ごと王子様を貫く。



雷霆らいていけん……これ、あのクソバカ勇者の最終奥義です! 巻き込まれると酷い目にいますよ‼」

「雷霆勇者の……」


 剣は放電のように無数に枝分かれしていく。リヒテンベルクの蛇。いや、稲妻でできた龍が王子様目掛けて殺到し、黄金の護りを溶かし食い破る。わたくしが戦った時の技とは、明らかに階梯レベルが違う力。


「……うわ、えっぐい……」


 ベニーチカが率直な感想を漏らしているけれど……あの時これを使われていたら、わたくしも大変なことになっていたのでは……?


「でもあの勇者、美味しいところを……!」

なげくのは後でもできますわ‼」


 進むべきは、今。わたくしは、再び拳を構える。

 盾は砕かれ、鎧が剥がれ、生身の肌がむき出しになる。わたくしは血塗れの掌を王子様のなかへ突き入れる。


「ぐ……あ……あっ」


 呻き声を上げる、王子様。痛いだろうけれど、少しは我慢して欲しい。


「ベニーチカ! 準備はよろしくて!」

「はい! お嬢様!! いつも通りの悪役令嬢パワーで、やっちゃってください!」


 この辺は帰ったらお説教しよう、と、いつも通りに考えながら、わたくししばし思いを馳せる。

 さて、そもそも、悪役令嬢とは何だろう。

 悪しき者。やがて破滅に至るもの。

 けれど、その形はひどくおぼろで。

 虚構であり、願いなのだ。

 つまるところかつての「わたし」は、それを。自由であるための覚悟なのだと思った。

 世界に疎まれ、悪役になってもいいという覚悟。破滅はめついとわず、先に進み続ける覚悟。その結晶が、悪役令嬢なのだと夢を見た。


『なら。我、『茨の女神』は。彼方へと旅立つ貴女に、この祝福チートを授けます。貴女が破滅の運命さだめの先に、望んだ未来を掴み取れますように』


 ……一瞬、何かが見えた。何のことかは、さっぱりわからなかったけれど。多分それは、わたくしの生まれる前の記憶。わたしがわたくし になるための通過儀礼。

 人の願いは、死を越えたところにある。破滅それが運命だというのなら。わたしは、わたくしは。今その運命の、先へ進もう。


「悪役令嬢……ディバイダー!!!」


 ベニーチカの力を受け、白く輝く拳が全てを割り、王子様の心臓……黄金炉心、元素転換炉を掴みだす。


「あれ……この、身体……」


 すぐに駆け寄ったベニーチカが、何かを呟いたのだけは聞こえた気がした。



  ◇ ◇ ◇


 王子様の身体をて、わたしはすぐにわかった。


「あれ……この、身体……」


 あ、これ、だめだ。

 お嬢様に託した力は、確かに機能した。

 けれど、元素量の辻褄が合わない。金属元素の比率が多すぎる。有機物が足りない。人間として再構成するだけの「材料」が、王子様の内側にはもうない。

 元素変換の異能を使っている時点で、薄々予想はしていた。一言でいってしまうのならば。王子様の身体はもう、死んでいるも同然だ。


 そう言葉にした途端、ひどい脱力感を覚える。わたしの力の本質は、無機物を生き物に組み込むこと。だから、周りから適当な有機物や炭素を取ってきて生き物の組織に作り替えて使う、なんてことも難しい。それができたら、最初のウルリケの時にそうしている。

 これが、わたしの異能チートの限界。

 ここまで来て、これで終わりなの?


 ……諦められない。あの人が、幸せにならないのは。そんなの、間違っている。何も手に入らないなんて、そんなの許せない。

 それは、あの人自身の価値観の問題じゃない。わたしの勝手な意地の問題だ。けれど王子様はもう、人間としては再構成できない

 ……でも、なら、人間じゃないものとして再構成するなら、できるのでは?


 目の前に、お嬢様という実例が居る。わたしには、ウルリケ達を改造し弄んできた経験がある。彼女達の構造なら、目をつむっていても解る。

 罪はなくせない。償えない。償えたとしても、なかったことにはできない。けれど、より良く生きるために。得たものを生かすことはできる。


「あきら……めない」


 指を噛み切る。触媒が足りない。血を流したせいで、眩暈めまいがする。身体から熱がうしなわれていく。けれど、それでも。それでも。

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