6-3

 お嬢様と別れた後、わたしは城の中をウルリケと一緒にける。

 あれは、違う。童話怪人を作る能力と、わたしの能力は似ている、とお嬢様は以前に言っていた。けれど、首無しで動くあんな生物として破綻したものは、わたしの力では作れない。


 この事件の中心に居る「誰か」の異能チートは、わたしとは別のもの。多分、結果は似ていても、根本が違うのだ。わたしの力は生物を操るもの。けれど、あのチートの本質は……一言でいえば、死者を操るもの。生きているように見えるだけの、人形に近いものなのではないだろうか。たぶん。

 生と死の境目は曖昧なもの。けれど、もし。敵が仮初かりそめでも「死人を蘇らせられる」としたら……。まだ、言葉にはできないけれど。すごく、凄く、まずい予感がする。

 ウルリケも、心配そうにえ声を上げる。


「……ウルリケも、なんだかんだお嬢様に懐いてたもんね……」


 ぐずぐずしている時間はない。あらかじめ、お嬢様に描いて貰った大まかな地図を見る。王城の北にある白雪の離宮、婚約者ならそこに居る可能性が高い、みたいなことを言っていたけど……


「……どっち……?」


 まずい。道に迷った。こっちだと思うんだけど……


「うわぁ、階段……!」


 眼の前には、長くて狭くて、おまけに一段一段が大きい階段が立ちはだかる。

 わかってはいた。わかっていたのだ。この異世界に……エレベーターなんて無いことは……!

 いや、なんか人力エレベーターなら大昔からあった、みたいな話も聞いたことがある気はするけど。少なくとも、このお城には無い。ただでさえ、敵に出くわすかも知れず、迷子になりそうなのに。でも、


「早く、シロさんを逃がして、お嬢様に合流しないと……」


 泣き言を零している暇なんてない。お嬢様は今頃、きっと。わたしの何百倍も大変な思いをしているのだろうから。



  ◇ ◇ ◇


 わたくしが辿り着いたのは、玉座の間。その本来の主である国王陛下は既に去り。そこに、今は一人の男が仮初のあるじとして座についている。


「ああ、マーリア。君が来るのはわかっていたからね。人払いをしたんだ。その方が、君も僕も都合が良いだろう」


 その声を聞いた時、不覚にも涙が出そうになった。

 とうに諦めていた筈なのに。もう、今のわたくしには関係のないことだと割り切っていた筈なのに。

 あれだけ色々なことがあっても。その姿、その顔は何も変わりはしていない。ただ、


「王子様も、お変わりな……く?」


 一つ、大きな違い。それは、王子様の頭に、大きなロバの耳が生えていること。

 けれどやはり、今までの多くの童話怪人たちとは違い……そして、エルゼと同じように当人の言動には特に変わりは無いように見える。

 そうしてわたくしを一目見るなり、王子様は玉座から立ち上がり、わたくしの前にひざまずいた。


「久しぶりだね、マーリア。いとしい君。あれだけの目に遭ったというのに、君の芯は何も変わらない。こんなことになって、お詫びのしようもない」

「おやめくださいな。王になる人間が、他人に頭を下げるなんて」

「否。君の前で、そのような体面に何の価値があろうか」

「そちらも、相も変わらずお上手ですこと」


 そう受け答えをしながら、


(ベニーチカ。頭にロバの耳が生える御伽噺に、覚えはあって?)


 わたくしは、「悪役令嬢テレパス」を起動する。言葉が届くよう念じる。


『はい、もしもし。ベニーチカです……。王様の耳はロバの耳、っていうそのまんまの童話がありますけど。あの童話の王様は、特に能力は持ってなかったよう……な……』


 もしもしって何だろう?


『あ……もしかしたら、もしかしたら、元ネタの方かも……?』

「なんですの?」


 思わず、声が出てしまった。王子様が不思議そうな顔で私を見る。


『ロバの耳の王様には、モデルがいるんです……ゴルディアスとキュベレーの養子、万物を黄金に変える力を持った、ミダス王……』

「黄金に、変える……?」


 そんな力があれば、国を豊かにする役には立つだろう。使い方によっては、経済を壊してしまえる、異能チートとすら呼びうる力。でも……戦いの役に立つとは思えない。けれど、なんでだろう。頭の中で、誰かが、なにかが、「それはとてもまずい」と全力で叫んでいる。


「なんだ、知っていたのか」


 王子様は、少しびっくりしたように後ずさった。


「ああ、その通り。僕の血統魔法。その力の名を、『錬成アルヒミー』とう」

「王子様もお人が悪いですわ。そんな力をお持ちなら、教えてくださればよかったのに」

「最近まで、自分でもよくわかっていなかったのでね。血統魔法は異能チートの残滓だ。だから、先祖返りすれば『原点』に近づく」

「先祖返り……」


 エルゼも、似たようなことを言っていた。血統魔法と召喚者の異能チートには大きな関わりがあると。けれど……そんなのは、わたくしも知らなかった。大貴族の当主、例えばお父様なら、ご存知だったのかしら?


「黄金を望んだ愚かな祖。国と民にとっての本当の宝は、そんなことではないというのに。しかし、その遺産である『黄金炉心』と血統魔法が揃えば、禁忌の領域に手が届く」


 血統魔法は異能チートの残滓。そして、王子様はその先祖返り。


「……まさか、『禁忌魔術』って」

「そういうことだ。桁外れの異能を持った人間は、放置すれば国を乱す。だから、先祖返りはそう呼ばれることもある」


 禁忌の領域。わたくしが嘗てかけられた疑い。「生物を作り変える魔術」と、「死者蘇生の魔術」の実験、行使。


『お嬢様、気を付けてください。多分、その力は死人を操る……』


 ベニーチカの声が、答えを告げる。


「黄金とは完全なるもの。故に、黄金を生み出す力とは、この世に完全を生み出すもの。すなわち……完全に至る途上のあらゆるものの存在を、生み出し許すことのできる力である」


 それはきっと、人の身体や魂でさえも。万物を生み出し、作り替えることのできる力。つまり……この力があれば、童話怪人だって作り出せるということ。


「そして、この力があれば、マーリア。お前を人間に戻してやれる。僕が王位を継げば、家のことも、全てを元通りにしてやれる。欠けたお前を完全にしてやれる」


 きっと、いつわりはない。あの人はいつもそうだったから。誤解はあったけれど、いつも真摯しんしだった。

 だから、その手を取れたら、どんなに幸せだっただろう。もし、この身体になって失ったものが、全て戻ってくるのなら。でも、


「折角のお申し出ですけれど。お断り致しますわ」


 でも、わたくしには、もうできない。失うばかりではなく、断頭台の先で得たものがあるから。わたくしは、この身体になって、初めて人の心を知ったから。


「……わたくしは。今が完全なのだから!」


 アイアン悪役令嬢。それが、今のわたくしの名前。

 ……だから今の私は、彼に向けて鋼の拳を構える。


「……そうか、残念だ」


 王子様の顔から、笑みがこぼれた。


「くっくっ……僕のやり方では、マーリアは救えない、ということか。とてもとても残念だ。だが……」


 そうして、歯車が外れたように笑い転げた後、何故かどこか安堵したような表情を浮かべる王子様。


「最後に、おうかがいしたいことがございますの」


 つとめて、笑みを崩さず。わたくしは問いかける。


「何故、わたくしを捨てて、あの娘と婚約されたのですか?」


 今更、この私はどうとも思わない。ただ、それがきっとマーリアという人間の最後の心残りだったから。


「彼女を救ってやれるのは、僕だけだと思ったからだ」


 傲慢で、けれど真摯な、いつも通りの王子様の言葉。

本当に、どこでどうして、歯車が違ってしまったのだろう。


「エルゼと共に、たくらんだのも……」

「……この国は召喚者を利用しながら、同時に排斥も続けていた。貴族も王家も、元は召喚者を祖に持つというのにだ。それを変えるにはうみを出す必要があった。それが彼女の願いでもあった」

「けれど、こんなさりようは……!」

「彼女がそれを望んだ。僕が玉座に座ることも、そのための道を、屍で敷き詰めることも。僕は、彼女の覚悟と嘆きに報いたかった。けれど、それも終わりだ」


 そういうことか。る意味では、陰謀の主犯はエルゼだった。王子様は、その願いを叶えるために、彼女に寄り添っただけ。

 ……王たる人間のすることではない。けれど、それは。傍らに置く人間を、願いを聞き入れる人間を間違えさえしなければ、正しい素質であったのかもしれない。

 もう、何もかもが手遅れだけれど。だから、わたくしは真っ先に狙われたのだと。そう理解した。


「では、今度は僕は貴女に寄り添おう。戦うとしよう。護るべきものを護るため。救うべきものを救うために。彼女達の嘆きに、報いるために」


 そう口にして、王子様は一冊の絵本を取り出した。表紙に描かれているのは……蛙の絵。


「その、絵本」

「ああ、エルゼから献上されたものだ。遊び相手を作る力、とか言っていたな……」


 今まで幾度も戦ってきた、カエルのような異形の兵士。エルゼの母親の力だったのか。


「遊び相手がこれだけでは、不足かな。『錬成アルヒミー』・劣化複製インフェリアー


 王子様の胸の部分が太陽のように輝く。その光に照らされた影が、人の姿を取って起き上がり、形を為す。


「これは童話怪人メルヒェン・ファントムの複製体。今はまだ、命のない影絵のようなもの」


 蛙の兵隊と、ずらりと並んだ、人の影。

 影絵の童話怪人。シナルの「髪長姫ラプンツェル」、アッシェフェルトの「狩人かりうど」、そして……「灰かぶり《シンデレラ》」。他にも、他にも。

 わたくしが葬り去った者達が、わたくしの脚を引き摺りにやってくる。 童話怪人の複製。随分と、悪趣味なことをする。王子様らしくもない。

 ……いや、それとも。


「彼女達にも。蘇りの機会がなければ不公平というものだろう?」


 わたくしが蘇った奇跡を、同じように怪人達にも分け与えたということなのかしら。それなら、王子様らしいのかもしれない。


「でも!」


 命のない人形だと解っているなら、こんなものは怖くない。


「悪役令嬢……ウインチハーケン!」


 放った鎖が、ラプンツェルの髪と交叉こうさする。


「悪役令嬢……スマッシャー!!」


 彼女の胸を、わたくしの鋼の拳が貫く。

 けれど、そのために足を止めたところに、複製された複数の「狩人」の砲撃が襲ってくる。なんだか数が多くありませんこと⁉


「悪役令嬢……サイクロン! スカートフレア!」


 けれど、あの攻撃は「いつどこから来るかわからない」から脅威だっただけ。見えてしまえば、避けられる!


「悪役令嬢……ツインスマッシャー!」


 あの時は身体の損傷と、後の黒幕を聞き出す尋問のために使えなかった技。

 拳が狩人の複製を幾つも貫通し、一斉に爆発する。

 その爆発を呑み込むように、炎の壁……否、ようてつの洪水が押し寄せる。


溶鉱炉シュメルツオーフェン


 赤熱した飛沫しぶきわたくし鋼鉄はだを溶かす。

 シンデレラの舞踏会に赴く途中で戦った、「もうひとりの王子様」。あの時は不意打ち同然に倒せたけれど、まともに戦うとここまで厄介だなんて。でも……!


「こんな熱で! 悪役令嬢インパクト! からの……悪役令嬢インフェルノ! グラップ!」


 腕を飛ばし、能力の出元である複製の「本体」の腕を掴み、溶かし握り潰す。血統魔法の遠隔発動、エルゼの真似事。

 溶鉱炉と言えど、わたくしの血統魔法、ヴァイスブルクの不死鳥の炎には及ばない。

 そして、その炎を凍てつかせるため、再び彼女がやってくる。

 ……童話怪人シンデレラ。エルゼ・アッシェフェルト。その複製。

 悪役令嬢スカートフレアを小刻みに発し、軌道をずらしながら拳を振るう。氷の剣と見えない蹴りを打ち砕きながら、距離を詰める。

 けれど……弱い。あの時の彼女の冷気ねつは、こんなものではなかった。


「……もしかして」


 童話怪人の力ではない、純粋な血統魔法の再現には……限界がある?


「ぐっ……!」


 額に氷の飛沫しぶきが掠る。流血が額からしたたる。考えている余裕はない。複製品でも、彼女は彼女ということ。嫌らしい動きをする。けれど、今ならば。


「悪役令嬢……インフェルノ!」


 打ち出した巨大な火球が、彼女の氷を溶かし、足を縫い留める。


「悪役令嬢……スティンガー!」


 ……そして遂に、わたくしの鋼の脚が、シンデレラ《エルゼ》の胸を貫く。ほんの一瞬だけ、吐き気がこみ上げる。それを押しとどめる。


「素晴らしい。まさか、ここまで圧倒的とは……なら、次は僕が直接相手をしよう」


 わたくしは、最後の敵を見据える。黄金の鎧を纏った、王子様。わたくしの、嘗ての婚約者。そして、今は家のため、国のために倒すべき存在。


「『錬成アルヒミー』・結晶化クリスタライズ黄金斧ハルバード!」


 彼は呪句を詠唱し、黄金の槍斧ハルバードを作り出す。力の行使に合わせて、心臓の辺りが明滅している。さっきの、童話怪人の複製を作った時と同じ……もしかしてあれが、黄金炉心?


「悪役令嬢……スマッシャー!!」


 今が、チャンスだ。あの炉心が恐らくは能力の核。炉心それを狙い、腕を射出する。

 わたくしの腕は、阻もうとする槍斧ハルバードを砕き、王子様の鎧の胸元を僅かに抉り床に転がった。そして……鎧に与えた傷が、瞬時に復元する。


「くっ……! 治癒まで使えるなんて」


 あの炉心とやらの効果か!


「どうした? 勇者さえくだした君の力は、そんなものではないだろう。それとも手加減をしてくれているのかい? 優しいマーリア」

「いいえ……! 王子様を相手に、そんな失礼なことは致しませんわ!」


 わたくしの性能も、これまでとは段違いに上がっている筈。王子様の戦いの経験は、然程は多くない筈。それでも、決めきれない。それ程までに、能力の桁が違う。


「なら今度は、僕の番だ。君が苦しまないように、一撃で虚無ゼロに戻そう」


 そう告げて。王子様は黄金のまりのような何かを手中に納める。それは、まるで生きた太陽のように光を放ち輝いている。


「このくらいなら、城を壊さずに済むかな?」


 あれは、まずい!


「悪役令嬢……サイクロン!!」


 瞬間、護りを固めるのと同時に、巨大な光と空気の塊が押し寄せ、すべてが諸共もろともに吹き飛んだ。咄嗟に鎖で身体を固定し、サイクロンを空気の盾として使ったけれど。それでも間に合わなかった。

 身体のあちこちがえぐられ、融解し、視界が赤く染まっている。一体、何が起きたのか。その答えは、空を見上げてすぐにわかった。お城に、大穴が空いていた。

 ……これが、王子様の攻撃? 一体、何がどうなっているの?

 身体の状態を確認する。悪役令嬢サイクロン、悪役令嬢ウィンチハーケンは今の衝撃で故障。装甲板スカートの半分以上が持っていかれている。悪役令嬢スマッシャー、悪役令嬢スティンガー、悪役令嬢デストロイヤーも動作不良を起こしている。これでこの身体に仕込まれた武器は、全て使えなくなった。


「やはり、いきなりでは加減が難しいか」


 王子様は涼しい顔をしているけれど。なんだろう……鎧の色が、少し変わっている気がする。

 もしかすると、王子様も消耗しているのかもしれない。あの攻撃は、連発は効かないのかもしれない。少しでも身体がまともなら、何か、取っ掛かりになりそうだけれど……これ以上、今のわたくしに戦いを続けるのは無理だ。

幾らわたくしが戦いに疎くても、引き際程度は理解できる。少しでも身体を修理しなければ、これ以上は戦えない。……でも、王子様を前に、果たして逃げきれるだろうか? わたくしが倒れれば、ベニーチカだって、危険に晒すことになる。

 逃げるにも、戦うにも、わたくしには力が足りなくて。


 ……違う。力があるとか、無いとか、そんなことで正しさを曲げては後で必ず悔いることになる。逃げたい。けれど、逃げられない。その狭間でわたくしは、再び拳を握る。命を燃やす覚悟を決める。


「マーリア、君は」


 その時、穴のいた天井から、「何か」が転がり込んできた。


「ウルリケ‼」


 機械仕掛けの狼は、そのまま王子様の喉笛に喰らい付かんとする。


鋼鉄こうてつろう。折角の逢瀬おうせを邪魔しないでもらおうか!」


 極小の「黄金の毬」を受け、ウルリケの身体が大きく跳ねる。わたくしは思わずウルリケのもとへ駆け寄る。


「ウルリケ‼ ベニーチカはどうなさいましたの⁉」


ボロボロになりながら、狼は尚も低い唸り声を上げ、王子様の方を睨んでいる。それと同時に……ウルリケの全身から、煙が吹き出はじめた。壊れた? いや、違う。これは煙幕。暗殺事件の時に使ったのと同じ……?

 周囲が煙で覆われた後。ウルリケがちらり、とこちらを見た。その様子は、わたくしに「逃げろ」と伝えているようで。わたくしは、少し迷った後。


「キャワン⁉」

「少し、大人しくしてくださいましね」


 ウルリケを抱え上げて、逃げることにした……ウルリケはとても暴れていたけど、気にしない。


「これで勝ったと思わないでくださいまし‼」

「…………そうか。まだ、終幕には早いか。逃げるならば、君の望む通りに」


 煙の奥から王子様の声が聞こえる。その声音はどこか、何故か、優しそうで、辛そうで。けれどわたくしは、そちらをちらりとも振り返らず走り去ったのだった。

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