6-2

 遥か上空からは、王都郊外の景色がよく見える。川も、畑も、嘗て隠れ潜んでいた森も、わたくし達の歩んできた道も、ここから見れば、まるでてのひらに収まる玩具のようで。


「た、高いぃぃぃ! 怖いいいい!」


 そんな感慨を抱くわたくしを余所に、ベニーチカはわたくしの腕の中で暴れていた。


貴女あなたが作った機能でしょうに……」


 スカートの周りに配置された例の円筒から、炎と煙が噴き出している。

 実験するところは目にしたけれど、これが正真正銘の「ロケット」という乗り物らしい。


「設計した時は、自分が同乗するなんて思わなかったんですよ‼」


 本当なら、ベニーチカはもっと安全な方法で潜入するつもりだったらしいのだけれど……エルゼに能力、手の内が知られていた以上、単独潜入は危険というのに加えて、


「この高度と加速度Gで動く制御装置が間に合わなくて……また爆発でもしたら、今度こそ大惨事ですし」


 ということらしい。なんだか不穏な台詞があった気がするけれど、聞かなかったことにしよう……ちなみに、一緒に縛り付けられたウルリケはとっくの昔に気絶している。


「ところでなんですの? その仮面マスク。暗殺事件の時も準備していたけれど……」


 今回のベニーチカは、いつもの白衣の上からしっかりと厚着をして、顔を仮面で覆っている。


「普通の人間は、この高度と気温になると息ができないんですよ!! お嬢様は循環器が外付けで頑丈だから大丈夫かもしれませんけど……」

「そういうものですの……?」

「そういうもので……あ、こ、高度三千メートル……燃焼停止。き、切り離してください」


 言われるまま、スカートから推力装置ブースターを切り離す。

 身体が一瞬、ふわりと浮いたように感じる。そこから先は、地面に向けてまっしぐら。


「というか、お嬢様の頑丈さ、やっぱり時々設計限界を超えてるんですよね……安全率を考えても……」


 ぶつぶつと、現実から逃避するように自分の世界に入っていくベニーチカ。


「舌を噛みますわよ!」


 地面が近づいてくる。本番一発勝負だけれど、打ち合わせの通りに!


「悪役令嬢……サイクロン! 悪役令嬢……スカートフレア!」


 四肢を大きく広げ、少しでも抵抗を増やしながら叫ぶ。お腹の蓋が開いてファンが顔を出し、空気の流れを作り出す。スカートの装甲板から幾つもの炎が小刻みに吹き出し、体勢を安定させる。シンデレラとの戦いの時は半ば無意識に使っていたけれど、これもあの雷霆勇者の異能を模した装備、ということらしい。オリジナルとは違って空中に静止するなんて器用な真似はできないけれど。こうして、「速度を落とす」のには使える。

 こうして実際に体験すると、あの勇者の能力、やっぱりずるチートにも程があるのではないかしら……?


 減速したところで、王城の塔の上に差し掛かる。「狩人」のような童話怪人による狙撃も有り得ると思っていたけれど、今のところは心配のしすぎだったようだ。

 サイクロンとスカートフレアに加えて、悪役令嬢ウィンチハーケンも使って衝撃を殺し、ベニーチカを抱きかかえるように着地する。


「さ、刺さってる刺さってる……!」


 ちょっと装甲アーマーとげが刺さったようだけれど、想定範囲内。


「お……お姫様抱っこ、ちょっと憧れてましたけど、こんな浪漫ろまんが欠片もないなんて……」

「言っている場合ではございませんことよ!」


 既に、ここは敵地。けれど真っ先に駆け付けたのは、どうやら城詰めの騎士たちではなかった。動きが速すぎる。多分、童話怪人だ。

 その何者かの剣戟けんげきを、近くに転がっていたロケットの殻で弾く。軽い反響音と共に、殻が真っ二つに割れる。

 確かに、敵はそこに居た。喪服のような、花嫁衣裳のような、黒いドレス姿の敵がただ独り。顔は黒のベールに覆われていて見えない。手にはまっすぐな長剣。あれは、確か処刑人の剣リヒトシュベーアトとかいうものの筈。

 童話怪人にしてはシンプルな外見。召喚者? いや、違う。見覚えはない。けれど……ああ、そうか。わたくしは、酷い懐かしさを覚える。


「あ……あああ、あれ、か、からっ」


 何かを察したベニーチカが、まるで幽霊でも見たかのように、泡を食いながら声を上げる。

 黒衣の花嫁のベールが風にはためく。その下には、。顔も首もなく、ただ黒いもやのような虚無だけが広がっていた。本当に、酷くて、懐かしい。


「ああああれ、お嬢様の、!」

「……ええ。でも、それがどうかしたのかしら?」

「どうか、って……あれと戦うんですよ? 倒すんですよ? お嬢様なんですよ? それで……いいんですか?」

わたくしはここにおりますわ。それに、違うのではないかしら? わたくしだけ何もなくさない、というのは」

「そんな、もう、これ以上」


 あなたはたくさんなくしているのに、と。そう続けたそうな、彼女の言葉を遮る。


「ベニーチカ。此処ここから先は、もう一人で行けますわね?」

「……はい」


 彼女は、何かを察して素直に頷いた。


「ウルリケ。ベニーチカを頼みますわ」

「ウォフ!」


 応えるように、狼が力強く吼える。


「……引き寄せ合いでもしたのかしらね?」


 ベニーチカを送り出し、わたくしわたくしに独り向き合う。首なしの喪服の乙女。首の先には、変わらず黒いモヤがかかっている。童話怪人なのだろうか。それにしたって、あまりに人としての決まりごとから外れている。あの『狩人』ですら、人間の部品は辛うじて揃っていたというのに。


「……どんな仕組みで動いているのかしら」


 けれど、少しだけ安心もした。これは、王子様のやり口ではない。あの人は、きっと、こんなことはなさらない。なら、これは別の人間の手によるものだろう。

 安心するいとまもなく、身に覚えのある魔法が飛んでくる。花の形の爆発が、わたくしの横で弾ける。

 あの技は、『葬花・撫子ネルケ』という。多弁の花の形をした炎。わたくしの、かつての血統魔法。

 けれど、そんなこと、今はどうだっていい。炎の花弁を散らし、鋼の腕で剣を弾く。


わたくしの身体だったというのなら、もう少し粘ってみせなさい! エルゼに負けておりましてよ‼」


 ……とはいえ、無理もないことなのだ。

 剣を握ったこともろくになく、魔法を敵へ向けたことも数えるほど。昔のわたくしは、戦えるかどうか、という以前に、戦う人ではなかった。

 それが、今やこうして鋼の拳を振るっている。それ程までに、断頭台で時が止まったこのわたくしと、今のわたくしは違ってしまっている。

 だから、もう戻れないのだと。戻らなくてもいいのだと。そう思っみとめた瞬間、目の前の怪人は糸の切れた人形のように動かなくなった。

 何かの限界? それとも、罠……? いえ、どちらでも、何でも構わない。


わたくしは、」


 躊躇ちゅうちょを、するべきなのだろう。もしわたくしが今も答えを見つけられていなければ、躊躇ちゅうちょしていたのだろう。


 物語はじていく。わたくしは歩いていく。破滅につながる階段を。わたくしの死だったものへと繋がる大路を。

あの日までは、何不自由なく暮らしていた。あの時までは、幸せな未来が待っていると思っていた。そして、あの階段を上るまでは、すべてに絶望していた。

 けれど、今のわたくしは、


鋼のアイアン悪役令嬢なのだから」


 顔を上げる。目の前の敵を見据える。

 多くを犠牲にしてきた。多くを巻き添えにしてきた。多くを奪ってもきた。

 罪はここにある。罰もまた、ここにある。ならば、償いの機会を与えられるのは、むしろ幸運なことだろう。


「悪役令嬢……インフェルノ」


 三連射。

 償いという概念にはおよそ似つかわしくない地獄の炎の魔法が、わたくしの身体だったものを焼き尽くす。黒い花嫁は燃え上がり、そして、今まで倒してきた童話怪人たちと同じように。燃えて四散し、灰に還った。

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