5-9 (五章終)

 ……これは、大昔の記憶。がまだ幼かった頃、王城の中で迷子になった時の記憶。


「そろそろ、王子の婚約者を決めねばならんな」


 薄暗い部屋の中で密談をしているのは、王家の傍系たる三大公家の当主たち。王家を支え、この国を見守る元老たち。


「アッシェフェルトの娘はどうだ?」

「条件は満たしているが……いかんな。アッシェフェルトの力をこれ以上増せば、国の均衡が崩れる」

「それに……あの娘は、

「なら、やはりヴァイスブルクの娘で決まりだな」

「家格も器量も申し分ない。王妃として相応しい役目を果たしてくれるだろう」


 私が盗み聞きした会議の顛末は、こんなところだった。私はそこで逃げて、記憶に蓋をした。

 私の血統魔法の力は、お母様の血によるもの。けれど、そのお母様の血が。私から王子様を奪っていった。幼い私はどうしようもできなくなって。大好きだった母とどう向き合っていいかもわからなくなって。

 そうしている間に、母は病に倒れてしまった。私がようやく母と向き合おうとしたときには、何もかも手遅れだった。



  ◇ ◇ ◇


 冷気で空気が揺らめく。鋼の身体から熱が急速に奪われる。


「世界は理不尽で。優しくなくて。いつだって手遅れだけど。だから立ち向かうには力がいるの」


 シンデラは、そう囁く。彼女は、間違っていない。今を嘆き、力を以て未来をつかみ取る。それは、貴種として生まれた以上の責務だ。

 ……だが、力を手に入れたからといって、同じ理不尽を繰り返してはいけないのだと。わたくしは知っている。


 氷結の光景を前に、思い出すのは、ずっと昔のこと。侯爵領、あの湖畔の別荘で幻視した光景。湖の上にたたずんでいた、少女のこと。

 ある冬の日、靴を飛ばす遊びをしていたときのこと。偶然、大切な靴を湖の方へ飛ばしてしまった貴族の子供がいた。

 沈んでいく靴を前にして。お誕生日に貰った大事な靴なのに、と泣きじゃくる彼女に。彼女エルゼは、「大丈夫よ」と一言だけ告げて。湖の上を、歩いた。

 秘密にしなければならない筈の血統魔法。それで湖面の上を固めて、「たまたま寒くて池が凍っただけですのよ」と、無理のある言い訳をして微笑んで。

 だから、わたくしは彼女の血統魔法を知っている。その異常さを知っている。湖の上を氷で埋めて、誰かを助けるために、その上を歩く彼女の姿を覚えている。

 あの後、とてもとても怒られたけれど。結局のところ、わたくしが一番仲が良かったのが彼女……エルゼだった。あの時は、家同士のしがらみなんて気にしなくて。世界の理不尽なんて知らなくて。それでも、彼女は教えてくれた。


「世界は理不尽だから。けれど、それでも」


 いくら世界が理不尽で、救いがなくても。それを「答え」にしてしまったら負けなのだと思うから。たとえその足掻あがきが、自傷行為に似るのだとしても!


「……相変わらず、諦めが悪いのね」

「ええ、貴女も」


 全部、思い出した。力には正しい使い道があるのだと。それを教えてくれた彼女を。そして……彼女の見えない攻撃の正体もわかった。ベニーチカの言葉もヒントになった。

 ガラスの靴。多分、シンデレラの物語に紐付いた異能。その靴を飛ばして操り、蹴りの射程を伸ばしているのだ。だから見えない攻撃が飛んでくる瞬間は必ず、彼女の片足は地面から離れている。その時だけは移動の速度が落ちる。


 わかってみれば、単純なこと。それでも、勝てるかどうかはわからない。

 彼女の力は依然強大だ。氷の湖。氷の城。人の存在をゆるさない、絶氷の凍土の化身。

 その場凌ぎで距離を離したとはいえ、ベニーチカも、貴族たちも。このままでは命が危ない。猶予は、もう僅かしか残されていない。彼女をここで破るには、どうすれば、どうすればいい?


  

  氷の乙女は、氷上を滑る。世界を嘆き、嘗ての水面みなもをなぞるように。

  鋼の乙女は地を踏みしめる。己のもといを確かめながら。



 ……ふと、庭にある大きな噴水に目が行った。この冷気の中でも、まだ凍っていない。上手く行くかはわからないけれど、試してみるしかない。勇者との戦いの時のように、自分の身体をウインチハーケンで縫い留める。

 腕の力で、わたくしのお腹の部分を覆う蓋を勢いよくこじ開け、跳ね飛ばす。なんだかはしたない気がするけれど、もうそんな場合ではない。


「悪役令嬢……サイクロン!!」


 中には、大きな花のようなファンの塊が収まっている。それが高速で回転する。ベニーチカが作りかけで封印した機能。彼女曰く。どうやらこれは「失敗作」の装備らしい。

 舞踏会の前の会話を思い出す。


『えっと……勇者戦と暗殺事件で大苦戦だったので……空を飛べないまでも、ある程度は素早い機動ができる装備が必要かな、と思ってあれこれ試作したんですけど……没にしました』

『どうして?』

『間に合わないし、完成度が低すぎるんです……一つは、跳躍用の推進器。こっちはそもそも、このサイズだと推力不足でボツ。もう一つは、姿勢制御用の圧縮空気噴射機構ですけど……こっちも、出力はともかく制御が上手く行かなくて……スカートの装甲板を使って地面効果翼機フレアクラフトみたいに飛ぶのとかも考えたんですけど』

『何かに使えませんの?』

『うーん……空気砲というには微妙ですし……いっそ、空気に酸とか混ぜてル〇トハリケーンにするとか……あとは人工降雪機くらい? こんなことならビーム砲でも付けておくんだった……』

『……目立ちすぎる武器は却下ですわ』


 結局、「推進器スカートフレア」の方も、さっき無意識に使っていたわけだけれど。


「一体何を……?」


 わたくしの腹下から出た風は、庭の大きな噴水の水を舞い上げながら、竜巻となって天をる。

 風に巻き上げられた水は、他ならぬ彼女エルゼの能力で冷やされた空気と混じり合い、人工の雪の飛沫しぶきになって吹き付ける。

 これは人工降雪機、というものらしい。

 水と風を操って、偽物の雪を作り出す魔法。炎の家系のわたくしが、氷雪魔法の真似事をするなんて思わなかったけれど。ベニーチカのよくわからない蘊蓄うんちくに耳を傾けていた甲斐もあったというもの。


「……雪? その程度の冷気で……きゃあっ!」


 ゆっくりと降り積もる雪は、足場を崩し、ガラスの靴を曇らせる。


「やってくれましたわね……!」


 バランスを崩したエルゼは、わたくしのほうを鋭く睨む。次の瞬間には噴水が見えない攻撃を受け、破壊された。

 そういえば、実のところ。湖の上を歩いた時も、彼女は途中で何度か転んでいたのだった。場違いにも、そんな記憶を懐かしく思い出す。

 これで、氷の上を滑る高速移動は難しくなる筈。そして、ゆるくなった足場は氷の上にわだちを残す。それが彼女のもう一つの切り札を封じる。見えない靴飛ばし。攻撃の瞬間は、地面から足が離れる。雪上に残る途切れたわだちが、攻撃の瞬間タイミングを教えてくれる!

 手品の種が割れてしまえば、簡単なこと。見えさえすれば、氷の剣との二択は成立しない……!

 とはいえ、足場をゆるくしたところで彼女エルゼの動きは完全には止まらない。あしの差は覆らない。足枷デメリットを背負ったのは、此方こちらも同じだから。

 新雪を一歩一歩踏み固めながら、私は進む。

彼女のわだちが、一本消えた。

 ……攻撃が来る。瞬間を見切り、撃ち落す!


「悪役令嬢……スマッシャー!」


 狙うのは、靴のほう。攻撃の瞬間にぶつけて……!


「嘘でしょう⁉」


 腕が蹴落とされた。今まで、超常の異能チートで防がれたことはあったけれど。純粋に叩き落とされたのなんて初めて。

 ……いや、これは間合いが近いせい。わたくしも戦いは素人だったけれど、場数を踏めば、否が応にも理解が進む。

 わたくしの腕は、発射の瞬間から徐々に加速していく。だから、その前に叩き落とされればおしまい。悪役令嬢スマッシャーでは初速が間に合わない。射程は短くてもいい。もっと、素早く打ち出せるものでなければ。なら……!


「悪役令嬢……スティンガー!」


 ガラスの靴と、鋼の脚が交叉こうさする。鋼の杭が、遂にガラスの靴を撃ち落す。

 硝子ガラス千々ちぢに砕け、欠片になって散らばる。

 けれど片足の靴を砕かれても、もはや彼女は止まらない。

 鋼の拳。氷の剣。各々の武器を携え、わたくし達は、そのまま突き進む。

 靴の片側を潰された彼女は、わたくしに追いすがらねば手を出せない。けれどわたくしが逃げるのは、ベニーチカ達の命を諦めるのと同義。

 どちらにも、ここで逃げる選択はない。どちらかが倒れるまで。この悪夢の舞踏会は終わらない。



  そして、十二時の鐘が鳴り響く中、二つの影が交叉する。



 雪の上に鮮血せんけつが散らされる。鋼の拳と氷の剣はともに砕け、血まみれの拳の残骸が、彼女エルゼの体を貫いていた。


「この拳が砕けても。わたくしの心は、砕けない」


 わたくしが宣言し、シンデレラが、ゆっくりと倒れ伏す。同時に、


「あら……?」


 わたくしの視界がぐらり、とふらつく。バランスが崩れる。思わず倒れこむ。右脚の太腿から下の感覚がない。左の腰のあたりに、焼けるような痛みがある。


「相討ち……つまり、私の勝ちですわ」


 シンデレラが囁くのが聞こえる。

 倒れてからようやく、わたくしは異変の正体に気付いた。血濡れの氷の剣が、腰の後ろに突き刺さっている。そこから霜が生まれている。

 ……砕かれた硝子の靴の欠片と、自分の血液。それを混ぜ合わせて固めて、遠隔操作できる氷のやいばにしたのか。そして多分、血の一部を触媒にして、遠隔で血統魔法を使っている。ベニーチカの異能チートと同じ、触媒を使った発動法……それでわたくしの身体の内側を、凍らせようとしている。


「私の靴、少しなら軌道を曲げられますの。砕いて頂いたおかげで楽でしたわ」


 そして、立ち上がろうとして、ようやく。わたくしの右脚が私の横に転がっていることに気が付いた。同じ氷の剣で関節部分を断たれたのか。感覚が鈍いのが仇になっている。


「なんて……ずるチート……」 


 金属の身体はよく冷える。首の付け根まで、霜が上がってくる……けれど、彼女の足掻きはそこまでだった。


「いいえ、禁忌の力に手を染めてすら……どうやら、ここまで。その身体からだ、思っていたよりもようで。残念、ですわ」


 彼女はそう言って悔やむけれど、多分それは皮肉。きっと、彼女はこの鋼の鎧の下になんてことを、想像もしていなかったのだろう。だから、読みを誤ったのだと思う。

 悔やむ彼女に、ふと、気になったことを尋ねる。


「エルゼ、貴女あなた……あの絵本の……お母様の力は使いませんの?」


 召喚者の異能チートは強力無比。雷霆勇者やベニーチカのように、使いよう次第では一国を滅ぼす可能性すらある。エルゼの母親の異能、力を宿した絵本。例の『シンデレラ』の絵本の使い方は、結局わからなかったけれど……ベニーチカの持っている欠片を見る限り、本人でなくては使えないようなタイプでもない筈。

 なら……どうして彼女は、それを最後まで使わなかったのだろう?


「あの絵本には、戦いに使えるような力はほとんどございませんのよ」


 わたくしの問いに、彼女は微笑んでそう答えた。


「それは……どうして?」

「だって……あれは子供わたしのための、ただの絵本ですもの」

「……そう、でしたの」


 彼女の「物語」は、最初から。人を傷つけるためのものではなくて。

 わたくし達は今度こそ、お互いもたれかかるように崩れ、倒れ伏す。

 エルゼたちの計画はくじいた。情報収集と貴族たちの救出は、ベニーチカが上手くやってくれている筈。外に連絡が届けば、応援も呼べる。後は、彼女達を信じて待とう。なら……


 ここまでで、十分ではないかしら? とどめを刺さなくても、いいのではないかしら?

 そんな甘言かんげんが、頭をもたげてくる。

(うるさい)

 彼女の芯は、変わっていない。悔い改める機会があれば。エルゼも元に戻ってくれるのではないかしら? ここで命を奪うのは、傲慢ではないのかしら? ベニーチカは、あの勇者をゆるしたのに?

(うるさい、うるさい)

 彼女がしたこと。

 わたくしの友人たち。侯爵家の人々。私の何より大事な人たちの命を奪ったこと。

 わたくしは赦せない。彼女がこの先、悔い改めたとしても。もしも仮に仲間になるとしても。わたくしとは一切関わりのないところで生きるとしても。

 彼女は奪いすぎた。もう戻れない。そしてきっと、彼女自身も戻る気はない。だから、わたくしが彼女を赦してしまえば、もっと大切なものが失われてしまうから。

 この力を正しく振るわなければ。彼女エルゼから貰ったものが、無価値になってしまうから。

 エルゼを押しやり、わたくしは腕の力だけを頼りに這いずり進み、口の中にしたたる血をすする。砕けた鋼の脚を手に取る。

 処刑されたわたくしが既に死人であるように。彼女もまた、既に死んでいる。断頭台送りは免れない。いや、それ以前に……もしかしたら、もう。

 だからこの、とうの昔にわか途切とぎれた道には、綺麗な終わりなんてない。だから、他の誰かの手にかけるより。せめてわたくしが終わらせるのが。最良の結末なのだと言い聞かせながら。

 シンデレラのもとに辿り着く。エルゼは、わたくし一瞥いちべつして。息も絶え絶えになりながら言葉を紡ぐ。


「……私は、これで時間切れ。けれど、マーリア。ああ、マーリア。ヴァイスブルクのおひめさま……王子様を誘惑した、悪い人!」

「その少女は死んだのよ、灰かぶりシンデレラ


 わたくしは、幾度目かの己の死ことばを口にする。


「ならば、誰でもない貴女。きっと、貴女は本当の貴族なのでしょう。たとえ悪役となろうとも。鋼の力を以て進みなさい。この私にそうしたように!」


 ああ、彼女はやっぱり、芯のところでは何も変わっていなかった。彼女は彼女の正しさを持ってわたくしと戦った。それがどうして、わたくしとこんなに食い違ってしまったのかは、わからないけれど。


「……ええ。そう致しましょう。貴女の願いの通りに」


 わたくしは、最後の力で。千切れた自分の脚を、彼女の胸の上に突き立てる。

 鋼の力を以て進め。たった今、彼女自身が口にした言葉がわたくしの背中を押す。また彼女は、わたくしに大切なものをくれた。だからもう、祈りはしない。わたくしわたくしの意志で、刃を撃ち下す。

 悪役令嬢スティンガー。断罪の杭が女の胸を撃ち抜く。

 びくん、と死にかけの蛙のように、エルゼシンデレラの身体が大きく跳ねる。痙攣する。時計の鐘が鳴りやむまで。わたくしは、何度も、何度も、それを続けて。

 最後の鐘が鳴り響いた時。彼女の手が、わたくしの頬を撫でる。


「……さようなら。鋼のアイアン悪役令嬢」

「……さようなら。『シンデレラ』」


 十二個の鐘の余韻が消えて。彼女の身体は、今までの童話怪人と同じように爆ぜて四散した。

 彼女をいたむみたいに、灰のような雪が降り注ぐ中。わたくしは思う。

 貴族の結婚は、家と家のこと。だから王子様の婚約者は、もともと、わたくしと彼女のどちらでもよかった。同じ家格と年頃、二人の侯爵令嬢。平和な時代、たまたま、きっと、家同士の都合でわたくしに決まっただけのこと。そう思う。

 けれど、彼女は王子様を好きになってしまっていた。なんのことはない。わたくしは、わたくしが奪われるよりも先に、彼女から王子様を奪っていた。それだけの話。

 同じ人を好きになって、同じように誰かに取られて。二人とも、こんなふうに成り果ててしまって。なんて滑稽こっけいなのかしら。


「お嬢さま!! 無事ですか!!」


 感傷にひたわたくしを呼び戻すように。全身が雪にまみれたベニーチカが駆け寄ってくる。わたくしは、なんとか身体を起こす。


「ええ。終わりましたわ、ベニーチカ」

「ごめんなさい。十二時になれば、シンデレラが弱くなるってこと……伝えられなくて」

「ベニーチカ。貴女はよく頑張りましたわ。それに……」

「それに、じゃないです。またこんなにボロボロになって……」

「……いいえ、そんな勝ち方をしても。あの子は浮かばれないでしょう?」


 そう言って、わたくしは空を見上げる。降る雪の中に、幼いエルゼの幻を見た気がした。

 まるで、魔法が解けたみたいに。屋敷は雪と静寂に包まれている。


「それに、今までに比べればだいぶマシですのよ」


 身体は傷だらけになって。心も千々ちぢに乱れて、ぐちゃぐちゃで。それでも、ようやく。今のわたくしが誰なのか。その答えが、ようやく出た気がするから。

 彼女に告げたように。わたくしはもう、令嬢ではなく。かといって、ただの鋼になることもできない曖昧な塊だった。けれど、もうそうではない。わたくしは、先に進まなければいけないから。


 ……だから。彼女が呼んだように。アイアン悪役令嬢。だからそれが、今のわたくしの新たな名前。




◇ 第五章『灰かぶりの章』 完◇


◇ 次章 最終章『王子の章』 ◇

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