5-8

 わたくしが駆け付けるまでに、ベニーチカがひどい目に遭ったのはすぐにわかった。大方おおかた、貴族達を逃がすために奮闘したのだろう。本当に、ウルリケも居ないのに無茶をする。でも、大きな怪我はなさそう。わたくしは、エルゼの方へ向き直る。


「……久方ぶりにお会いできましたわね、マーリア・ヴァイスブルク侯爵令嬢。次にお会いするのは、地獄インフェルノだとばかり思ってりましたのに」

「その少女はもうりませんの、エルゼ・アッシェフェルト侯爵令嬢。貴女方あなたがたはかりごとで処刑台へ追いやったというのに、もうお忘れになって?」

「ええ。ですから、随分な格好で舞踏会に遅参ちさんされたようですけれど。貴女の分の招待状はございませんのよ」

「つれないですわね。わたくしが来るのを期待していたのでしょう?」

「……ふふ。ええ、それはとても。貴女はお客様ではなく、とびきり滑稽こっけいな『し物』ですもの。ここまでも、随分と楽しませて頂きましたわ。機械仕掛けのお嬢様。自分が誰なのかもわからなくなった貴女あなた


 そう言ってエルゼは、氷のような表情を微かにほころばせる。


「わぁ、これが本場のお嬢様の舌戦……」


 などと、ベニーチカは間の抜けたことを口にしているが。今のりで少しだけ、頭の中がまともに戻った。どうせ、「自分が何か」なんて疑問には答えはない。だから、そんなことで思い悩み、機会を浪費することそのものが、不調の証。


「エルゼ」


 わたくしは、彼女の名前を呼ぶ。


「いいえ、私は『シンデレラ』。けれど、貴女と戦うこの時だけは、ただのエルゼで構いませんわ。どうせ、死人のすることですもの。無礼講と参りましょう」

「魔法使いも馬車もないくせに……」


 語る彼女に、ベニーチカが呟く。


「ええ。かぼちゃの馬車は要らない。私には、このくつがあればいい」


 そう言って、エルゼは足を持ち上げて見せる。

 シンデレラ。別荘に置かれていた、欠けたところだらけの絵本。ベニーチカの反応からして、かなり有名な御伽噺らしい。彼女エルゼも中身を知っているようだ。


(……聞こえますか。シンデレラは氷の剣と、妙な足技を使います。それと……拘束したいばらが、見えない攻撃でバラバラにされました。気を付けてください)

 シンデレラ……いいえ、エルゼに悟られないよう、悪役令嬢テレパスに必死でささやく声が聞こえる。

(……ええ、十分に。ありがとう、ベニーチカ)

(あ、それと……相手のモチーフがシンデレラなら……弱点が……)


 ベニーチカの言葉を聞き終えるより先に、見えない攻撃が氷を巻き上げくうを切る。

 多分、足技のたぐい? 警告のおかげで寸前に防げたけれど、速い。けれど、あの勇者の雷霆らいていほどではない。それでも一瞬、距離リーチを見誤った。鋼のスカートの端が持っていかれる。

 見えないだけではない。これは、十分な重さのある攻撃だ。


「続きは後で伺いますわ!」


 技を捌くので手一杯。返答の余裕は、最早ない。

 それにエルゼの手札は、これだけでは無い筈。彼女自身の血統魔法、そしてベニーチカが持っていたような、絵本の力。何が出てきても不思議はない。一瞬でも目を離せば、負ける。

 あの『シンデレラ』の絵本を調べきるだけのいとまが無かったのが悔やまれる。少しでも、彼女の手札をつまびらかにできていさえすれば。


「正直なところ、個人的な楽しみを除けば、貴女のことはもうどうでもいいのですけれど……」


 氷の剣と見せ掛けて、正面からの蹴り。鋼の拳が、硝子の靴と火花を散らす。


「どうやら、我が家の番人ゲームキーパーがお世話になったようですから。その分の御礼はしなければね?」


 エルゼは、たわむれに狩人のことを口にする。まだ彼女は本気ですらない筈なのに、攻撃の起こりが読めない。そのことが、わたくしを焦らせる。背筋が凍る。寒気を感じる。吐く息が白い。顔の肌に、張り付くような痛みを覚える。


「何これ……冷却能力?」


 ベニーチカは、気付いたようだ。

 足技だけではない。彼女エルゼが舞い踊るたび、床が凍っていく。これは、アッシェフェルトの血統魔法。アッシェを冠する家名のせいで勘違いされがちだが、彼女達の血統魔法は炎を扱うものではない。灰色の空と灰色の雪。凍てつく大地を由来に持つ彼女の血筋は、冬をその身に宿している。


 わたくしは、昔に一度だけ目にしたことがある。当時から湖面を丸ごと固めてしまえるほど段違いの威力だったけれど、更に磨きがかかっている。

 氷の剣と見せ掛けて、氷上を滑るように加速してからの蹴り。剣を巻き取ろうとした鎖が為すすべなく避けられ、スカートの装甲板プレートが一枚、持っていかれる。ウィンチハーケンは駄目だ、攻撃の変化に対応できない。

 氷結した地面の上を、彼女はスケートのように自在に滑る。おかげで、肝心の足の動きが読めない。先程までとは段違い、はやすぎる。見えてもけきれない。

 不可視の足技と見せ掛けて、氷の剣。氷の剣と見せ掛けて、加速しての蹴り。そもそもの攻撃の速さ、手数が違いすぎる。それにフェイントも織り交ぜてくる。わたくしは、じりじりと身も心も削られていく。

 ……唯一通じそうだったのは、わたくしの血統魔法、今は「悪役令嬢インフェルノ」。あれがまともに使えれば、氷を溶かし切るのも不可能ではない。けれど、今は……屋敷の周りの童話怪人の始末に使ったせいで、魔力が切れかけている。


「マーリア。貴女も随分と引き出しが多いようだけれど……私も負けてはおりませんの」


 その言葉には、偽りはない。血統魔法と、童話怪人としての力の融合。彼女は、「ラプンツェル」とくらべても桁違いに強い。


「血統魔法は家系の血の繋がりに依存した魔法。貴女も存じておりますでしょう?」

「ええ。だから、この力は。血統魔法というのですもの」


 だからなのか、大貴族の直系ほど力が強い傾向があるとは聞く。けれど、そもそも彼女の血統魔法は元の出力がおかしい。わたくしが生身の時の血統魔法は、精々が炎の塊を沢山たくさん出す程度。

 磨きが掛かっているどころか、もはや血統魔法の域ではない。一体、どんな仕組みなのかしら。というよりも、これはもう、召喚者の……


「なら……異界の者に血が近いほど、強くなる。これは御存知でして? 私のお母様は、この世界の出身ではございませんの」


 その疑問の回答は、本人からもたらされた。


「……そうでしたのね」


 そして、彼女エルゼは戦いながら語りだす。余裕の現れ? いえ、それは……


「私の母は、弱い人だった。召喚という理不尽に耐えられなかった。こちらの世界に家族を持ちながら、別の世界の物語を書き続けて。心ではいつも、死ぬまで、失くした故郷に焦がれていたから」


 それが、彼女にとっての絆だったから。きっと、たぶん。

 けれどやっと、全てが繋がった。ラプンツェル。狩人。幸福の王子。そして……シンデレラ。だから、彼女は異界の御伽噺を知っていたのだ。その存在に、がれたのだ。


「絵本の中だけが、あの人の世界で。あの人の真実で。私は、それに憧れた。だから、私は、私は」


 別荘で見つかった絵本の欠片。ベニーチカが持っていたページ

 ……そういえば、誰も進んで口にしようとはしなかったけれど。彼女の母……アッシェフェルト侯の夫人は出自定かならぬ者である、というのが公然の秘密だった。まさか召喚者を匿っていたなんて思いもしなかったけれど。

 ならば、今の彼女エルゼは。彼女の焦がれた幻と一つになった姿なのだろう。

 それは……道理で、強い筈だ。


「お嬢様……早く。長くはもたないから……」


 弱々しいベニーチカの言葉に頷く。この寒さは、あっという間に人の体力を奪い尽くす。このままでは、彼女も、招かれた貴族たちも長くはもたないだろう。だから彼女エルゼは、「時間稼ぎ」をしようとしている。感情と打算は同居する。ついでに同情をひければ儲けもの? いえ、そこまで甘くはないかしら。

 起こっていることは、単純だ。陰謀にはまだ続きがあった。侯爵領で「終わらせる」気が無かったのなら、次にすることは決まっている。自分自身を罠にして、この国の貴族と、他の国の要人を丸ごと葬り去る腹積もりだ。


 多分、作戦の全貌はこう。

 血統魔法で屋敷の中……いや、周囲一帯を丸ごと冷却して、そのまま凍死で命を奪う。屋敷の外に逃げれば、わたくしが戦っていた(そして、ウルリケがまだ戦っている)童話怪人や異形の兵隊が待っている。とどめに、彼女自身が動いて獲物を追い立てる。


「……なんてこと」

「さて、如何いかが致しましょう? 私は別に、このままお茶にしても構わないのですけれど。さぞかしこごえておられることでしょうし」


 舞踏会なんて名ばかりの、来た者を決して逃さない処刑場。少なくない数がつとめているであろう、自分の家の人間まで使い捨てにして。

 しかし外に居た童話怪人は、既にかなりの数を片付けた。彼女の作戦は、もう完璧とは言い難い。後は「シンデレラ」本人を片付ければ破綻する。

 けれどこのままでは、わたくしが彼女を片付けるまでベニーチカが持たない。戦う場所を少しでも移さないと。


「お茶会の誘いは、謹んでお断りさせて頂きますわ! 悪役令嬢……スカートフレア!」


 力任せに、シンデレラエルゼの身体を押しのける。なんだか、無意識に妙な機能が働いた気もするけれど。わたくし達は絡み合いながら、二人揃って窓の外へ飛び出る。


「お嬢様!」


 ベニーチカの叫びが遠ざかっていく。


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