第五章 灰かぶりの章

5-1

「もう一度戻って。はい、ワン、ツー、スリー、はい、ワン、ツー、スリー……その足運びだと、ドレスの裾を踏んでしまいますわ」


 シャンデリアの下で、わたくし達は踊る。案の定、ベニーチカがスカートの裾を踏んで転ぶ。


「……大丈夫かしら?」


 わたくしは、手を差し伸べる。ベニーチカは不安そうな顔で私を見ている。

 今のわたくしは、以前にも使った生身に近い体。そんなに警戒することも無いと思うのだけれど。


「む、無理です……やっぱり……わたしがこんな踊りなんて……教室の壁の隅っことか自販機の隙間で体育座りしてるほうがお似合いなんだ……」

「ダンスは慣れもございますもの。一朝一夕とは参りませんけれど、必ずできるようになりますわ」


 みるみるしおれていくベニーチカをなんとか励ます。


「一朝一夕でなんとかならないと、今回は困るんですけど……」


 なんだか限界のようなので、音楽を止めて、しばしの休憩。

 ちなみにダンス用の音楽やリズムを刻んでいるのは、ベニーチカ自作の機材だ……なんだか上手いことすれば、この機械だけでも大儲けできそうな気がしなくもないのだけれど。最初に見たとき「あら便利」としか感じなかったわたくしも、大概感覚が麻痺している気がする。


「……あの、やっぱり舞踏会に潜入するなら、こんなことしなくても使用人とかに成りすませばいいのでは……」

「招待状を頂いているのでしょう? なら、堂々と訪れるべきですわ」

「でも……」

「それに、目的は情報を引き出すこと。貴族に満足に話しかけられない立場でさんじてどうするのです?」

「でも、侯爵領でも執事の人とかいたし……」

「あれはあれで専門技能ですのよ。一朝一夕とはまいりませんし、わたくしに教えられるのは淑女レディとしての振る舞いだけですもの。諦めてくださいな」


 そう言って聞かせると、ベニーチカはしぶしぶ練習に戻る。

 やはり、慣れないレッスン続きで、少し参っているのかもしれない……口では泣き言をこぼすけれど、粘り強いのが彼女の持ち味。元々彼女が言い出したことでもあるし、きっとできると信じてはいるのだけれど。

 そもそもどうして、こんなことになったのか。それは、少し前にさかのぼる。


  ◇


「……わたし、舞踏会に行こうと思うんです……あの、勿論できれば、ですけど」


 侯爵領での戦いの後。舞踏会に出たい、と口にしたベニーチカを前に、わたくしは眉をひそめる。


「本当によろしいんですの? あの舞踏会……間違いなく罠ですのよ」


 今回の主催ホストは、アッシェフェルト侯爵家。わたくしの実家……ヴァイスブルク侯暗殺(未遂)事件の主犯格ともくされる家。罠以前の問題というか、ドラゴンが口を開けているところに食べられに行くようなものだった。


「そうですけど……お嬢様の遺志を果たすなら、貴族とのパイプが必要になるだろうから、って侯爵様にも言われたので。それに……何か動きがあるだろう、これが最後の機会だろうとも……」

貴女あなたねぇ……」


 ベニーチカの前歴魔女を考えれば、問題もありそうだけれど。お父様が出来ると言う以上は、出来る出来ないで言えば「出来る」のだろう。例えば、魔女その期間を侯爵家で庇護して、お披露目の準備に充てていたことにするであるとか。そういう多少の無理筋は通せるのが大貴族の力だ。


「確かにこの国では、異世界からの召喚者は下級貴族と同じ扱い。貴女をいきなり社交界にデビューさせる、というのは流石に盲点でしたけれど……どうするつもりだったのかしら、色々と」

「色……々?」


 つまりそれは、魔女や罠の件を差し引いたとしても。異世界人のベニーチカが、淑女としての振る舞いを一から身に着けなければならないことを意味する。さもなくば、彼女をさらしものにするも同然。

 正しい答えに辿り着く代わりに、それにまつわる一切いっさい合切がっさい些事さじはまるで気にしない。いや、己が託した人間ならば、できる、乗り越えられると信じている。


「本当に、お父様らしい」


 人というものを信じすぎる。ヴァイスブルク侯という貴族は、そういう人だ。

 これからの段取りを考えると頭が痛いけれど……お父様、恨みますわよ。


  ◇


 その後、わたくし達は侯爵家の古い別荘を借りて王都に舞い戻り、わたくしのお古のドレスや何やらを借りて準備の手筈を整え、当日の手配を侯爵家おとうさまに投げて。ようやく今のダンスレッスンに至る。

 直接の遣り取りはベニーチカを通しているとはいえ、侯爵家の力をある程度使えるようになったお陰で、王都での活動は飛躍的に楽になった。結局、実家の力に頼り切っているのが痛恨だけれど。この期に及んで意地を張り続けても仕方ない。


 もしかすると……わたくしが生きていることも、お父様は何か勘づいているのかもしれないけれど。最悪でもしらを切り通すくらいはして頂けるものと信じましょう。

 そうしてわたくしはゆっくりと身体を動かし、懐かしい感覚を思い出す。血にれた拳。血にまみれた体。今となっては昔のことのようだけど、こういうことをしていた時間は、確かにあったのだ。


「ステップの動きは覚えたようですけれど、動作を意識しすぎてぎこちなくなっておりますわ。リズムに乗れていればカバーできますから、一つの動き拘るのではなく、体全体のバランスを見て……どうかされましたの?」

「……なんだかお嬢様、本当にお嬢様なんだなって」


 踊り方を教えるわたくしをほけーっと見つめて、ベニーチカはそんな失礼なことを口にした。


わたくしをなんだと思っていたんですの……?」

「……メタルヒーロー……?」

「……なんだかあなどられている気がするのですけれど」

「そ、そういうわけでもないんですけど……!」


 再び、わたくしがベニーチカの練習を見守る。彼女の意志はあれど、結局のところ自分のために彼女ベニーチカを敵のただ中へ送り込むのだ。せめて、十分な武器を持たせてやりたい。


 社交の場での武器は戦いの強さではない。礼儀マナーという名の盾と、会話ゴシップという名の鉾だ。彼女は異世界からの客人。放っておいても注目の的にはなる。だから、話題についての心配はない。代わりに、会話を成り立たせるための最低限の知識と、その好奇の視線から彼女を守る盾はどうしても必要になる。


「ど、どうです⁉ ちゃんと踊れてたでしょう⁉ これで間に合いますか⁉」

「ええ、とても良くできておりましたわ」


 数時間後。懸命な努力の甲斐あって、幾度も転びながらも彼女の踊りは目に見えて良くなっている。ただ……なんだか今はわたくしよりもむしろ、彼女のほうが何かを急いでいるような。そんな気がして仕方がない。

 時間が無いのは確かだけれど、身体を壊しでもしては元も子もない……言葉通りに何度も壊しているわたくしが言うと、なんだか冗談のようだけれど。


「ダンスの練習は、今日はここまでに致しましょう。それと……」


 わたくしは、準備していた「矛」……レッスンの合間に書き溜めていた羊皮紙の束を手渡す。


「王家や貴族の名前と特徴、プロフィールの暗記。本来は顔を出す可能性がある全員分を覚えて頂きたいのですけれど……確実に出席する、王族と中央に近い伯爵クラスまでの貴族、周辺国の要人、直近で動きがあった方に絞りましたわ」

「……これ、どうやって?」

わたくしの頭に入っているものを書き起こしました。思い出せないところもありますし、投獄されてからの分は残念ながらございませんわ」

「……全部、覚えてるんだ……」

「貴族の世界は人の繋がり。人の顔一つ名前一つ好み一つでまつりごとの行く末が変わるなら、安いものでしょう?」

「なんか……貴族って大変なんですね……」

「大変だと思ったことはありませんわ。これが当たり前だと思っておりましたから」

「いや、凄いと思うんですけど……わたし、それ今から覚えるんですよね……」

「当たり前ですわ」

「擬人化とかしてくれれば覚えられそうなのにぃー」

「元々人ですのよ」


 また、わけのわからないことを口走るベニーチカ。結局、


「これで集中できますの……?」

「身体のメンテナンス、しておかないと。それに、機械いじりしながらだと落ち着くから……一石二鳥なのでぇ」


 座学については、わたくし身体ボディのメンテナンスをしながら語って聞かせることに落ち着いたのだった。

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