4-10 (四章終)
ベニーチカと合流して、数日後のある日。
「……
綴りが色々間違っているけれど、ベニーチカ宛てとみて間違い無いだろう。つまり……
それ自体は、実は驚くには値しない。ベニーチカは情報収集のために何度か出歩いているし、侯爵家の諜報力を使えば、「怪しい人間が泊まっている宿を消去法で絞り込む」程度は造作もない。直接接触してこない以上は、認識阻害の結界も効いているのだろう。
ただ問題は、彼女の名前がばれていることだった。
「侯爵様の馬車を止めたときに、色々ありまして……」
「まさか名乗ったんですの⁉ ウルリケを引き連れた状態で⁉」
「うう、すみません……」
鋼鉄魔狼と、
ともかく、問題の招待状の中身を確認する。ざっくり言えば、ベニーチカ宛の招待状……というより、「お礼をしたいからお城まで来て頂けませんか」、という建前の召喚礼状だった。
「これはもう、完全に色々ばれておりますわね……」
ひとまず
まぁ、侯爵領内であそこまでのことをしでかした以上、ばれるのは想定内……というより、彼女が自分自身で名乗りを上げたのだから仕方ない。
「どっ、どどどどうしましょう。わたし、侯爵様にお招きされてしまって……」
ベニーチカはいたく混乱していた。
「貴族からの呼び出しを無下に断ると、最悪、不敬で死にますわよ」
「ぴっ……!」
勿論、そんなことをすれば評判は下がるし、後々に響くので滅多にはない。発破をかけるには良いと思ったのだけれど、少し脅しすぎだったかしら?
「恩人として招かれているのだから、素直に正面から訪ねればよいのではなくて?」
打算もある。雷霆勇者と今回の件でベニーチカや
たとえ魔女とばれても、お父様が相手なら、そう酷いことにはならない……のではないか、と思う。仮にも、今回は命の恩人なわけですし。本当にそうかしら……?
肉親にも関わらず不安が抜けきれないのは……お父様は、お人よし、と言うのも少し違う気がするけれど。どうにも、人を信じすぎるところがあるからだ。
「な……何か失礼を働いたら、
「
無礼を働くことよりも、魔女の件のほうを心配したほうがいいのでは? あと石抱きって何かしら? という言葉を呑み込む。これを言ってしまったら、ベニーチカは死ぬ気で宿に立て籠もりそうな予感がしたからだ。
「恩人相手なら、余程の無礼以外は見逃しますわよ。気楽に構えて、行っていらっしゃいな。舞踏会というわけでもないのですし」
「本当に……?」
貴族の社交の場なら色々と準備も要るだろうけれど、今回はあくまで暗殺阻止に対する個人的なお礼、の筈。
「ええ、きっと。折角ですから、何かおねだりでもしてきたら
「流石にそんな度胸はありませけど……えぇ……」
「……なら、そうですわね。
いい加減、
「その言い方、ずるいです……」
「
むくれるベニーチカに、
それに、これは別に、嘘ばかりというわけでもないのだから。
◇ ◇ ◇
そんなわけで、わたしが覚悟を決めて侯爵様と再会したのは、白亜のお城の一室だった。
お城の中は意外にもがらんとしていたけれど、この部屋だけは書斎、という雰囲気で生活感も感じられる。どことなく、わたしの秘密基地にも近いような……でも、ここに通される時、「コートをお預かりします」と執事の人に言われて、流されるままいつもの白衣を没収されてしまったので、なんだかやっぱり落ち着かない。
「改めて……わたし、
「貴殿は……娘のご学友なのかな。見たところ、この世界の人間ではないようだが。この度はとてもお世話になった。事件の仔細などは、追って伺うが……まずは改めて、感謝を申し上げたい。私の馬車を止めた件についても、どうやら誤解があったようだ」
侯爵様が喋っている間、わたしは「ええ」とか「まぁ」とか「ぴぇ」とか曖昧な相槌を返すことしかできなかったけれど。最後の言葉に、びくっとなった。
……そうだった。侯爵様の馬車を
侯爵様の顔は真剣だ。お嬢様は「お父様も同じことをするに違いありませんわ~オホホ~(意訳)」みたいなことを言ってたけど、一歩間違えれば侯爵様は死んでいたわけで、怒るのも当然だった。
「すみません土下座します……」
まずはとにかく謝罪。迅速に靴を脱いで、その場に正座する。せめて命だけは助かりますように、と真心を込めながら頭を地面に
「い、いや、まるで娘のようなことをすると懐かしく思ってね。だから、その奇怪な謝罪方法は
なにやら、早合点をしていたことに気付いた。
「あ、はい。あ、わたしも、あの方には良くして頂きましたから……生きていた時の話ですけど。あの、もう立ち上がっても……?」
「構わんよ。というより、貴殿のような幼い娘を
おっかなびっくり立ち上がる。
暗殺事件の時は、じっくり観察する余裕がなかったけれど。改めて顔を眺めてみると、ヴァイスブルク侯は、白髪混じりの、人の
けれどやはり、流石にどこかやつれた雰囲気があって……それでも眼には強い力が
「このところ、来客続きでね。少し前にもアッシェフェルトのご令嬢がやって来たところで……
「あっ、はい。
自分の名前なのに、一瞬、反応が遅れてしまった。偽名と思われたらどうしよう。
「やはり、聞かない名前だが……」
「あっ、あの、わたしが秘密にして、って、頼んだんです……人間、苦手なので……だから、学校にも実は通ってなくて……」
「……なるほど」
「…………」
沈黙。気まずい。とても、気まずい。あと、いらないこと言った気がする。
でも、こんなこともあろうかと事前に「貴族のおじさんと一体何を話せばいいのか」と恥も外聞もなく泣きついて、お嬢様から貰ったアドバイスは、一言。「
……内心ダメかもしれない、と思いつつ。それに
「お嬢様って、昔はどんなだったんですか……?」
その言葉に応えるように。力強い視線が、ギョロリとわたしの方を見据える。一瞬、その力に足がすくむ。このプレッシャー、これが、貴族。
「ふむ……まずは見るかね?
いっぱいの
あっ、この強引さ、お嬢様にそっくりだ……。あと、そういえばこの人、娘の銅像を街中に建てるレベルの親バカだった……。
通されたのは、お城の廊下。ずらりと子供の肖像画が並んでいる。どうやら、写真がないので絵で記録を残しているらしい。最初は赤ん坊から、徐々に成長していく様子が描かれている。頭の中で、「親バカ回廊」と勝手に名前を付ける。
「これが、生まれたばかりのあの子の肖像画」
血色のよさそうな赤ちゃんの絵を見て、お嬢様にもこんな時代もあったんだなぁ、と最初はほのぼのしていたのだけれど。
「そしてこれが、三か月と六か月と一歳と二歳の肖像画で……」
めちゃくちゃ刻んでくる。
「お腹いっぱいです!!」
「……昔の娘の絵は、お気に召さなかったかね」
「あ、いえ……侯爵様、そうではなくて……」
あからさまにしゅん、としはじめた侯爵様をなだめるように、頑張って言葉を探す。このおじさん、意外とめんどくさい……。
「……ええと、九か月のは、ないんですか?」
「……ああ。あの子が生まれて初めての冬、妻が亡くなったのでな」
地雷だった。
この暗黒中世ライク世界で、わたしはまたも貴族のご機嫌を損ねてしまった……もしかすると、このまま無礼ポイントが加算されると、断頭台とかに送られてしまうかも。
そんなことは流石にないのでは? わたし、命の恩人だし……と自分にツッコミを入れながらも、嫌な想像が頭の中を駆け巡る。侯爵様はどこか遠い目をしながら昔を懐かしんでいる。どうやら、まだ
「前の妻を早くに亡くして以来、あの子には貴族の理想を押し付けすぎる育て方をしてしまったところがある……」
それは確かに、と心の中でうんうんと頷く。
お嬢様の父上と聞いて、アイアン侯爵(生身)、みたいな人が出てきたらどうしようと思っていたけど。色々な意味でだいぶ人間らしい人で少し安心した。親バカだけど。
「だから、私の命を救って頂いた以上に、友と呼べるような人間が貴族の他にもいたことを、一人の親として喜ばしく思いたい」
「いいえ、わたしなんて、そんな……」
「そうか。では、ここからはエピソードを交えてだね……」
そう言われて心を赦したのも束の間、わたしはこの後たっぷり三時間くらい、侯爵様の思い出話を聞く羽目になったのだった。
◇
「ありがとう。おかげで、久々に楽しい時間だったが……君には少々退屈だったかな?」
「いえ、わたしもお嬢様のことを色々知れて楽しかったです……あの人、本当にめんどくさいので……」
三時間の間にわかったこと。お嬢様は、昔からお嬢様だった。貴族の人間関係について色々ためになった記憶もあるけれど、右から左に抜けていく。今日はとっても疲れた……。
「……不思議だな。君は時々、今も娘が生きているような話し方をする」
しまった。一瞬、嫌な汗が背筋に
「それだけ君の心の中で、娘の存在が大きいということなのだろうが……」
「あっ、あの……」
このまま、怪しまれてしまうなら。尋ねるなら、今しかないと思った。
「……侯爵様は、どうして兵を
お嬢様はああ言っていたけど。戦争を止められるなら、せめて侯爵様だけでも説得できるなら。今しかないと。
わたしが何かを言っても、何も変わらないのかもしれない。けれど、やらなければ、わたしはずっと思い出す。これまでの幾つもの後悔と同じように。きっと。
「……脅しのつもりだった」
何かを察したように。ぽつり、と侯爵様はわたしに背を向けて語り出す。その背中は、なんだかひどく小さく見えた。
「家も、貴族の責務も無論大事だ。だが、家を守るためとはいえ。娘を殺されて、ただ黙っている親があろうか。まして、その心を継いでくれる者がいるのなら……それに応えるのも、貴族の務めだ」
「……心を?」
「例えば、ベニーチカ君。私は、君の行動の端々に娘の遺志の欠片を見る。私を救ってくれたこともそうだ。世俗と関わりを断っていた君が、今こうしてここに立ってくれていることも。私の昔話に付き合ってくれたことも」
「あ、そのえっと…………はい」
「だから、君が何をしようとしているのかも、それなりに察しがつくつもりだ」
実は本人が生きているだけです、とは口が裂けても言えない……!
……でも、改めて考えてみると、わたしは、どうしてこんなことをして……お嬢様について回っているのだろう。
あの人の命を救った者として。今度こそ、逃げ出さずに見届ける責任がある。それも、勿論ある。でも今は、それだけじゃない気がする。
戦争が起きようとしているから? お嬢様は、それを止めようとしている。けれど同時に、あの人は、貴族の在り方に縛られている。それは今、多分、目の前にいる侯爵様も。
「……ああ、だから」
だから、なのか。
わたしの勘違いや傲慢かもしれないけれど。お嬢様一人だったら、危ない時にきちんと逃げただろうか? 例えば、こうして侯爵領まで落ち延びただろうか?
多分、あの人は。わたしが居るから、在り方を曲げている。お嬢様だけでは、きっと選べなかった道の上に、わたし達は居る。わたしが居るから選べた、わたしにしか選べなかった選択がある。
だから、侯爵様は。「娘に貴族以外の友達がいて安心した」、と言ったのか。
「あの……ありがとうございます」
「……? お礼を言うのは、
あっ、まずい。つい、変なことを言ってしまった。
「あっ、えっ、ええと、大事なことに……気づかせて貰った、ので」
今度はちゃんと言えた。
「とはいえ、お礼をされるばかりでは、
侯爵様は机に向かってさらさらと紙に何かを書き付け、別の封筒と一緒にわたしに差し出してきた。
「……なんですかこれ」
「紹介状だ。間もなく、王都で舞踏会が開かれる。先日、主催が直々に招待状を届けに来てね。私の読みが正しければ、そこで何か……何とは言えないが、動きがある筈だ。この国の平和を望むならば、多分……そこが最後の機会だ。私の娘ならば、訪ねると思ってね」
「……ありがとう、ございます。侯爵様」
「……君には命を救われた恩義もある、援助は惜しまんよ。私にできることはこのくらいだが、他にも必要なものがあれば遠慮なく言ってくれ
わたしは、侯爵様の前では恐縮しっぱなしだったけれど。
別れ際、そういえばこの人は、あんな光景を目にした筈なのに。わたしの力を確かに見た筈なのに。もしかしたら、何も知らないだけなのかもしれないけれど。
わたしのことを一度も、「魔女」とは呼ばなかったな、と。ふと、そんなことに気が付いた。
◇ ◇ ◇
「……そう。お父様が、そんなことを」
アッシェフェルトが主催ならば必然、この舞踏会は暗殺が失敗したときの保険の意味合いがあるはず。なら、罠なのは火を見るより明らか……でも、主催がわざわざ誘いに来たのだから、いくら家同士の仲が良くないとはいえ、無下に断ってしまえば角が立つ。この強引なやり口に、
「やはり、貴女の仕業ですの……エルゼ」
そういえば、あの別荘で見つけた絵本も、中身の
その絵本の
◇ 第四章『狩人の章』 完◇
◇ 次章 第五章『灰かぶりの章』 ◇
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