4-9
空へ打ち上げられた光点の方角を見て、
「……どこまでふざけた敵ですの」
別荘で見つけたお城の図面。あれは、「城の中で標的を暗殺をする」のではなく。「城の中に潜んで狙撃の機会を伺う」ための図面だった、ということだ。
……そういえば。
お陰で、今の
意を決し、山の斜面を一気に駆け降りる。
ベニーチカの派手な仕込みのせいで、山肌はガタガタになっている。そして当然と言うべきか、罠もまだ山のあちこちに張り巡らされたまま。けれど、それはあくまで獣や普通の人間を相手にしたもの。そんなものは、
落とし穴を踏みつぶし、足
「…………っ! ごめんあそばせ!」
けれどもう、気にしている余裕はない。細い路地を駆け、建物の屋根の上を跳び、そのまま城へと直線に突き進む。
途中、何かに気付いて上を見上げたらしい街の住人と、一瞬目が合った。
「……あれ、もしかして、ご令嬢じゃないか……」
「は……⁉ いや、そんなまさか……
「とうとう、俺達までボケが始まったのか……」
「俺、酒はしばらく控えるよ……」
そんな会話が聞こえた気もするけれど、幸い、騒ぎになる様子はない。なんだか、また妙な噂話を増やしてしまった気もするけれど、今はそれどころでもない。
白亜の城が近づいてくる。街と城の間には、高い
力を溜めて、
城の壁に、鎖を巻き付け杭を打ち刺し、死に物狂いで登り進む。
一番高い尖塔に作られた小部屋。そこに、それはあった。
もはや、「いる」というより「ある」という表現の方が近い、鎧に覆われた巨躯の男。身の丈は普通の人間の二倍を越え、左腕から肩までが、巨大な『銃』と一体化している。下半身に至っては、無秩序に並んだがらくたの山に完全に覆われている。
「……童話怪人……」
『嬢ちゃんや。繧「繝?す繧ァ繝輔ぉ繝ォ繝の森は怖いところだよ』
雑音混じりの声。人の声だけれど、人間が発したものではないような不気味な
「
言葉に力を込めようとしても、上手く行かない。あれは、なんだろう? シナルは少なくとも自我があった。同じ童話怪人? 何が違う?
いや……そもそも、
その不気味さに思わず
「まずっ……!」
この土壇場で、気を抜いて過ちを犯した。この空間で、あの銃を向けられたら、避けられない。まして、今は
◇ ◇ ◇
爆発音と共に、遠くに見える城から火の手が上がる。
「……やった……?」
多分、侯爵様を狙っていた狙撃手は、やはりあそこに居たのだろう。けれど……今回は少し様子が違う。敵が自爆でもした……?
嫌な予感と、嫌な汗。犯人が倒されたか、まだ戦っている途中なのか。そのどちらかなら問題はない。けれどもし、お嬢様が戦えない状態になってしまっていたら……?
そして一つ、計算外の出来事があった。侯爵様の馬車馬と護衛の馬が、攻撃のショックと
そしてわたしの心の中は、「逃げたい」「おうちに帰りたい」という気持ちで一杯で。ただ、もう「逃げられない」という事実だけが、冷たくそこに横たわっている。
「でも」
でも……あの人は、あんなにボロボロになっても、諦めなかった。
なら、わたしも、わたしに、できることを。今度はわたしがボロボロになる番だ。そう思って頭巾を解き、意を決して一歩足を踏み出す。ウルリケもわたしの後に続く。
わたしが、囮になると。自分で志願したのだから。責任は、きちんと取らないと。
「……私を、殺しに来たのではないのかね?」
ようやくショックから立ち直った侯爵様は、不思議そうに疑問を口にした。今度こそわたしは、本当の目的を告げる。
「いいえ、あなたを守りに」
その言葉に侯爵様が護衛の人たちを制止し、わたしに尋ねた。
「君は、誰だね?」
お嬢様が生きていることは知られてはならない。だから、わたしもなるべく正体を隠さなければいけない。それは
防毒マスクを外し、顔を晒す。煙が肺に入り、少し咳き込む。時間がなかったので、ひとまず「煙が出ればいい」という調合にしたせいだ。
そして、気を取り直し。侯爵様に向き合って、
「わたしは、紅 一叶。お嬢様……マーリア・ヴァイスブルク侯爵令嬢の、お友達です」
わたしはそう、高らかに名乗りを上げた。
◇ ◇ ◇
狩人は、目を見張った。改造により増強された視界の入力情報が脳を焼く。
一度目の狙撃は、失敗した。何者かによって防がれた。それは事実。先ほど処理した、狙撃の妨害者と関係があるのかもしれないが。それは彼にとってはどうでも良いことだ。
今、重要なこと。
彼は、失敗の理由を理解した。
『
それは、狩人としての執念か。まだ、彼が人だった頃の慚愧であるのか。
心を巡るのは、彼のお嬢様のこと。けれど、その忠誠を。一瞬、妄執と矜持とが上書きをする。
嘗て幾度か、狩人はあの狼を仕留め損なった。一度仕留め損ねた時は、鋼鉄魔狼として蘇り、災いを降りまいた。最後に仕留め損ねた時、勇者の山狩りによって、彼は忠誠以外の何もかもを喪った。もう一度の機会はないと、諦めていた。けれど運命は、その奇貨を彼の前に
『お嬢様のために』
……わかっている。そんなものは、言い訳だ。ただ、自分がそうしたいだけ。無い左腕が、「復讐しろ」と疼いているだけだ。
ヴァイスブルクの侯爵を殺さねば、何が起きるのか。彼が暗殺を果たそうと果たせまいと、結末は変わらない。お嬢様の陰謀は成功を納めるだろう。
ただ唯一、違うのは。自分のような下々の者にまで、良くしてくださったあの方が。どういう結末を迎えるのかが変わるのだ。
ならば、これほど命を
『でもね、これだけは……』
忠誠と矜持の間で揺れ動く心。魂というものが、まだ男にあるのならば。それはきっと、今この瞬間の形をしていただろう。それがひと時だけ、男に使命を忘れさせた。
そう。つまるところ彼は、機械としてはとっくに壊れていた。
◇ ◇ ◇
至近距離で爆発を浴びて、
……装甲を棄てたところに直撃を貰ったせいで、また例によって視界は
狩人は既に
そうだろう。彼は狩人、彼は道具。
だのに、その時。その敵が、一瞬、動きを止めた。不可解な停止の後、彼はまた「何か」に狙いを付けている……ベニーチカが、間に合ったのだと。
今しか、ない。
「悪役令嬢……ウィンチハーケン!」
鎖が銃を絡め取り、締め上げる。狩人の腕と銃身は捻じ曲げられ、その銃から放たれる光条は天を翔け、雲を裂く。
寸前で、どうにか間に合った。けれど息をつく暇はない。
「悪役令嬢……インフェルノ! グラップ!」
巨大な銃を溶かし握りつぶし、その勢いのまま、赤熱した腕を巨体へ突き入れる。今や機械の塊に成り果てた狩人に対峙する。
まだ、この相手は倒してはいけない。彼そのものは道具のような存在。
「……質問に答えて頂きますわ。どうして侯爵様を?」
『……命令以外、なにも、答えることはないのですがね』
やはり、素直に答えるわけはない。最悪、首から上を持っていってベニーチカに何とかして貰うのも考えの内に入れる。むしろ、こんな状態になっても言葉を返せることに、素直な驚きを感じてしまう。まぁ、
別荘に残されていたリストや、あからさまな証拠の数々といい。真贋は後で精査するにせよ、敵は「ばれてもいい」どころか、
「……貴方、どこの
『………………それこそ答えるには、及びませんが……我が忠誠は、アッシェフェルトの名と共に』
その答えを返す時。もはや人の
『そういえば。前に、お嬢様にお守りを頂いたんですがね。大切な大切なものなんですが、どういうわけか、なくしちまいましてね。どこに行ったかご存知ありませんかね』
童話怪人・狩人は、次第によくわからないことを喋り始めている。
退き時かしら。多分、この騒動で城の衛兵も集まってきているだろう。あと、狩人の身体があちこち激しく明滅している。勘だけれど、これ以上は不味い気がする。
急いで、塔から身を投げる。なんだか、既視感のある光景。今回は鎖でぶら下がりながら、勢いを殺す。
『おさらばです、お嬢様』
そんな呟きが聞こえた直後、城の尖塔一つが爆音と共に消し飛んでいた。
「……最後まで厄介な敵でしたわ……」
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