4-7

 当日の朝。わたしは、鬱蒼うっそうとした森の中にいた。

 土の感触、淡い木漏れ日。朝の森の奥は、なんだか特別な匂いがして。独りで森の奥に籠もっていた頃も、わたしはよく朝の森をうろついていた。だから、こうしていると思い出してしまう。あの森とこの森は、別の森だけれど。木々の合間に、見知った動物たちの姿を探してしまう。


「……来た」


 馬のいななきと、馬車の音。


「行くよ、ウルリケ」


 わたしはウルリケに掴まりながら、付かず離れず、気付かれないように馬車と並走をはじめる。馬に乗った護衛が数人、そして……馬車には不死鳥の紋章。中の様子までは窺えないけれど、あれはお嬢様の父親……侯爵様の乗るものでまず間違いないだろう。

 ウルリケに振り落とされないよう追跡を続けながら、周囲に目を配る。狩人は結局、まだ見つかっていない……代わりにわかったのは、この周辺一帯の山の中がトラップだらけだということ。通り道のものだけは解除したけれど……やっぱり敵にとっても、「この暗殺」が本番……ということなのかもしれない。誰が仕掛けたのかとか、気になることもあるけど。狩人の捜索と残りのトラップの処理は、お嬢様の分担。今は、自分の仕事に集中する。チャンスは一度きり。

 侯爵様の馬車は山を越えるため、曲がりくねった坂を登りはじめる。速度は落ち、崖際には僅かな木々を除けば遮蔽物もあまりない。……狙われるとすれば、多分そろそろ。

 わたしは、準備を始める。顔を頭巾フードで隠し、防毒マスクをつけて、あらかじめ道中に仕込んだ煙幕スモーク遠隔リモコンで火をつける。そして……ウルリケを急がせ、侯爵様の馬車より前に出て姿をさらす。護衛の注意が一気にわたしへ向けられるのを感じる。緊張する。わたしが、これから何をするかと言うと。


「て……手を上げて、ば、馬車を止めてください! あ、わたし強盗です! 強盗なので‼ 従わないとちます!」


 要するに、わたしの仕事は、ハイジャックならぬ馬車ジャックだった。語源的にはこれこそハイジャックなのかもしれないけど……そもそもどうして、こんなことになったのかというと。


  ◇


「馬車を……一度停める⁉」


 お嬢様がそんなことを言い出したのは、あの作戦会議の後のことだった。


「反対です! そんなことしたら、それこそ狙い撃ちにされますよ‼」

撃たれそうしないと、敵を見つけられないでしょう?」



「それは……そうです、けど。でも、自分のお父さんを囮にするんですか⁉」

「大切なのは、貴女のウルリケも同じでしょう? なら、より確実な方法を使うのが合理的ですわ」


 言い返せない。そもそも最初に「囮を使うそうする」と言い出したのはわたしの方だから。お嬢様は、更に言いつのる。


「今回の事件は、そもそもわたくしのおいえのこと。なのに貴女も、ウルリケも、大きな危険リスクを背負っておりますわ。なら、わたくしとお父様も、ていす程度のことはしなければ」

「それは……そうです、けど。でも、だけど」


 言葉を重ねることはできるけれど、たぶんお嬢様を言い負かすことはできないし、わたしも納得はできない。けれど、今までお嬢様に今まで付き合ってきて。この頑固さには心当たりがあった。


「……それが貴族だから、なんですか?」

「ええ。お父様なら、きっとそうなさる。わたくしは、そう教えられて育てられたのですから」


 ノブレス・オブリージュ。貴族としての責務。この人は、それに縛られている……いえ、それそのものであろうとしているから。


「大丈夫。何があっても、全てわたくしの責任。気にすることは何もございません」


 この人がそう言うのなら。本当に、そうなのだろう。もしもわたしが失敗しても、恨み言を口にしたりはしない。責められることもないのだろう。

 でも、それはとても嫌だな、と。そう思った。だから、できる限りのことはした。

 あちこち仕掛けもしたし、狩人が直接照準している可能性に賭けて、目を塞ぐ煙幕スモークも用意した。あとは……あの狙撃を防げれば、あの狩人あんちくしょうに詰みをかけられる。そして、そのためには。


  ◇


 騎馬の護衛に、ウルリケが襲い掛かる。ビームが炸裂する音がする。「なるべく傷つけないように」とお願いしてあるけれど、保障はできない。その隙にわたしは侯爵様の馬車へ乗り移り、窓をなるべく乱暴に叩く。


「わたしの言う通りに、馬車を動かしてください!」

「……野盗やとうたぐいかとも思ったが、やはりそうか。私を殺しに来たのだね」


 そう答えたのは、馬車の中のおじさん。きっと、侯爵様だろう。思ったよりも歳を取っているようにも見えるけれど。命を狙われているにしては、あまりに落ち着いた態度。どこか、お嬢様を思い出す高貴な雰囲気を纏っている……この人が、ヴァイスブルク侯爵。お嬢様の父親。

 ……そして、言葉を交わした瞬間、わかってしまった。この人は、のだ、と。昔のわたしと同じなのだ、と。

 考えれば、当然のこと。暗殺によって親しい人たちを。実の娘まで喪って。この人は、こうなるまでにどれだけのものを諦め、見送ってきたのだろうと。ふと、そんなことを想像してしまった。


「強盗です! ああもう、説明が面倒なので! 言うことを聞けば、命は保障します! 馬車から出ないで‼」


 後戻りはできない。こうなればもう、あとはヤケクソだった。

 開けた場所、スモークの切れ目で停まるように指示を出す。わざと撃たせて犯人を見つけるために作った「穴」。狙撃のタイミングを絞れれば、それだけ護りやすくなるから。でも、万全じゃない。これは結局のところ博打ばくちだ。

 お守りのように、最後の切り札を握りしめる。今まで、幾度もわたしを守ってくれた絵札。認識阻害結界。これは元々、あの森を追われた時、ウルリケが拾ってきた物だ。

 そして、別荘で見つけた絵本。あれで確信した。この結界は同じ作者の描いた、何かの絵本の欠片ページ。どうして、魔法みたいな力が宿っているのかまでは、わからないけれど。

 だから、彼方からわたし達を狙っているのは。ウルリケを追い詰めた、あの狩人だと信じられる。



  ◇ ◇ ◇


『厄介なことになった』



 果たして狩人はそう呟き、彼方かなたで目をすがめる。

今まで幾人もの標的をこの場所から仕留めてきた。狙った次の瞬間には、標的の命は消えていた。

 これまで手にしてきた「銃」と比べてすら桁違いの、あまりにも畏怖すべき武器。主より下賜かしされた、かつての召喚者が残した遺物。最早体の一部のようになった異界の武器それは、死神の鎌なのだと直感していた。そう言い聞かせでもしなければ、ひどい現実感のなさに壊れてしまいそうだった。

 けれど、それも終わる。侯爵殺しが彼の最後の仕事。これにだけは、幾つもの準備を重ねた。だが、この段になって計算外イレギュラーが起きた。

 煙で視界が閉ざされている。山火事や野焼きのたぐいではない。道沿いを満遍まんべんなく覆う煙。誰かが、狩人に気付いている。彼の仕事に気付いている。

 いくら与えられた異界の武器ライフルが優れているとはいえ、限度と言うものはある。この武器が何者をも貫けるとしても、見えねば当たらない。だが、逆に言えば。僅かでも見えれば、当てられる。

 しかし……それにしても何かが、おかしい。暗殺者ではなく、山で獣を追っていた勘が、それを告げていた。

 あの馬車が本物であることは確認している。侯爵本人が乗っているところすら、。標的本人達が気付いたのなら、そもそも出立しゅったつを取りやめるか、替え玉を使うかするだろう。暗殺の妨害者と、標的ターゲットの呼吸が合っていない。

 誰か、第三者が居る。狩人の経験と勘は、その正解へ到達した。一瞬、数日前に処理した、あの妙な侯爵令嬢が頭をよぎる。奇妙な鎧を着込んでいたが、確かに急所……心の臓を穿った筈だ。生きている筈がないし、他に生き残りがいたところで……仮に向こうが何をしたとしても、彼が為すべきことは変わらない。何が往く手を阻もうが、同じことだ。可能な限り素早く、それごと撃ち抜くのみ。

 目標の馬車と、その窓が煙幕スモークの切れ間に微かに見えたとき。彼は、機械のように長大な狙撃銃ライフルを構え直し、その引き金をいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る