4-5

 わたくし達が辿り着いた先は、湖畔の廃別荘。ヴァイスブルク侯爵家の持ち物だが、他の貴族の滞在先として貸し出されていた一種のゲストハウス。皮肉と言うべきか、わたくしが最初に拠点にしようと目星を付けていた場所だった。

 もしかすると、領内をコソコソ動き回るには最適の場所なのかもしれない。もう取り壊した方が良いのではないかしら……? などと、自分のことを棚に上げて考えもする。


 あの後、一応の裏取りはしたけれど、暗殺事件の全貌は掴み切れていない(ちなみに、嫌がるベニーチカを説き伏せて、もう一度、街へ偵察に出て貰った)。領内で不審な死が増えているのは、どうやら事実。被害者には、わたくしの知っている人間も多い。手口は不明。と、いうより。目撃者のいない「失踪」に近いせいで、噂程度に留まっているものも恐らくは多い。

 嫌な想像だけれど。もし仮に、わたくしが受けたような攻撃を生身でされたとしたら……それはもう「失踪」と呼ぶより他にないのではなかろうか。

 ほとりで湖面をながめながら、思索しさくにふける。空は晴れて、風が心地よい。水面の上では鳥が水浴びをしている。


「こんないいところ、どうして使ってないんですか?」


 わたくしの乗る車椅子を押しながら、ベニーチカはそう尋ねる。風穴を開けられたわたくしの身体は、まだ思うように動かない。応急処置以上に修理するにも部品が足りないらしい。だから、こうしてくれている。随分重いと思うのだけれど、ベニーチカ曰く「補助動力モーターアシスト付けたので大丈夫です」とのこと。


「場所が辺鄙へんぴですし……建物も色々と痛んできておりますのよ」


 そういえば私の小さい頃は、よくおとずれていた気もするのだけど。いつの間にやら足が遠のいていた。そうそう、ゲストハウス代わりに使われていたおかげで、他所のいえの子供と遊ぶ時は大概ここだった。


「あと、すぐ近くが水辺なせいで、この季節になると虫が大量に出ますの。カエルも……」

「ウワーッ!! 大きいトンボ‼」


 言ったそばから、巨大な蜻蛉とんぼに襲われているベニーチカ。


「本当に……昔は、よく遊びに来たものですけれど」


 今思い返せば。一番仲が良かったのが、婚約を巡って争った件のアッシェフェルトの令嬢だった。彼女とは、思えば本当に色々とあったけれど。あの頃は……


「どんなことをして遊んでいたんですか?」


 なんとか巨大蜻蛉を追い払ったベニーチカの問いかけから、目を逸らすように。わたくしは、湖のほうに眼をやった。それは、ずっと古い思い出。湖の水面みなもの上で、靴を手に立ち尽くす少女の幻が見えた気がした。


「もう、忘れてしまいましたわ」


 別荘の中にはあちらこちらに、ごく最近誰かが滞在した痕跡があった。ただ汚れている、というのではなく、むしろ掃除が行き届いている。不自然な程に。

 そして……屋敷の中にあった、一番の収穫。そこにあったのは、ひとかたまり名簿リストだった。内容は……一言で言えば、『被害者の名簿』。或いは、『標的ターゲットの一覧』。

 少なくとも暗殺に関わる人間が、ここを使っていたのは確か。けれど、


「……これ、あからさまな罠ではありませんこと?」


 思わず、わたくしは率直な感想を口にした。


「処分し忘れとか……」

「……それか、誘いのためにわざと残したのかもしれませんわね……」

「……それって……わたし達を?」

「いえ……」


 まるで、「犯人に辿り着かれても構わない」と言わんばかりの証拠の残しぶり。といっても、これがわたくし達を標的にしたもの、と考えるにはまだ早い。

 そもそもの問題、大貴族の悪事を裁くのは難しい。何故なら最悪の場合、内紛になるから。だから、多少の証拠には頓着しないのかもしれない。

 そして仮にわたくし達の存在に敵が辿り着いていたとしても、こんな仕込みをするには時間が足りない筈。むしろ、ヴァイスブルク侯爵側の人間に対する挑発の類と考えるのが妥当だろう。とはいえ、


「まずは見てみないことには……」


 わたくし達はまだ暗殺事件の全容すら、把握しきれてはいないのだ。

 そうして、計画と犠牲者の全容を知った時。わたくしは、自分の愚かさに眩暈めまいを覚えた。リストに乗っていたのは、分家筋の親族や地方官といった領地の統治に携わる人間。女性使用人メイド、馬丁、執事バトラー……果てはそうした使用人まで。みんな、よく知っている人たちの名前。そして、事件の調査の過程で出てきた名前もある。その上にはみな、大きく線が引かれている。

 これはもうあからさまに、侯爵家自体を狙いすました攻撃だ。

 そもそも、どうしてわたくしが処刑台にまで追いやられたのか。わたくしの命そのものに、そこまでの値打ちはない。価値があるとすれば、それは当然、わたくしが背負っていたもの。王子様の婚約者という立場。そして、侯爵令嬢という肩書。

 なら仮に、わたくしを殺したところで敵の企みが終わらなかったとしたら。次には一体、何をするだろうか? 敵の狙いを正しく考えれば、この陰謀の行先ゴールが何なのか思い至れば、すぐにでも行きつけた答えの筈なのに。


「お……お嬢様、大丈夫ですか……?」


 もう無い筈の臓腑から、吐き気がこみあげてくる。


「……やられましたわ。わたくしではなく、侯爵家の方を優先して狙うなんて……」


 ……少なくとも、暗殺に関わる人間が、ここを使っていたのは確かのよう。

 リストはもう、粗方埋まってしまっている。そして、その最後に残された名前は……ヴァイスブルク侯爵。


「……お父様」


 もう、疑いようもない。この暗殺事件の終着点ゴールは、ヴァイスブルク侯の暗殺だ。今までの殺しは、そのための下準備と予行演習だったのだろうか?

 さて、問題なのはここからだ。もしも……このリストを私達ではなく、ヴァイスブルクの人間が見つけていたら?

 当然、激怒では済まないだろう。怒り狂って暗殺事件を告発するし、陰謀の全容が明るみに出れば、まともに行けばアッシェフェルトは取り潰し。けれど、まともに行くとは限らないのが貴族の間の常。アッシェフェルトが嫌疑を認めなければ、ヴァイスブルクとアッシェフェルトは直接矛を交えることになりかねない。戦争が起きる。

 では、侯爵……お父様が暗殺されればどうなるか。ただでさえ多くの人間を亡くした侯爵家は、最後のたがが外れて大きく弱体化し、領地は混乱状態になるだろう。どちらにしろ、暗い未来が待っている。

 リストを見返し、わたくしの兄と、まだ幼い弟妹の名前がないことに、せめてもの身勝手な安堵を覚える。


「……陰湿にも程がありますわ」


 敵の目的はまだ判然としない部分があるけれど。この国で大きな混乱を起こすことが狙いだと仮定すれば、それなりの辻褄は合う。

 そして……この陰謀が成功しても、失敗し露見しても、その時点でみ。唯一の勝ち筋は……


「先に暗殺を食い止めて、全部をなかったことにするしかない……」

「えええ……」

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