間章  魔女の森

  わたしは、今でも夢を見る。

  夢の中でわたしは森に居て。死にかけの狼を見下ろしている。

  そこから、すべては始まった。そこから、すべての過ちが。



 わたしがこの世界に召喚された時、周りには誰も居なかった。とうに捨てられた村の中にある、苔むした廃墟の教会で、わたしの新しい生活は幕を開けた。

 わたしが貰ったチート、「変生メタモルフォーゼ」は、生き物を作り替える力。あの女神さまとやらが、なんでこんな力をわたしに与えたのか。それはさっぱりわからなかったけれど。お陰で、食と住には事欠かなかった。

 木を作り替えて家を作り、木の実を作り替えて食べ物を作った。能力の危険さにはすぐに気がついた。この力は、なんでもできすぎる。ただの血の一滴で、木は鋼になり、木の実は毎日生え変わった。だから、生活のため以上には使わなかった。ゲノム編集なんて目じゃない水準で、あらゆる生命をほしいままに改造できてしまう力。強力過ぎた。

 そして何より……作り出したものは、わたしにも制御ができなかった。もしも、これを動物や人間に使ってしまったら。何が起きるのか怖かった。

 これは、巨大な爆弾と同じだ。だから、必要以上には使わなかった。使えなかった。勇気がなかった。例えば朝起きて、核爆弾のスイッチを渡されていたらどう思うだろう? 多分、ほとんどの人は見なかったことにするか、誰かに押し付けると思う。わたしは、前者だった。

 いきなり「これで世界を変えよう!」なんて思う人間は、異常者だ。


 けれどあるとき、わたしは、罠に掛かった狼を見つけてしまった。

 ……怖くて、見捨てることも、助けることもできなかった。野生動物は、所詮しょせん野生動物だ。助けたところを噛みつかれるかもしれないし、能力で治療するなんて以ての外だと、理性は訴えていた。けれどわたしは、見捨てることもできなくて。だから毎日、様子を見に行って。謝って。

 結局、狼は弱って、。何日も、蠅がたかるところ、動かなくなったところを見続けて。それからあとは、狼を見に行くことはしなくなった。

狼が息絶えて、わたしがもう様子を見に行かなくなってから数日後。動かなくなった狼の亡骸に、別の一匹の狼が寄り添っているところを見てしまった。

 わたしは、その時になって、ようやく気が付いた。わたしがいたから、あの狼……彼女は、彼に近づけなかったのだと。そう思った瞬間、見えない狙撃が、狼を射抜いた。狼はその場から逃げるように立ち去った。


 ……そうして傷つけられた瀕死のが、わたしの前に姿を現した時。わたしは、何としても彼女を助けようと思った。今まで封じてきた、おぞましい自分の異能チートを使ってでも。

 それは決して善意からではなく、狼の眼が「決してゆるさないぞ」と、わたしを責め苛んでいるように感じたから。わたしに復讐に来たように思えて、怖かったから。だからその時、わたしの中で、何かの歯止めが効かなくなったように思う。

 わたしは多分、命を選ぶのが怖かったのだ。


「……ウルリケ」


 わたしは狼をそう名付け、新たな生を授けた。

 ウルリケは……ウルリケは、復讐を始めた。狼を撃った狩人を狙い始めた。狩人の奮戦は、動物達の犠牲を増やした。わたしは動物達の目に追い立てられるように、彼等を改造なおし続けた。


 そうして転げ落ちるように出来上がったのが、魔王の領域。地獄の具現。獣と人間の力の関係パワーバランスが大昔へ戻った世界。ファンタジーゲームのような、人間が魔物に襲われる世界。それが鋼鉄魔狼と呼ばれた御伽噺おとぎばなしの正体。

 

 こうするしかなかった。けれど、こんなことが許される筈がないと思っていた。

 そして、わたしの願いの通りに。報いの日は訪れた。

 老いた狩人が連れてきた一人の青年。それが、わたしの過ごした森の終わりの形だった。顔も隠していたし、声と背格好くらいしかわからなかった。ただ。

 青年は、を携えていた。どう見ても、その辺の野党や傭兵のたぐいではない。この世界に来て、幾度か目にした魔法の力。それらと比べてすら破格の、戦う力。

 とても嫌な予感がして。わたしは息を殺しながら、森じゅうに仕掛けた監視の目から、獣たちのテリトリーに入へと踏み入る侵入者達を見つめていた。二人が最初に出くわしたのは、機械化された一頭の大きな熊……わたしがミシュートカと呼んでいた、数少ないお友達だった。

 川で魚を獲るのが大好きな。そして狩人だけなら、向こうが絶対に遭遇を避けていたであろう相手。けれど狩人の老人が反応するよりも早く、襲い掛かったミシュートカは光の剣に斬り捨てられた。


「これで即死しないとは驚いた」


 青年が、呟いた。


「言ったでしょう。この森の獣は、いつのまにかこうなっちまった。なんもかんも、魔女のせいだ」

「……変生へんせいの魔女、か」


 それを見て、わたしは一瞬で悟ってしまった……あれは、ダメだ。次元が違う。

 今までの、狩人と動物たちの戦いが、おままごとに見える程の圧倒的な暴力。本物の戦う人間。人の姿をした兵器。

 半ば諦めたわたしと裏腹に、一斉に森の空気が張り詰める。

 ウルリケの鳴き声と、呼応するような様々な動物たちの騒ぎ声。機械の軋む音。ジェネレータの唸る音。けれど、それをろくに気にもせず、彼等の会話は続く。

 わたしは、元居た場所せかいでそうしていたように。部屋の隅っこにうずくまり、ただガタガタと震えていた。

 その合間に、銃声と、雷の落ちる音が時折響く。ウルリケが狩人に喰らい付き、片腕を食い千切るのと引き換えに、銃で手傷を追った。

 動物たちの悲鳴が上がり、音が減る。その度に、わたしの心が削られる。

 やがて音が止み、静寂が訪れた時。


「これはもう、仕方ねぇ。こっちの力にも限りがある。ぞ、構わねぇな?」


 勇者はそんな恐ろしいことを言い出した。


「愛着はあるが……致し方ありますまい。侯爵様の狩場を護り切れなんだ時点で、儂はもう意見できる立場にはない」

「諦めが良いのが、長生きした年寄りのいいところだ。準備に少しばかしかかる。傷が大丈夫なら、時間稼ぎを頼むわ」

「……お任せを。最後の御奉公、しかと勤め上げましょう」


 銃声が幾つも響く。

 血まみれのウルリケが、わたしのもとへ駆け寄ってくる。わたしを引き摺り、「この場から今すぐ逃げろ」と伝えてくる。

 確かに。逃げるなら、あの剣士の動きが停まっている今しかない。ここで留まれば、きっと、誰も生き残れない。わたしに、生きる価値なんてない。でも、わたしには、責任がある。ここで死ねば、ウルリケ達の思いを無にしてしまう。

 今のわたしには、死ぬ資格すらない。だからここでは、死ねない。


「……ごめんなさい」


 わたしは、小さく漏らして駆けだす。


「……まぁ、あの犬っコロだけは。もしまた次があれば、絶対に容赦はしねぇですが」

「残念だが、その機会はねぇだろな。準備完了だ。爺さん、絶対に俺の前に出るなよ」


 風に乗って聞こえてきた、青年の静かな宣告に背筋が震える。

 ウルリケにうながされるまま、わたしは走って逃げる。遠くに、たくさんの雷の音が聞こえる。炎の嫌な匂いが鼻をくすぐる。振り返らずに、そのまま進む。


「雷装・■■剣」


 けれど逃げる途中、わたしは恐怖と後悔に駆られて、一度だけ振り返ってしまった。そこで、わたしが目にしたものは、たぶん神話の光景だった。光と闇、昼と夜の境界が、龍のように稲妻を迸らせ、生き物のように動き回りながら山を焼いている。

 雷鳴、動物達の叫び声、「何か」が弾ける音。わたしの創造が作り出した地獄を、終わらせるための。死滅の世界がそこにあった。


 ……わたしに力があったなら、あれを止められたのだろうか?

 ……違う。わたしに力があったから、そもそもこうなったのだ。

 が、この世界にあっていい筈がないのだと。わたしは、その時強くそう思った。

 けれど、もし。もしわたしに次があるのなら。悔い改める機会があるのなら。わたしは、決して逃げずにいよう。今度は、今度こそは、きちんと最後まで責任を取るために。


 これが、わたし、くれない 一叶いちかの話。後悔と苦痛に満ちた、わたしの物語。



◇ 次章 第四章『狩人の章』 ◇

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