3-5

 けれど、

 彼の胴は、少し前のわたくしと同じように両断……されてはいなかった。それどころか、傷さえない。

 剣の刀身は、彼自身に吸い込まれるように消えてなくなっている。


雷装らいそう鎧転がいてん……奥の手がなければ、死んでいたなぁ!」


 勇者がえる。彼の身体が背後の翼と同化し、バチバチと稲妻をまき散らしている。

 身体に纏う翼や、さっきのような壁ではなく。体そのものを、雷に変えて攻撃を防いだ……? これが、雷霆勇者の本来の力?

 いや、それ以上に絶対に不味いことがある。身体そのものが雷になっているということは。たぶん、稲妻の落ちる速さで動けるということ。今、彼を離せば、絶対に追い付けない。それどころか、わたくしを容易く振り切って。ベニーチカだけを狙える。

 願いはむなしく。勇者の速度は、わたくしの目すらも振り切った。


「魔王は……! 選ばれし勇者によって倒されなければならない!」


 再び、彼の手に戻った光の刃がベニーチカへ向けて唸りを上げる。


「やめて」


 わたくしは、そう小さく叫ぶことしかできなかった。


「ただの貴族の令嬢が、ただの召喚者が、選ばれしものに勝てる筈がねぇ!」


 己を鼓舞するように、勇者は叫ぶ。きっと、それが彼の本音なのだろう。それは、間違っていない。人は立場によって育てられるもの。その矜持が彼の強さを育んだのであれば。

 いや……もし間違っているにしても、貴族という立場にあったわたくしが、そのほこりとおごりをめられよう筈はない。


 それで? だから、これで諦めるのか? ただ、足を竦ませたまま、惨劇を見過ごすのか?

 正義があるからと。あるはずだと。それで、自分を殺してしまっていいのか?

 それは、別のおごりだ。正しくあるために、全てを差し出してもいいという思い上がりだ。


「……過ちを、犯したとしても」


 かつて、わたくしにも驕りはあった。今も、あるのかもしれない。それが誇りと表裏を一つにしているとしても。だから、彼とわたくしは、或る意味では似ているのかもしれない。


「悔い改める機会すら奪われるのは、それは、傲慢というものでございましょう」


 たぶん違うのは、そのおごりに気付けたこと。その機会チャンスがあったこと。

 異世界に招かれ、ある日、選ばれし存在になったもの。

 この世に生まれ落ちたときから、選ばれし存在であるもの。

 どちらが優れているか、どちらが険しい道なのか。そんなことは問題ではない。そもそも、異世界から来た客人の旅路なんて、想像すら及ばないけれど、けれど、確かなことは。生まれついたわたくしと違って。


「貴方は……その道の始まりでは、その驕りがあることをご存知だったのでしょうに。弱きをいたわる心のとうとさを、おわかりだった筈でしょうに」


 ベニーチカはまだ、無事だ。勇者の動きは、まっている。


「こうして同胞を、手に掛けるのですか」


 その、とどめの一言で。勇者の注意が此方に向いたのを感じた。


「いいぜ、先に死にたいなら。魔女よりも、テメェのその妄言が耳障りだ……一撃で潰す! 雷装・轟雷剣‼‼」


 刀身が再び膨張する。光の柱が天を衝き、真昼のような明るさが、一瞬王都を照らす。


「あわわ……あんなの、街中で使ったら……!」


 ベニーチカがわたくしの後ろで慌てている。こんな戦いをしてしまえば、隠し立てもなにもない。

 もう、敵を倒して口を封じる、なんてことでは済まない。わたくしの存在は、今日この日で明るみに出ると。そう思った方がいい。

 そしてわたくしは、ベニーチカの言伝を思い出す。この身体を託された時の言葉の続き。

『……あの能力、キャパに限界があります。きっと、上手くができないんです』

 充電、と言うのは、よくわからなかったが。操れる雷の量に限りがある、ということらしい。だから、一気に勝負を決めようとしているのだろうか。

 けれど、此方の武器は通じない。敵の武器を奪っての攻撃も、防がれた。あの身体の前では、殴る蹴るのようなダメージは意味がないと思った方がいいだろう。

 ダメージを与える方法以前に。何よりまず、相手が飛び回る速度に追い付けない。鎖ですがるのも破られた。

 ……後はもう、敵が斬りかかるところを狙うくらいしか思いつかない。それは、あの剣の前に身体を差し出すということ。そして、彼の本気の攻撃は、目で負えない。つまり、残る道は一つきり。

 胴体が二つに別れる、嫌な感触を思い出す。流石にこの身体が両断されるとは思わないけれど。思いたくはないけれど。たぶん、間違いなく、ただでは済まない。でも、それが、信じるに足る道であれば。

 拳を構え、勇者に向かって一歩を踏み出す。ただ、ひたすらに。まっすぐに。


「最後は突っ込むしか能がねぇたぁ、残念だ……!」


 わたくしは、兵士でも騎士でもない。元々戦う人間ではない。だから、こうでもしないと。いつどこから攻撃が来るのか、わからないのだ。

 幾つもの雷が飛んできて、身体を軽い痺れが襲う。もはや勇者は、そこに在るだけで、呼吸するように雷霆らいていを吐き出している。だが、これはまだ序章にすぎない。


「我が剣は、世界の均衡を保ち、悪を断つ刃なり……雷装・轟雷剣ライトニングザンバー!!」


 そして、詠唱と共に本命の斬撃が来る。それは、もはや剣というよりも光の嵐。動く昼と夜の境界。ただ、範囲が大きい分、追いやすい。攻撃を避ける代わりに、鎖を飛ばす。勇者へではなく、今度は、自分の周りに花弁のように。

 真昼の明るさの雷が、一瞬、見慣れた王都を照らし出す。かすった石造りの建物が、チーズのように溶けて割れて斬れていく。全てを焼き尽くす光の剣。山一つを丸ごと潰した、というのは、きっと比喩でも誇張でも何でもない。

 深く、息を吸って、吐き出す。為すべきことは。恐怖に打ち克ち、身を差し出すこと。彼女の作った、この鋼の身体を信じること。わたくしは、鎖を引き摺りながら更に一歩、踏み込む。剣の軌跡の中に、身を捧げる。

 あの光の剣の正体は、沢山の雷を押し固めたもの。雷は鎖を通り、。けれど、それで生まれた光熱までなくなるわけではない。

 鉄のはだが溶けてゆく。剣が私の芯を目掛けてめり込んでいく。


「っ……づぅ……っ!」


 それは、或る意味では断頭台よりも激しい苦痛。自分の命が、じりじりと■回目の死に近づいていく■悶。まるで他人事のように、切り落とされた腕と髪、わたくしを構成していたものが剥がれ落ちていく。けれど。まだ、わたくしの身体は繋がっている。勇者の剣は、今この時だけはまっている。

 だから、


「……今度こそ。捕まえましたわ」


 わたくしの勝ちだ。

 轟雷剣とやらの一撃は。確かにわたくしの身体を切り裂き……そして、半ば程で停まった。

 勇者は、驚愕に染まった表情で固まっている。わたくしが剣を受けたことと、そして、この身体を両断できないこと。その両方に。


「逃がし……ませんわ」


 ダメ押しに、温存していた最後の鎖二本を、勇者の胴に巻き付ける。

 この身体は雷を通す。今の勇者は雷そのもの。

 これでもう、勇者は逃げられない。ここで、わたくしの中身を焼ききって、とどめを刺しきるほうが安全だから。


「逃げる……ものかよ! 勇者は逃げない‼」


 きっと、そこには合理だけでなく。彼の意地もあるのだろう。

 体中が、軋みを上げている。身じろぎをするだけで、黒い液体があちこちから漏れはじめている。残された片腕を、無理やり持ち上げる。


「まだ……動くのか……!」


 勇者が再び驚愕の声を上げる。けれど、残念。もう、それを振りかぶる力は微塵も残っていない。でも、それでいい。

勇者を捕らえる鋼の戒め、二本の鎖を巻き上げる。断頭台の刃のように、勇者の身体を引き摺って。拳の場所ちょうどへ、彼の顔の方からやってくる。


「感謝いたしますわ」


 幾度も幾度も、雷の魔法をこの体に落としてくれて。おかげで、忘れてしまっていたものを思い出せたから。この身体は、人間だった時とは、力の流れ方が違うだけ。血統魔法の炎は、まだ、この身の内にある。

 勇者の頭を、鋼の握力で締め上げる。その力を、腕に込める。あの「スマッシャー」の時に感じた感覚の欠片。あれは、思えば。わたくしに残された神秘の欠片だったのかもしれない。


「ま、待てよ、オイ……!」

「悪役令嬢……インフェルノ」


 花のような炎が、腕の先からほとばしる。懐かしいわたくしの炎。わたくしの魔法。

 勇者はゆっくりと崩れ。力を失った剣が、カラン、と石畳に転がった。


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