3-4

 再びの、夜の広場。今回はもう、感傷が湧いたりはしなかった。

 その中央で、勇者は一人、ぼうっと空を見上げていた。

 それは、まるで、壊れた機械のようで。前回の殺気だった姿とはかけ離れていたけれど。

 それでも。あれは、「勇者」なのだと。わたくしは思い返し、深呼吸し、緊張を払う。


「……勇者様」

「……ん? ああ、侯爵令嬢殿か」


 わたくしは、声をかける。勇者が振り向く。


「『変生』の魔女について。お伝えしたいことがあって参りました」

「ああ……この辺に居るとは思ってたが……接触でもあったか?」


 わたくしだけが先に出たのには、そして、わざわざ勇者にもう一度接触することを決めたのには……別の理由もある。やっぱりわたくし達には、まだ仲間が必要だから。


「その件については、誤解がございますの。そもそも彼女は……魔女は、少なくとも世界に、この国に、人々に。危害を加えるような意志を持っていないのです」


 ベニーチカは決して頷かないだろうが……もし上手く話を運べば、勇者が義の心を持っているのであれば。彼を味方につけられるかもしれない。そう考えたのだ。


「……そんな戯言を口にするために、此処へ来たのか?」


 勇者の目つきが険しくなる。


「戯言ではございません。わたくしはただ、冤罪や誤解で命が失われるところを、これ以上見たくないだけです……わたくしが、此処で断頭台にかけられたように」


 それは、それだけは、嘘偽りのない言葉。


「……魔女が王子に利用されてる、とでも言うのか?」

「王子様のしていることはご存知ですの?」

「この国の政治には興味ねぇって言ってるだろ!! 知らねぇよ!」


 その言葉は、自分に言い聞かせているようにも聞こえて。心を閉じようとしているようにも聞こえて。だから、わたくしは必死に言いすがる。


「彼女は、あの子は、確かに一度道を間違えました。けれど今のわたくしたちは、この国を脅かす敵と戦っています。この世界を正すために。だから貴方も、できることなら、わたくしたちの仲間に……」


 勇者はわたくしの言葉を遮る。


「わかった、わかったよ」

「わかっていただけたのですか」


 いや、これは「わかっていない」。わたくしは、また間違えた。力がないから、正しいことができないと。そんな言い訳をして、一度引き下がった。わたくしはきっと、あの鋼の体ちからを手にしたことで、それに依存してしまっていた。結果が、これだ。

 だから、せめて取り返すように。彼の前に、一歩足を踏み出す。次の瞬間、光の大剣がわたくしを斜めに切り裂いた。


「ぐっ……あああ……!」


 雷が臓腑ぞうふを掻きまわす。内側が焼けるように熱い。

 そうか、この身体の内にも、痛みはあるのだ。いるのだと。ひどく場違いなことを思う。


「このレベルの貴族すら、魔女の手先にちてるなんてな。本当に油断ならねぇ」


 相手が貴族でないなら、まだ安全だと思っていた。敵でないなら、もしかしたら仲間になれるかもしれないと心を許していた。いや、それ以前の問題だ。力がないことを言い訳にして、わたくしは正しくないことをした。

 ……わたくしは、なんて莫迦ばかなんだろう。


使がやられりゃ、主が顔を出すだろう。あの女が幾ら臆病でも、お気に入りを放っておけるほど図太くはねぇだろ。生きたまま餌になってもらおうか」


 しくも同じ場所で、わたくしは再び死を想う。それは多分二度目なのに、もう何度も、同じことを繰り返しているような気もする。

 ……彼女は、来るだろうか? 来ないでほしいけれど。できることなら、そのままどこかへ逃げて欲しいけれど。きっと、来てしまうのだろう。

 視界が、ちかちかと星のように瞬く。意識が途切れそうになる。人は死んだら、どうなるのだったか。神様の国に行くのだと、教わった気もする。


『人は、死んだらお星様になるのよ。■■■』


 誰かに、どこかでそんなことを言われた気もする。お母さまだっただろうか。でも、わたくしのお母さまは……


「……不思議な女だ。お前は、オレ達と同じ匂いがする」


 勇者の声が、遠くに感じる。慈しむような、憐れむような、そんな声。その時、


「ウルリケ!! やれ‼」


 対照的な殺意に満ちた声とともに。鋼鉄魔狼が勇者へ飛び掛かる。


「不意打ちとは、舐められたもんだなァっ‼」


 勇者が光の剣でウルリケを弾き飛ばす。それでも尚、狼は勇者に喰らい付こうとする。


「……まて。一度退いて」


 それを、少女が制止する。


「思ったよりも、早かったですのね」


 こうして彼女に助けられるのは、二度目……いや、三度目だろうか。どうにも、恰好がつかない。


「……来たか、魔女!」


 すごく嫌なものを見るような視線で、ベニーチカは勇者を見ている。彼女と勇者の因縁を考えれば、無理もない。


「……わたしは、二度と会いたくはありませんでしたよ」


 かたわらには、ウルリケと。そして……彼女達が引きってきたであろう、巨大なひつぎ


「久しぶりだな、犬っコロも。暫く見ない間に随分男を上げたじゃないか」

「この子、メスなんですけど……」

「鋼鉄魔狼。あんたの最高傑作だろう? 今度こそ、存分にやり合おうじゃn」

「ウルリケ、ビーム!!」

「ワオン!!」


 勇者の台詞を遮り、ヒュパン、と光の筋が彼を目掛けて走る。


「うおっ、アブねぇ!」

「な……何か出ましたの⁉」

「ビームです」


 ビームとは。

 よく見れば、ウルリケの目から白い煙が立ち上っている。あそこから出たのかしら。


「ウルリケ、時間稼ぎをお願いします」 

 疑問を持つ間もなく。そう言い伝えたベニーチカが、わたくしのところへ駆け寄ってくる。


「……また、助けられましたわね」

「それはこっちのセリフです。わたしのこと、庇ったんでしょう……わたし、これでも少し怒ってるんですよ」

「また、わたくしが騙されそうになったこと?」

「いいえ。お嬢様が、またボディを壊してきたことです。折角直したのに!!」

「もう少し他に言うことはございませんの……⁉」

「冗談ですよ。ありがとうございます」


 彼女は笑う。あんな強敵が近くにいるのに、もうそんなことはどうでもいいかのように。


わたくしも、怒っておりますのよ? こうしてノコノコと出てきて」

「ふふ……首だけの人に怒られても、怖くないです」


 そう言って、彼女は首だけのわたくしを抱きしめて。


「……ずっと、最初の時から、お嬢様が戻ってこないなら、それでもいいのかな、って思っていました。もしかしたら、わたしを売って、あのクソったれな勇者と一緒に戦うのかなって」

「言葉が汚いですわよ、ベニーチカ」

「すみません……」


 とはいえ、勇者を仲間にできないか考えていたのは事実なのだけれど。だから、


わたくしも貴女に謝ることが……」


 そう言いかけた矢先、耳をつんざく、落雷の音。


「別れの挨拶は終わったか?」


 雷を受けたウルリケが、足を宙に向けたまま仰向けで痙攣している。勇者はまだ、そちらから目を離さない。あと、服のところどころが焦げている。どうやら、ウルリケは限界まで頑張ってくれたらしい。


「いえ。ここから始まるんですのよ」


 そして、そのウルリケが抱えて(というより、引き摺って)きたもののところへ私達は向かう。そこに納められたものが、わたくし達の万一の備え。できれば、使わずに備えたかったけれど。開かれた棺の中にあるものは……首のないわたくしの身体。鋼鉄の力。

 ベニーチカは、身体のあるべきところにわたくしを据える。


「……前回の反省で、ロケットパンチの回収機構を付けました。スカートのフレームほねから鎖が出ます。使いこなしてください」

「……ええ」

「それと……あの勇者の力。わたしは一度見ています。多分……」


 その先を聞いて、わたくしは頷く。前よりも身体は軽い。動かし方も、もう解っている。これなら……!


「……おいおい。なんだ、そりゃ……」


 鋼鉄の身体を目にして、勇者が驚愕の声を上げる。


「カッコいいじゃねぇか……!」

「……貴方あなたに褒められても、別にうれしくありませんけど。こっちが、今のわたしの全力です」


 ジトっとした視線を向けたまま、ベニーチカは返す。


「お色直しを待って頂き、感謝致しますわ。意外と紳士ですのね」

「……その身体、見ただけでわかる。スゲぇモノ持ってるじゃねぇか。戦いたくてしょうがねぇ」


 勇者サキミは、興奮している様子だった。ベニーチカの起こした騒動のような事件こそあれ、基本的に、この国は平和なのだ。強者との戦いを求めるさがならば。さぞかし退屈していたことだろう。


「前言撤回。はしたないですわ」


 勇者とは、この国の最高戦力を指す。かつては魔王を倒した者の称号だった。魔王という存在が御伽噺フェアリーテイルの彼方に消えても。その名だけは最強の証として受け継がれてきた。

 けれど、負ける気はしない。彼女の信頼が宿っている、この身体ならば。


此方こちらも少し……はしたないですけれどっ!」


 わたくしは大地を跳ね、勇者目掛けて蹴りかかる。鋼のスカートの間から鉄の脚を踊らせて。そして、


「悪役令嬢……スティンガー!」


 脚が展開し、膝から腕ほどの太さの杭が高速で射出される。


「おまけに全身武器だらけか……!」

「ぐうっ……!」


 だが、浅かった。剣に攻撃を防がれ、カウンターで雷の魔術を叩き込まれる。跳ね飛ばされるわたくしの体。身体の中をかき回される感覚。痛みと、そして……忘れていた何かを思い出しそうな、むずがゆさ。

 速さでは分が悪い。距離が詰めづらい。なら……


「悪役令嬢……スマッシャー!」


 遠距離からの攻撃。回転する両腕。『ラプンツェル』と戦った時の、とどめの技。しかも、今度は二発同時。しかし、


雷装らいそう歪壁わいへき!」


 飛翔する腕の軌跡は。雷の膜のようなもので弾かれ、捻じ曲げられる。


「その鉄でできた身体は、オレの能力と相性が悪い。電磁力かみなりのちからで飛び道具は止められる。こっちの雷は、そっちのを焼ける」

「そのようですわね……!」


 スカートの裾から鎖が飛翔し、明後日の方向に転がるわたくしの腕を回収する。

 前回の『ラプンツェル』戦を参考に、ベニーチカが追加した新装備。スカートの裏側に付いた鎖の糸巻ウィンチから、アンカーの付いた鎖が伸びる。危うく、腕なしで戦う羽目になるところだった。

 だが、スマッシャーが決め手にならない。他の武器も、ないことはないが、射程や威力に不安が残る。かくなる上は……強引にでも、距離を詰めるしかない。

 これが、勇者。これが、本物の召喚者。なんてごわい。


「……マジで何なんだ、その身体」

「彼女の傑作ですのよ。とくと御覧なさいな」

「貴族のお嬢様には過ぎた玩具だろ。召喚者と互角にやり合える武器なんざ」

「でも貴方、本調子ではないのでしょう?」


 最初、わたくしはずかしめた時の攻撃は、本当に見えなかった。その事実は、この身体になっても変わらない筈。なのに、先程までの彼の動きはだった。


「ああ……そいつは! 雷装らいそう迅雷剣じんらいけん!」


 曇天どんてんに雷鳴がほとばしる。その稲妻を受けて、雷の剣が一回り肥大化し、稲妻の如く枝分かれする。


「もう加減はできねぇぞ! だから、大人しく魔女を渡せよ!!」

「お断りですわ‼」


 ……もし、何もなければ。わたくしは彼女を国に引き渡していたかもしれない。ベニーチカの言う通り、勇者と組んで、この国の闇に立ち向かっていたのかもしれない。

 けれど、今となってはもう無理だ。わたくしは殺されて、蘇ったわたくしは屍の山を越えて、彼に、王子様に再び会いに行く。そのためには、

 高速の斬撃がわたくしを襲う。直前で避けても、剣の一部がかすり身体の一部パーツが斬り飛ばされる。直撃でなくともこの切れ味なんて。


「お前だって、わかってんだろ。その気になれば、あの女は……になるかもしれねぇ器だぞ!」


 魔王。それは、昔々のとぎばなし。すべての人々に対する脅威。

 人ならざる異形を傀儡とし、世界を蹂躙したあかい瞳の魔王。最後には召喚勇者に討たれたというが……その力だけを見れば、確かに彼女に通じるところがあるかもしれない。

 そういえば、ベニーチカの瞳。ほとんど黒だけれど、よく見ると暗い赤が混じっていた。何か関係があるのかしら。

 けれどそんなことは関係ない。わたくしの心は変わらない。というより勇者の心の内が聞けて、むしろ良かったと思っている。


「貴方が正義を掲げてくれるなら。これで、わたくしは戦いやすくなりました」


 彼はきっと、わたくしの「敵」の仲間ではない。

 彼が、強者と戦う、というような我欲だけでなく。まして、童話怪人を操る敵のような、得体の知れないはかりごとでもなく。少なくとも、彼なりの自分の正義で動いていると確信できたから。

 ならわたくしも戦うだけだ。彼女のゆるしのためと安寧あんねいのため。それが今のわたくしにとっての正義だから。


「お互い大義があるのが正しき争いというもの。それに……」


 だから、とびきりの笑顔を、わたくしは彼に向ける。


わたくし、悪役には少々覚えがございますの」


 次の瞬間、勇者の身体に鎖が巻きつく。不意打ちは、どうやら成功したようだ。


「なっ、テメェ! 卑怯だぞ!」

「悪役令嬢……ウィンチハーケン!」


 知らぬ間に、叫んでいた。スカートの先から、勇者の方へと幾本もの鎖が伸びている。本来は先程のように、悪役令嬢スマッシャー……ベニーチカ曰くのロケットパンチの回収に使うものだけれど。こういう使い方も、できる!


「空の上には行かせませんわ!」

「このまま引きり殺す!!」


 巻きついた鎖を引き摺りながら、雷霆勇者は飛翔する。


「重い……! なんて重さだ!」

淑女レディに向かって失礼ですわよ!」


 鎖を、じわりじわりと手繰り寄せる。なんとしても、勇者の喉元に喰らい付く。


「淑女ってガラか!! なら! コイツを喰らえ!!!」


 鉄の鎖を伝って、雷の痺れが流れ込んでくる。電撃で何かが焼けこげる嫌な感触がする。

 でも、まだ動ける。動けるけれど、足は一瞬、すくんでしまう。

 その一瞬の間に、鎖が緩む。勇者が縦に反転ロールし、剣を構えている。

 わたくしは慌てて壁を蹴……ろうとしたが、陥没した煉瓦に足を取られる。


「しまっ……!」


 見えない速度の剣閃。本気の太刀筋。断ち切られた鎖がハラハラと落ちていく。拘束を解かれた。その勢いのまま、彼はわたくしの方を目掛けて突っ込んでくる。

 けられない。剣の先が見えない。剣が一番遅いのは、根本のところ。そこなら集中すれば、見えるかもしれない。

 いや、見えなくてもいい。あの剣を、わたくしは一度受けている。わたくしの身体が覚えている。わたくしに向かってくるものだけわかればいい。時の流れが一瞬、遅くなる。頭の中の時間が引き延ばされる。これがたぶん、唯一のチャンス。

 刹那、走馬灯のようにわたくしは友人のことを思い出す。


あの子シナルほど繊細には、できないけれど……っ!」


 集中。鎖の軌道をイメージし、再び射出する。

 己に向かう鎖を、彼は再び剣で焼き切ろうとする。しかし、その直前でわたくしは体を捻り、その軌道を強引に引きずる。鎖がむちのようにしなる。

 そして、鎖は狙いあやまたずに絡みついた。


「迅雷剣が……っ!」


 鎖に引き摺られ、大剣は光を放つまま、勇者の手を離れ空中でぐるぐると回転する。

 わたくしの手がそれを掴み取る。今のわたくしの武器では、彼を倒すことはまだ叶わない。けれど、


「貴方ご自身の力ならば、どうかしら……っ!」


 同じ、神秘の力であれば。

 意趣返しのように、彼の胴を目掛けて刃を振るう。

 雷の一瞬の激しさを集めた光刃こうじんは、またたき、そして己の主へと突き刺さった。

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