3-2

 見上げた先には、黒衣の男が、空中に静止していた。

 その背中から生え、バチバチと音を鳴らすたずさえた

 その力。魔法に似て、魔法にあらず。個の行使する力の枠組みを超え、血統魔法の原理を逸脱し、禁忌を犯しても叶わぬ万能に届きうる女神の奇跡。故に人はそれを、異能チートと呼ぶ。

 誰もがひと目で理解する。こんな生き物が、この世界に居ていい筈がないのだと。だって、あれは。ベニーチカと同じ。


「……異世界からの、召喚者」


 見られている、と確認する暇もなく。雷の破裂音だけを響かせ、男は広場に舞い降りる。

 あの見紛いようのない雷撃。わたくしは、彼を知っている。


「……。ご健勝で何よりでございます」


 サキミ・アカリ。人呼んで、雷霆らいてい勇者ゆうしゃ。この国がようする、最強の召喚者。あとは確か、生粋の戦闘狂バトルマニアとか何とか。


「侯爵令嬢殿も、まぁ化けて出た……って雰囲気でもねぇな。処刑されたとは思えない元気さで、何よりだ」


 金色の髪を持つ線の細い青年は、豪快に笑い、わたくしの肩をポンポンと叩く。

 この国に居る召喚者は、何もベニーチカ一人きりというわけではない。この国、この世界には、時折異世界からの客人まろうどが訪れる。彼ら彼女らは、時に強大な戦力を持ち、時に世界を変える技術や文化をもたらす。

 味方にすれば恩恵は大きい一方で、万一他国の手に渡れば厄介極まりない。だから肝心なのは、その首に鈴をつけること。だから召喚者は、この国では下級貴族に匹敵する扱いで厚遇される。更に、功績著しい者は「勇者」と呼ばれることもある。それが彼だ。

 ……どうも、ベニーチカはこの辺りの事情を知らなかったようなのだけれど。


わたくしにも、色々と事情がございますの。生きていることは伏せて頂けると……」

「相変わらず堅苦しいな。アカリでいいってのに。わかったよ、貴族同士の面倒事に首を突っ込む気はねぇ。そのへんは誤魔化しとくさ」


 わたくしも、王子様の近くに居た以上は当然、勇者ともそれなり以上に面識はある。

 王都に近付けば、知り合いに遭遇するリスクくらいは考えていた。けれど、いきなり、こんな大物ばけものに出くわすなんて……しかし、これはチャンス……なのかもしれない。

 この国を侵す闇。王子様と、その周囲の敵。もしかしたら、彼ならば……それを倒すための仲間になってくれるかもしれない。嘗てのわたくしなら、選ばなかったであろう道。けれど、ベニーチカと共に戦うことを受け容れた今ならば選べる道。上手くすれば、この国の最高戦力が味方になるかもしれないのだ。

 けれど、その前に一つ、解消しなければならない疑問がある。

 どうしてここに? 彼が?


「どうして王都に……? てっきり、領地を頂いて『すろーらいふ』とやらをされていると思っていたのですけれど」

「結局、隠居は性に合わなかった。振るいどころのねぇ力は寂しいからな。そもそもこの世界、電気ねぇし。ゲームもできやしない。それに……」


 思い返すのは、シナルが戦いの中で口走っていたこと。「召喚者が他にいる」。どういう意味だったのかまでは、わからない。けれど「自分たちの側にも召喚者が居る」という意味だったら。彼が、そうだったとしたら。

 王子様との距離。敵の存在。彼が、勇者が、あちら側にくみしていないという確証はない。

 そして、童話怪人を作り出した異能。別の召喚者の存在。雷を操る彼の能力ではできないと思うが……。何か、他の召喚者についてつかんでいることがあるのかもしれない。


「今はいるんだろう? が。そいつが気になってな」


 しくも、考えていたのと同じ言葉をかけられて。わたくしは会話に意識を引き戻された。


「……召喚者同士で戦いたい、とでも?」


 いかにも、戦闘狂バトルマニアと名高い彼の言いそうなことだが……唯一心当たりのる彼女ベニーチカは、とても直接戦うようなタイプではない。どうしたものか、と思っていると……。


「いや……死人相手なら、話しても問題ねぇか……」


 意外にも、勇者は頭を掻きながら、やりづらそうに語りだした。


「北方の辺境の村で、化け物の軍団を作り出した『変生の魔女』というのがいる。間違いなくチート持ちだ。放置しておけない」

「……それは、もしかして。例の鋼鉄魔狼事件のことですの?」

「あぁ、上にはそう報告したんだっけな。かなり情報を抑えてあるが、いつのまにか山の中が化け物だらけになっててな。斬っても撃っても倒れない。なますにしても蘇ってくる。結局、このけんで山ごと焼いた」


 彼はそう言って、光の剣を軽く振ってみせる。


「山……ごと……?」


 聞いていた話と、随分が違う。彼の能力なら、できないことではないのかもしれない。しかし……

『もともと、山奥の村に隠れ潜んでいたけど』

 他ならぬベニーチカが口にしていた言葉が、脳裏を駆け巡る。


「ああ。おまけに魔女は、人間に恨みを持つような獣をって改造してた。そのせいで、村が幾つか滅びかけた。放っておいたら、アッシェフェルトの氷雪要塞コキュートスまでやって来かねねぇ勢いだったぜ……」


『……ううん、人間は使ってない……鹿さんとか狼さんとか、そういうのだけ……』

『だって、罠にかかった狼さんが可愛そうだったから……』

 思えば。もう少し、「彼女は不味い」と感じた、自分の勘を信じるべきだったのかもしれない。

 けれど……切っ掛けは勇者の過小報告とはいえ、わたくしは、彼女が何者なのか、考えることをおこたった。わたくしは、彼女の能力については知ろうとした。けれど、肝心の彼女という人間に、その過去に目を向けることを怠ったのだ。

 見ようによっては、人体の改造と、死者の蘇生に近い禁忌魔術。危険な力を持っていることはわかっていた筈なのに。彼女自身にすら、聞かされていた筈なのに。無意識に、「自分を助けてくれたのだから、善い人なのだろう」と。そんなところで思考をめてしまっていたのかもしれない。

 そして、彼女に問えなかった最後の気掛かりのこともある。


「ところで……」


 その時、話が止まり、勇者はわたくしの方を見つめる。

 貴族という生き物は、他人の視線に敏感で、鈍感だ。嫉妬、怨嗟、羨望、哀願、恭順、恋慕、忠誠。あらゆる視線を受ける生き物であったわたくしには、わかった。それはもはや、人に向ける目ではなかった。


「……その身体からだ。誰に貰った?」


 刹那せつな、光の剣がわたくしへ突きつけられる。外套が両断され、地に落ちる。筋が入った丸い関節。陶器のような肌。一見して人間と変わらない、けれど間近で目にすれば「違う」とわかってしまうわたくしの今の身体が、あらわになる。


「……あの獣どもと同じ、か……まさか、生身なのは首から上だけか……?」


 攻撃の軌跡きせきが全く見えなかった。『ラプンツェル』の髪の速度と比べてすら、次元が違う……これが、召喚者の極点きょくてん。勇者の異能。

 恥じらいよりも、怒りよりも。おそれが真っ先に湧いて出た。


「別に、取って食おうなんてワケじゃない。アンタは大人しくしてるなら、見逃す。この国の政治に興味はない。異邦人のオレが口出しするのも違うからな。生きてることも告げ口はしねぇ……だが、大本の魔女は放っておけない。オレと同じ世界に原因があるなら、なおさらだ」

「……」

「だから、隠し立てするなら……ここでもう一度、死んでもらう。魔女は、どこに居る」

「……わかりませんわ」


 震える唇からどうにか絞り出せたそれは、ある意味では嘘偽りのない言葉。


「『変生の魔女』なんて、聞いたこともございませんもの」


 確かに、知らなかった。聞かず、考えたことも無かった。彼女の口にした言葉の真意を。

 人の言葉の裏を読むなんて、当たり前のことだった筈なのに。彼女に対しては、それができずにいた。そして今、ようやくわたくしは考える。わたくしは、一体、何に助けを求めてしまったのだろうか? ということを。


「……そうか」


 その言葉に真実を感じたのか、それとも、これ以上問い詰めても無駄と思ったのか。勇者は、光の剣を収めた。


「魔女のすることだ。そりゃ、暇つぶしに死人を蘇らせもするだろな……でも、活動の痕があるのは間違いない。知っていることは、話して貰わねぇとな」

「……その前に。どうして、勇者様は魔女を追っておりますの?」


 単に、「魔女と戦いたい」とか、「同じ世界の出身だから」では弱いような気がして、わたくしはそう尋ねる。


「ああ……あの能力は、危険すぎる……その気になれば、一人で幾らでも軍勢を手に入れられる力だ。野放しにされていいもんじゃねぇだろ」


 ……わたくしが望んだ答えではなかったけれど。一つ、代わりにわかったことがある。確かに、この勇者が言っているのは、多分、理論の上ではできることだ。

 わたくしは、彼女の能力の中身を知っている。「今」の人となりも……見誤ったとはいえ、それなりには知っているつもりだ。わたくしの身体すら、治すのに時間のかかる力。あの臆病で人を遠ざける性格。

 この勇者は。彼女のことも、彼女の能力のことも、きっとあまりよくは知らない。できること、起こったことだけに目を向けて。その根本を見ていない。

 多分、ベニーチカと同じく、もともと他人にあまり興味を持たないたちなのだろう。

 召喚者が皆そうなのか。そういう人間が選んで召喚されているのか。それとも、別の世界に召喚されることで、現実感のようなものが削げ落ちてしまうのか。それはわからないけれど。まぁ、なんと言うべきか。実に、素直なものだ。だから、なる。


「そっちの番だ。魔女についての手掛かり……そうだな。なんでそんな身体になったのか、聞かせて貰おうじゃねぇか」


 彼等、彼女等は、貴族という生き物に慣れていない。言の葉一つで、人が死ぬ以上の惨事を引き起こす生き物のことを、知らない。

 わたくしは、これまでのいきさつを話し出す。冤罪のこと、処刑の事。そして、


「……わたくしは、あの時、王子様に、救われましたの」


 嘘は、言っていない。最期のあの瞬間。わたくしは確かに。彼の姿に、微かに救われたから。


断頭台ここで首をねられた後。気が付くと、命を助けられていて」


 敵が、ベニーチカと似た異能を持っている、という確信はある。勇者が敵の一味ではないのなら。そちらに釣られてくれるはず。


「……気に入らねぇな。魔女の件、王子の野郎が絡んでるのか……?」


 嘘をつくわけではない。真実を繋ぎ合わせて、別の真実を相手に誤解させる程度のことは、わたくし達にとっては基本中の基本。


「……トーレ男爵のことは、ご存知ですの?」

「……なんだそりゃ。話せ」

「シナル・トーレ。わたくしのお友達は、童話怪人メルヒェン・ファントムとかいうものに改造されておりましたわ。たぶん……わたくしと、同じように」

「……!」


 そう。そしてこれが、わたくしの最後の「気がかり」の正体。目を逸らそうとしてきた咎。

 わたくしを作り替えた、ベニーチカの異能チート。シナルを変えた、敵の力。この二つが、仕方ない。異能チートとは、比類なきもの。少なくとも、同時期に似たような異能チートが二つ存在する、というような話は、過去の伝承ですら聞いた覚えがない。

 つまるところ、あの童話怪人に。ベニーチカの力が何らかの形で関わっているのではないか? という疑念。わたくしですら確証できない情報の欠けが、致命的な誤解を生む。わたくしは、それをただ見過ごせばいい。

 それにしても、シナルの顛末てんまつを知らないということは。勇者様は敵ではないのだろうか。それとも、まだ情報が来ていないだけなのかしら。


「……確かに、魔女の移動経路と一致する……チクショウ、見るべきはそっちだったか……」

「……あの、これで本当に、見逃して頂けるんですの?」

「……ああ。あの王子にめられたんなら、お前も被害者だろ。殺して生き返らせるとか、ひでぇことしやがる」


 こんなことは、できればしたくはないのだけれど。

 彼の善意を利用するのも。ベニーチカへの敵意をそのままにするのも。王子様を悪者にするのも。何もかもが、気に食わないけれど。今のわたくしは、力がないから。弱いから。だから、こんなことをしないと切り抜けられない。力がないから、正しいことができない。

 本当に、わたくしはどうかしているのかもしれない。今はあの鋼の身体が、恋しいなんて。

 それに……勇者が口にしていた、魔女の話。目をそらしていた、疑惑の話。今は恥をしのんでも。ベニーチカに、このことを伝えなければ。

 そして、真実を問わなければ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る