2-3

「思ったよりも早い。やっぱり、借り物の遊び相手では、これくらいの足止めが精々ね」


 シナルは、そこにいた。ベッドの上で退屈そうに寝そべって、前にお見舞いに訪れた時と同じように。


「ここは、私の世界だった」


 月の光が窓から彼女を照らし出す。


「窓越しに、空を飛ぶ鳥を見上げて。マーリアの恋の話を聞いて。私は、普通の子みたいに。自由に、塔の外で遊びたかったのに」

「……そうね」


 本当に、昨日のことのよう。と、言えたら良かったのだけれど。今のわたくしには、ずっと昔のことのようだ。


「お父様は、せめて景色が良く見えるようにと、この塔に部屋を作ってくれたけれど。ここから見える外の世界は綺麗で。けれど、私はそこに居なくて、ここにいて。だから、余計にうとましかった。ねたましかった」

「それは……男爵おとう様とわたくしが?」 

「いいえ。自由にならない私と、私を置き去りに進んでいく外の世界が」


 もしかすると、男爵やわたくしの気遣いは、却って彼女を世界から遠ざけてしまったのかもしれない。そんなことを考える。その瞬間の彼女だけは、昔のままのようで。

 そして同時に確信する。彼女の心は、彼女のまま。ただ、その道筋が、どこかで致命的に捻じ曲げられてしまったのだと。今の彼女は……悪い夢を、見ているのだと。


「シナル……!」


 だから、もう、やめにしよう、と。そう口にしかけた言葉は、彼女自身に遮られる。


「いいえ。今の私は、『ラプンツェル』。塔に閉じ込められていた、髪長姫の『ラプンツェル』」


 うわ言のように。


「彼が、私をここから連れ出してくれたのだから。私は、もう自由なのだから」


 歌うように。彼女は口にする。


「……そう」


 もはや、彼女に言うべき言葉はない。何も思い浮かばない。

 この夢のなかで、彼女は自由だ。彼女の自由は、きっと多くのものを傷つける。けれど、わたくしには、彼女が恋焦がれる自由の価値が、わからないのだから。

 シナルがベッドから起き上がる。髪の結び目がほどけ、長髪があらわになる。

 襲い来るのは、先程目にした髪の攻撃……けれど。結び目が解けた今は、長さが段違いだ。抵抗しても、伸びた射程リーチと部屋の狭さがわたくしの手足を十重二十重とえはたえに絡め捕っていく。

 手足に力を込める。……わたくしは、何をしているのだろう。彼女の攻撃は、既に目にしていた筈なのに。

 力が足りない。抜け出せない。いや……そもそも。わたくしは、この拘束を抜け出して、拳を構えて、お友達と戦って。そして……どうする? あの怪物と同じように。彼女を肉の塊に変えるのか?

 そこまで考えが至った途端、ガクン、と手足の力が入らなくなった。


「何ですの、この身体……!」


 まるで自分のものでは無いかのように、身体が重い。いや、事実そうなのだけれど。


「動……きません……わ……!」


 どうして。どうして。


「どうして……いえ、違う」


 今のわたくしの道は。家に敷かれたレールでも、生まれた時から決まっている運命ルートでもない。自分で選び進む道。だから、「どうして」の答えは決まっている。


わたくしが……そう望んだから」

「さぁ、お嬢様。ヴァイスブルク侯爵令嬢。お時間です」

「……その少女は、死にましたわ」

「ええ。でも、本当にありがとうございます。蘇ってくれて。おかげで貴方を王子様に捧げられる!」


 ……え?


「王……子……様?」


 その言葉に。ピタリ、と身体が石のように停まった。

 王子様。王子様。私の、王子様。


「わたしをこんな身体にしたのも、王子様のしたことなのに」


 言葉が、心に入らない。


「思い出の場所に罠が仕掛けられていた時点で、気付きそうなものでしょう?」


 確かに、シナルの。いえ、『ラプンツェル』の言う通り。そして、わたくしも考えていた通り。敵は、わたくしたちをよく知っている人間の筈だった。だから、シナルが企みをはじめた張本人かもしれない、とも思った時。納得している自分もいた。でも、やはりそれだけでは説明がつかない。

 男爵の家を手に入れるだけでも、ここまで強引な手に訴える彼女が。国そのものを密かにどうこうする企てを、独りでできるわけはない。


「まさかぁ、あんな目に遭わされて、まだ好きだったとか?」


 シナルは。いえ、『ラプンツェル』はわらう。

 髪が身体をギリギリと縛り付ける。鋼の身体がコルセットのように、わたくしの中身を締め上げる。

 この身体からだに、もうそんなものは無い筈だけれど。それでも、感触だけは本物。痛みを堪えながら、必死に頭を回転させる。首から上が熱を持つ。


「さぁ、どうします?」 


 わからない。ワカラナイ。もう何が大切なのか、目の前の、壊れてしまったお友達をどうすればいいのか。けれど、何故こうなったかは、解っている。

 わたくしが、そう望んだから。ならば私は、責任を果たサナケレバ。

 ガシャン、と機械の歯車が噛み合ったかのように、身体に少しだけ力が戻る。「どうするのか?」というその問いに、「どうすればいいか」という答えと共に。頭の中に、閃いた言葉があった。


「悪役令嬢……プレッシャー!!!」


 腕が回転を始める。

 全てを巻き込む、運命の車輪のように。『ラプンツェル』の髪を巻き取っていく。


「い……痛い……私の……わたしの、髪が……!!」


 ぎりぎりと、『ラプンツェル』の身体が私の方へと手繰り寄せられる。

 私は、もう片方の腕を必死で伸ばす。けれどまだ、足りない。もう少し。もう少しだけ、距離が詰まれば。手が届けば。

 彼女を、わらせることができるのに。

 願いに応えるように。再び頭の中にことささやく。

「こう口にすればいいんだよ」、と。


「悪役令嬢……インパクト!」


 そして。伸びた、否、炎を噴き出しながら射出された右腕が彼女の胸を貫く。


「……はぁ、はぁ、ごきげんよう。次は、地獄でお会い致しましょう」


 血とオイルまみれながら、わたくしは精一杯の強がりを口にする。

 ラプンツェルの禍々しい長髪が、はらはらと抜けていく。

 心に文字通り空いた穴を、ラプンツェルはぼうっと見つめている。


「……ここに、もう心はないけれど」


 髪がはらはらと抜け落ち、ゆらゆらとしたした足取りで彼女ラプンツェルは、塔の窓から外へ。


「私は、まだがあるから」


 そうして、彼女は私の目の前から消えた。


「……追いかけ、ないと」


 もう、ラプンツェルは居ない。ここに居るのは、わたくしのお友達だった、シナル・トーレ。

 今からわたくしは、彼女を。

 


  そう、ラプンツェルはもう塔にはいない。なら、後に残るものは。 

  彼女の髪の絡み付いた塔。王子を招き入れる、魔女の罠。 

 


 彼女を追いかけて、急いで塔を降りようとしたその時。

 塔を蜘蛛の巣のように埋め尽くした彼女の髪が、ぼうっとあやしく光った。


「『死のトーデストゥルム』……」


 落ちていく彼女が、うわごとのように口にするのが風に乗って確かに聞こえた。

 自分に言い聞かせるように。古い自分を、脱ぎ捨てるように。

 足場が揺れる。地面の感覚が崩れる。わたくしは外へと放り出され、地面を目掛けて墜ちていく。塔そのものが持ち上がっているのだ、と気付くのに。少しばかり時を要した。

 そして、落下の途中でわたくしは信じられないものを見た。

「嘘……でしょう」

 彼女シナルが、『ラプンツェル』が、持ち上げている。巨大な石の塔を。

 有り得ない。

 さっきのとどめは、咄嗟とっさに身体が動いただけ。これ以上、手足一本、指先一つだって動かせる気はしない。そもそも、動かす腕は片方が飛んでなくなってしまったのだけれど。

 次の瞬間、巨大な石の塊が、視界を埋め尽くす。直後、体がバラバラになるかと思う程の衝撃が全身を襲った。

 高速で塔そのものを叩きつけられたのだ、と気付いた時には。地面に身体の半分が埋まった後だった。


「私は、『ラプンツェル』。私は、彷徨さまよう王子様を探さないといけないの」

「が……はっ」


 体中が痛い。痛い? この身体に、痛みがあるなんて。それとも、これは。私のまだ人だった部分が感じている、幻なのだろうか?

 『ラプンツェル』も髪を大半失い、その胸には大穴が開いている。それでも。彼女の歩みは止まらない。


「マーリア様。美しくて気高いお友達。お得意の魔法は使わないのかしらぁ? いえ……それとも、使えないのかしら?」


 塔の基部を戻して。彼女はとどめを刺しに戻ってくる。


「でたらめ……ですわね」


 しかし、それとは別に、誰かが、わたくしに歩み寄ってくる。炎に照らされた人影。その顔は、別れたばかりのベニーチカ。どうしてここに。それに、傍らには犬? 狼? らしき四本脚の獣が居る。あれは……


「ウルリケ!! やっちゃって!!」


 犬? 狼? らしきものが『ラプンツェル』の喉笛を狙い喰らい付く。バランスが崩れ、一瞬の隙ができる。


「今です!」

「く……この! ……まさか!」


 ベニーチカがわたくしに駆け寄ろうとして……転ぶ。その彼女ごと、わたくし達は狼……きっと恐らくは例の鋼鉄こうてつ魔狼まろうか、それと同じ何か……に半ば引きずり込まれるように導かれ、逃げ出した。

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