2-2
やがて、
「顔を見られるのは……さすがに不味いですわよね」
なんとなく拾って持ってきてしまった、ベニーチカの毛布を
門番に、生前から唯一身に着けていた、紋章付きの小さな髪留めを見せる。
「……侯爵家からの
貴族の紋章は身分の証。侯爵に
やっぱり、無理があるとは自分でも思う。最悪、顔を見せる覚悟もしていたけれど……そう告げると、夜も遅いというのに居間に通され、男爵と男爵夫人が揃って出迎えてくれた。
「シナルは……娘は近頃、塔から一歩も出ようとしないのです。もともと病弱でしたが、殊更ふさぎ込んでしまい……侯爵様よりのお心遣い、ありがたく存じます」
人の
「やはり、昔馴染みのお嬢様が処刑されたのが堪えているのかと……」
「やめなさい、この方は侯爵様の……」
男爵は、夫人の言葉を
「……申し話ございません、
この
シナルがふさぎ込んでいる理由が、もし私だとしたら……もしかすると。
二人の娘……シナルは昔から病で
そうでなくてもシナルは閉じ籠りがちで、外の世界に憧れていて。みんなのように
だから、友達も少なかったし。あんな良い子の彼女が、この国に害為すような敵に与するなど、万一にも有り得ないのだと。そんなことを、ぼんやりと考えていた時。
誰かが、階段を降りてくる音がした。
「シナル⁉」
両親の驚く顔。そこには、シナル・トーレの姿があった。
「あら、私すっかり良くなりましたの。それと……お久しぶりです。マーリア様。よもや、生きておられるとは。随分とまぁ、変わり果てたお姿のようですが」
「……っ」
やはり、一瞬で見抜かれた。ここまで察しの良い娘だとは思わなかったが。
頭巾代わりにしていた毛布を脱ぎ捨てる。男爵と夫人の二人は、
「やっぱり、マーリア様だ」
「そういう
記憶の中から、在りし日のシナル・トーレの外見を思い出す。柔らかな栗色の髪。同じく濃い色の瞳。日に当たらないせいか、色の薄い肌と唇。
けれど、今は。色素の薄い肌は、死人のように青白く。唇だけは紅をさしたように朱く。そして……その長い髪はところどころ金色に光り、束ねても尚、別の生き物のようにウネウネと波打っている。
何かが、あからさまにおかしい。けれど言葉にはできない。
「生きておられると……信じておりました」
シナルは、微笑んで。その笑みのまま、続けた。
「そうでなければ、もう一度殺せませんもの」
と。
「こら、シナ、ル……」
男爵が慌てたように娘へ駆け寄ろうとする。彼女の髪が動き、逆立つ。
「いいえ、私は『ラプンツェル』。
次の一瞬。彼女の両親。男爵と夫人。二人の心臓を、動き回る髪が突き刺した。噴き出した血が天井まで飛び散り、花のような跡をつける。
殺した。殺された。もう無いはずの心臓の音が、ドクドクと頭の奥で反響する。
恐ろしい。恐ろしいことだ。
童話怪人、と言ったのか。今の
もしも、
もしも、
けれど、今の
それよりも。
よほど、
しかし、口から出たのは別の
「……ご両親の命を奪ったんですの」
「貴族ならば、家を第一に考えるものです。この国がもうすぐ
シナルは倒れ伏した両親を抱え、仰向けに寝かせている。
「だとしても。自ら手にかけるなんて」
「……それは、
その言葉に込められたのは、
「それに。マーリア様は、そういうのを気にされるお方だから」
「狙いはあくまで
「いきなり使うことになるとは、思いませんでした……わっ!」
脚に力を込める。寸前、金色の乱れ髪が目の前を
「……首から下の、その身体。どこで手に入れたのやら見当もつかないけど……厄介そう」
髪での攻撃が通じないと見るや、
「お待ちなさい!!」
「逃げはしません。塔の上で、お待ちしております。マーリア様」
それを待っていたかのように。沢山の人間の足音が聞こえる。部屋へなだれ込んでくる。
敵は、この屋敷に罠を張っていたのだ。なら、此処に居る敵が彼女だけ、などということはないだろう。
「やっぱり……武器の説明くらいは聞いておくべきでした……わ!」
独りごちる。敵はフードを被った異形……動きからして、人間ではない。
力任せに殴りつける。敵が倒れる拍子に、フードが剥がれる。人型に近い体に、カエルのような頭の異形。強さはそれ程でもなく、今の
……けれど、あのシナルは……いえ、『ラプンツェル』はそうは行くまい。生き物のようにうねり動く髪。動きは見えたが、避けきれなかった。幸い、ダメージはあまり受けてはいないが……塔に行くまでに、何か対策を考えないと不味いと、勘が叫んでいる。
屋敷の廊下を走り回るうち、フードの異形に囲まれた。いや、後ろに居るのは、先程殴り倒した筈の敵。
「しぶといですのね……!」
ただ殴り倒すだけでは、
とにかく、武器。何か……武器!
どうすれば敵を殺しきれるかしら、と。生まれて初めてそんなことを考えて。一瞬、ついさっき目にしたシナルの凶行が脳裏を過る。同じように手を
「……まだぁっ!」
深々と胸に突き刺さった腕が回転する。
「
ぬるり、と。嫌な抵抗を感じながら腕を引き抜く。男の貴族がする狩猟を残酷だと眉を
二匹目。
三匹目。
……そもそも、この生き物を数える単位は「匹」でいいのかしら、などと考える頃には。その生き物の死体を磨り潰した山の中に、私は佇んでいた。
赤熱した腕が白煙を上げている。無我夢中で雑兵を片付けた。途中からは何をどうしていたのか、自分でもわからず身体が動いていた。
けれど、やはり、幾らこんな化け物を倒しても。この戦いは……結局、
古びた石段を、一歩一歩踏みしめる。途中に敵の居る様子はない。
この塔は、彼女の家名に紐付くもの。
昔の
私がお見舞いに来ると、いつも申し訳なさそうにするけれど。それは上辺だけのことで、実のところ、私のお話……特に、王子様との間に起きた出来事を、いつも熱心に聞きたがっていた。
あの時の彼女と、両親を刺し殺した彼女が、どうしても結び付かない。
それとも、これは。私が何かを忘れているからなのか。「あの階段」を上った先にあった、この場所に辿り着くまで。私は、きっと多くのものを捨ててしまったから。
無我夢中で戦ったけれど。今の私は、彼女をどうしたいのだろうか。それとも、この
少し考えて、
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