2-2

 やがて、王城おしろのような、高い石造りの塔が見えてくる。トーレ男爵のお屋敷。あの塔のおかげで、遠くからでもよく見える。


「顔を見られるのは……さすがに不味いですわよね」


 なんとなく拾って持ってきてしまった、ベニーチカの毛布をに纏う。本当に大丈夫なのか考えて、足が一瞬まる。今は前に進むしかない。王子様の動向も知りたい。気を強く持って。わたくしは、トーレの家の門を叩いた。

 門番に、生前から唯一身に着けていた、紋章付きの小さな髪留めを見せる。


「……侯爵家からのつかいの者でございます。に参りました」


 貴族の紋章は身分の証。侯爵に所縁ゆかりの者だとわかってくれる筈。

 やっぱり、無理があるとは自分でも思う。最悪、顔を見せる覚悟もしていたけれど……そう告げると、夜も遅いというのに居間に通され、男爵と男爵夫人が揃って出迎えてくれた。


「シナルは……娘は近頃、塔から一歩も出ようとしないのです。もともと病弱でしたが、殊更ふさぎ込んでしまい……侯爵様よりのお心遣い、ありがたく存じます」


 人のさそうな二人の笑みには、しかし影にどこか憔悴しょうすいが見え隠れする。


「やはり、昔馴染みのお嬢様が処刑されたのが堪えているのかと……」

「やめなさい、この方は侯爵様の……」


 男爵は、夫人の言葉をたしなめる。


「……申し話ございません、つかいの方にこんなことまで。どうか今晩は、鎧を脱いで、ゆっくりされてください」


 この身体からだは、どうやら全身鎧か何かだと思われているらしかった。

 シナルがふさぎ込んでいる理由が、もし私だとしたら……もしかすると。わたくしが顔を見せれば、彼女は元気になってくれるかもしれない。そう願う。

 二人の娘……シナルは昔から病でせりがちで、時折体調を崩しては寝込んでいた。領地が比較的近いこともあり、お見舞いに度々たびたび訪れたこともある。多少怪しくても「侯爵家からの遣い」を通してくれたのには、そうした事情もあるだろう。

 そうでなくてもシナルは閉じ籠りがちで、外の世界に憧れていて。みんなのように舞踏会ボールに出たり、遠出をしたり。領地のきりもりの手伝いをしたり。そういうことがしたい、と。よくベッドの上で口にしていたのを覚えている。

 だから、友達も少なかったし。あんな良い子の彼女が、この国に害為すような敵に与するなど、万一にも有り得ないのだと。そんなことを、ぼんやりと考えていた時。

 誰かが、階段を降りてくる音がした。


「シナル⁉」


 両親の驚く顔。そこには、シナル・トーレの姿があった。


「あら、私すっかり良くなりましたの。それと……お久しぶりです。マーリア様。よもや、生きておられるとは。随分とまぁ、変わり果てたお姿のようですが」

「……っ」


 やはり、一瞬で見抜かれた。ここまで察しの良い娘だとは思わなかったが。

 頭巾代わりにしていた毛布を脱ぎ捨てる。男爵と夫人の二人は、よみがえった死人を見るような目で此方こちらを見つめている。それはそうだ。


「やっぱり、マーリア様だ」

「そういう貴女あなたも、随分と変わったようですけれど」


 記憶の中から、在りし日のシナル・トーレの外見を思い出す。柔らかな栗色の髪。同じく濃い色の瞳。日に当たらないせいか、色の薄い肌と唇。

 けれど、今は。色素の薄い肌は、死人のように青白く。唇だけは紅をさしたように朱く。そして……その長い髪はところどころ金色に光り、束ねても尚、別の生き物のようにウネウネと波打っている。

 何かが、あからさまにおかしい。けれど言葉にはできない。


「生きておられると……信じておりました」


 シナルは、微笑んで。その笑みのまま、続けた。


「そうでなければ、


 と。


「こら、シナ、ル……」


 男爵が慌てたように娘へ駆け寄ろうとする。彼女の髪が動き、逆立つ。 


「いいえ、私は『ラプンツェル』。童話メルヒェン・怪人ファントム、髪長姫の『ラプンツェル』」


 次の一瞬。彼女の両親。男爵と夫人。二人の心臓を、動き回る髪が突き刺した。噴き出した血が天井まで飛び散り、花のような跡をつける。

 殺した。殺された。もう無いはずの心臓の音が、ドクドクと頭の奥で反響する。

 恐ろしい。恐ろしいことだ。

 童話怪人、と言ったのか。今のわたくしが言うのもどうかと思うけれど、あれは、もはや人間ではないのかもしれない。

 もしも、わたくしがただの侯爵令嬢のままだったなら。怯え喚き、逃げ出していたのだろう。

 もしも、わたくしがただの機械だったら。躊躇なく、シナル……『ラプンツェル』に立ち向かえていただろう。

 けれど、今のわたくしはどちらでもない。だから、怯える自分を押し殺しながら。彼女へ立ち向かうより他はない。そうしなければならないことだけを、知っている。

 それよりも。此処ここにまで、敵の手は張り巡らされていた。

 よほど、わたくしふところの内を知っているのか。それとも……いや、今は。考えまい。彼女に問えば。おのずと答えは得られるはずなのだから。

 しかし、口から出たのは別のといだった。


「……ご両親の命を奪ったんですの」

「貴族ならば、家を第一に考えるものです。この国がもうすぐくつがえる今、男爵の家は私が継いだ方が良いのですから」


 シナルは倒れ伏した両親を抱え、仰向けに寝かせている。


「だとしても。自ら手にかけるなんて」

「……それは、此方こちらの台詞。折角、この家の実権を穏便に手に入れる機会を伺っていたのに。まさかこんな邪魔が入るだなんて」


 その言葉に込められたのは、まぎれもない憎悪。無造作に、けれど確実に。彼女は此方こちらに狙いを定めた。


「それに。マーリア様は、を気にされるお方だから」

「狙いはあくまでわたくし、ということですのね」


 わたくしの敵と戦うのなら。いつか、暴力に頼らねばならない日が来ると思ってはいた。そう考えて、こんな身体を用意した。けれど……けれど、最初はなからこんなとは。


「いきなり使うことになるとは、思いませんでした……わっ!」


 脚に力を込める。寸前、金色の乱れ髪が目の前をかすめる。ガイン、と鈍い音を立てて、振り上げた鉄の拳が髪を弾く。衝撃は走るが、目立ったダメージは無い。


「……首から下の、その身体。どこで手に入れたのやら見当もつかないけど……厄介そう」


 髪での攻撃が通じないと見るや、彼女シナルきびすを返す。


「お待ちなさい!!」

「逃げはしません。塔の上で、お待ちしております。マーリア様」


 わたくしを一瞥し、彼女は去る。

 それを待っていたかのように。沢山の人間の足音が聞こえる。部屋へなだれ込んでくる。

 敵は、この屋敷に罠を張っていたのだ。なら、此処に居る敵が彼女だけ、などということはないだろう。

 あるいは……彼女がこの陰謀の首謀者なのかもしれない、と。そんなことを考えながら。


「やっぱり……武器の説明くらいは聞いておくべきでした……わ!」


 独りごちる。敵はフードを被った異形……動きからして、人間ではない。

 力任せに殴りつける。敵が倒れる拍子に、フードが剥がれる。人型に近い体に、カエルのような頭の異形。強さはそれ程でもなく、今のわたくしならば十分に倒せる。

 ……けれど、あのシナルは……いえ、『ラプンツェル』はそうは行くまい。生き物のようにうねり動く髪。動きは見えたが、避けきれなかった。幸い、ダメージはあまり受けてはいないが……塔に行くまでに、何か対策を考えないと不味いと、勘が叫んでいる。

 屋敷の廊下を走り回るうち、フードの異形に囲まれた。いや、後ろに居るのは、先程殴り倒した筈の敵。


「しぶといですのね……!」


 ただ殴り倒すだけでは、昏倒こんとうさせても殺しきれなかった。こんなことになるまで気付かないなんて……やはり、彼女のことに心を取られ過ぎていたのか。

 とにかく、武器。何か……武器!

 どうすれば敵を殺しきれるかしら、と。生まれて初めてそんなことを考えて。一瞬、ついさっき目にしたシナルの凶行が脳裏を過る。同じように手をすぼめ、異形の心臓のあたりを穿ち貫く。


「……まだぁっ!」


 深々と胸に突き刺さった腕が回転する。螺旋らせんのように血が迸り、中身をぶちまける。


一匹目アーステ


 ぬるり、と。嫌な抵抗を感じながら腕を引き抜く。男の貴族がする狩猟を残酷だと眉をひそめこそすれど、女のほうが結局血には慣れている。

 二匹目。

 三匹目。

 ……そもそも、この生き物を数える単位は「匹」でいいのかしら、などと考える頃には。その生き物の死体を磨り潰した山の中に、私は佇んでいた。

 赤熱した腕が白煙を上げている。無我夢中で雑兵を片付けた。途中からは何をどうしていたのか、自分でもわからず身体が動いていた。

 けれど、やはり、幾らこんな化け物を倒しても。この戦いは……結局、彼女シナルのところへ辿り着くまで終わらないだろう。だからわたくしは、塔への階段を上りはじめた。



 古びた石段を、一歩一歩踏みしめる。途中に敵の居る様子はない。

 この塔は、彼女の家名に紐付くもの。うそまことか定かではないが、はるか昔にトーレの家の祖が、別の世界の技術で作り上げたと聞く。

 昔のわたくしは、この階段を何度も上った。彼女はいつもベッドに横になって、窓越しに、外の景色や空を飛ぶ鳥を見上げていた。

 私がお見舞いに来ると、いつも申し訳なさそうにするけれど。それは上辺だけのことで、実のところ、私のお話……特に、王子様との間に起きた出来事を、いつも熱心に聞きたがっていた。

 あの時の彼女と、両親を刺し殺した彼女が、どうしても結び付かない。

 それとも、これは。私が何かを忘れているからなのか。「あの階段」を上った先にあった、この場所に辿り着くまで。私は、きっと多くのものを捨ててしまったから。

 わたくしは、彼女のことを本当に案じているのだろうか。それともこれは、どこか抜け落ちた現実感と同じように。処刑された少女ののこした、ただ残照ざんしょうなのかもしれない。

 無我夢中で戦ったけれど。今の私は、彼女をどうしたいのだろうか。それとも、このわだかまりは、彼女ともう一度お話をすれば、何かの終わりを迎えるのだろうか。


 少し考えて、 わたくしは部屋の扉を開けた。

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