第二章 塔姫(とうき)の章

2-1

「あー、あー……お嬢様。私の声、聞こえますか?」

「聞こえておりますわ、ベニーチカ」


 彼女の声で、私は再び意識を取り戻した。


「またその呼び方ですか……別にいいんですけど……聴覚、言語、発声機能は問題なし……ちょっと起こしますねー」


 わたくしを乗せたまま、奇妙な形のベッドがそのままひとりでに立ち上がり、垂直に起き上がる。寝そべったまま立ったような格好だ。なんだか、妙な気分。

 そこへ、ベニーチカが全身の映る大きな姿見すがたみを持ってやってくる。


わたくし、眠っていたんですの?」

「眠って貰っていました。結構大仕事だったので……でも、やっと出来上がりましたよ」


 そう言って彼女は、姿見を見るよう促してくる。


「これが、今のわたくし……」


 確かに、鏡に映ったのは自分の顔。少しやつれてはいるけれど、わたくし自身。青色の目。金色の髪と、どうにか最期まで隠し持っていた、侯爵家おいえの、不死鳥の紋章を刻んだ髪留め。

 しかし、首から下は別物だ。鋼鉄こうてつ衣裳ドレスを纏ったかのような姿。はがね乙女おとめ。そう呼ぶに相応しい身体からだ


「……最大出力はだいたい人間の千倍くらい。装甲は耐熱・耐圧・耐爆。武器も内蔵してあります。これが多分、今のわたしの技術の限界です……」

「……武器」

「えっと、必要かな、と思って一通り……あとで説明しますけど」


 多分だけれど。彼女の言う武器と言うのは、槍や剣のこと……ではなさそうだ。

 ゆっくりと腕を上げ、手に力を込める。拳を握り、開く。何気ない動作でも、新しい身体に込められた力は格が違うと理解する。しかし、落胆することが一つ。


(……魔法は、やはり使えませんのね)


 貴族の血筋にある者は、血統魔法けっとうまほうと呼ばれる超常の力をあつかうことができる。わたくしが使えたのは火の魔法。しかし、今は何の感触もない。流石に、身体の大半をうしなっても使えるようなものではなかったようだ。

 けれど今は、これで十分。いいえ、彼女はベストを尽くしてくれた。なら、


「パーフェクトですわ、ベニーチカ」

「あ、でも、調整がまだ終わってなくて……」

「……あとどのくらいかかりますの?」

「ぶっ通しで数日くらいは……こういうの初めてなので……」

「……あまり無理なさらない程度にお願い致しますわ」


  ◇


 夜。わたくしの目は冴えたまま。

 長い間、意識を失っていたせいか。興奮で寝付けないのか。それとも、もはやこの身体には、ねむる必要がなくなったのか。

 一方ベニーチカは、すぴょー、すぴょーと間抜けな寝息を立てながら寝入っている。


「……随分と遅くまで頑張っておりましたものね……」


 夜の冷たい雰囲気は、鋼鉄の身体ではもう感じ取れないけれど。こんなにも落ち着いた時間は久しぶりかもしれない。婚約を破棄されて。冤罪で処刑されて。彼女に拾われて、こうして新しい身体を得て。

 けれど、これ以上は彼女を巻き込んでしまう。ベニーチカは別の世界から来た人間。私の復讐に付き合わせる道理はない。

 そう、これは復讐だ。私の復讐リベンジではなく、この国と、為すべき正義のための復讐アベンジ

 改めて。今まであった出来事は、素直に時代の流れ、と呼ぶにはやはり急に過ぎる。なら、そこにはやはり誰かのよからぬ企てがある。ならば誰かが、たださないといけない。そしてそれは、この国の人間の手で行われなければならない。だから、わたくしがやる。

 ……色々と考えたけれど。結局それ以外に、これからの生き方は思い浮かばなかった。

 力には、高貴な在り方には、相応の責任が伴う。わたくしにとっては当然のこと。けれど……それは、たぶん我儘わがままだということも、今のわたくしは理解する。

 わたくしはそう生きる。けれど、他人を巻き込んでいいものではない。

 だから結局、わたくしは。彼女のもとからこっそり立ち去ることにした。

 眠るベニーチカにそっと毛布をかけて。そして……わたくしの足下にも、同じく毛布が落ちていることに気が付いた。きっと、彼女が私にかけてくれたものだろう。こんな体に、暖かさは要らないと思うのだけれど。それでも。


「……ありがとう」


 寝入る彼女の耳元に囁く。静かに窓を開け……ようとして、窓枠がひしゃげた。


「……少し、力加減の練習が必要ですわね」


 普通の人間の千倍、とベニーチカは言っていたか。自分で要求しておいてなんだけれど。ここまでの力、要るのかしら……?

 窓の外に抜けると、景色ががらりと変わった。目に映るのは見慣れたこの国の都の景色。今の私には、ずっと遠くの建物の形まで手に取るようにわかる。


「……ここ、王都の近くでしたのね」


 頭の中で地図を描く。ここは、たぶん王都の郊外の森の中。狩猟や乗馬のために、わざと残してあるところ。

 彼女……ベニーチカの足でそう遠くまで逃げられる筈はない、と思っていたけれど。まさか、こんなにも処刑された場所の近くだなんて。

 何かの道具で隠蔽されている、とそういえばベニーチカが言っていたような気もするけれど。どんな術を使っているのか、さっきまで居た部屋も、わたくしの出てきた(壊した)筈の窓もなく、外から見ると人気ひとけのない小さな丸太ログ小屋ハウスにしか見えない。

 森の奥から、かすかに狼の遠吠えが聞こえる。


「……これから、何処へ参りましょう」


 おおやけには既に死んだ身。生きていることを知られるだけで侯爵家いえは痛手をこうむるし、王子様にも迷惑がかかる。

 だから、このままでは何処にも行けない。わたくしは逃げ続けながら、真実を探すことになる。

 とはいえ、心当たりは……無いではない。

 敵(ひとまず、そう呼ぶことにする)はわたくしと王子様を狙い撃ちにしてきた。つまり、侯爵家を追い落として利益がある存在。国の外の人間、そういう可能性も無論ある。それでも、かなり貴族社会の内情に通じていなければ、特定の家、特定の人間をおとしいれるような手は打てない。つまり、


「……わたくしが知っている人間」


 わたくしの昔の知り合い、それか王子様に近い誰かが、この陰謀に関わっている。

 頭の中に、おぼろげに知り合いの顔が浮かんでは消えていく。ついこの前まで笑いあっていたのに、ずっと昔のことのよう。どこか、現実感が抜けている。一度死んでしまったから? それとも……


「っ……」


 微かに頭痛。まだ、どこか不調を抱えているのか。昔のことを思い出そうとすると、妙な感覚を覚える。

 ……まぁいい。貴族社会は広いようで狭い。噂が伝わりやすいのは、敵も味方も同じ。

 敵がそこに通じている可能性がある以上、迂闊うかつな手は打てない。

 今のわたくし利点アドバンテージは、人知れず生き永らえていることそのものなのだから。だから、時間をかけるのも不味まずいけれど、いきなり本丸に近付くのも不味い。

 相手が貴族社会に食い込んでいるならば。探るなら、下級貴族から。それも、なるべく足取りを辿たどられづらいところから。


「……あの家……トーレはどうかしら」


 わたくしの生家、ヴァイスブルク侯爵領と王都を繋ぐ道の途中にある男爵領。トーレ家の屋敷。

 侯爵、伯爵ならいざ知らず。男爵ともなれば、貴族貴族も多い。領地が中央に近くとも、貴族同士の繋がりや社交界には然程さほど興味がない……そういう家だ。

 そして、トーレ男爵領を通る道は、婚約者……王子様と密会するためによく使っていたルートでもある。屋敷にも幾度か厄介になった。裏道もよく知っている。


「あそこなら、知り合いもおりますし……」


 それに……あそこの娘、シナル・トーレとは顏馴染みだ。あの子なら、情報が他所に漏れるのも、逆に誰かに抱き込まれているのも考え辛い。

 目的地が決まったので、夜の間に道を歩く。こんなにも長い距離を、馬車も使わず生身の足で歩くなんて、何時いつぶりだろう。けれど、疲れはない。小枝や石ころを踏んで、転んだり足を怪我したりする心配もない。鋼の足は全てを踏みつけ、わたくしは前に進んでいく。

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