・試し読み、若しくは予告

(a-001~003)

 終わり方の既製性に実在の有無を問わず嬉しむ。 

 涙腺の疼きに本来感じるべき腹部の刺傷、鈍痛が気にならない位頭が熱く、その曖昧になる景色に恐怖は無かった。それ以上に安心感が強く、漸くと言うのが正しいのだと何となく思えた。

 夥しい量の血液も。

 聞こえてくる誰かの声も。

 生物的な鉄のにおいも。

 全てが意識外に飛ばされて荒くなる呼吸は嗚咽に。温度が痛覚へと翻る。

 終わる事で救われる気がして。愛しているひとが最期にそばにいてくれたらもう少し幸せだったかもしれないだなんて考えてしまった。

 殺してくれた人は綺麗な人で、初めて見た水面のひかりの様だった。

 笑った。それがさいごの記憶だった。








「君は今日から私が飼うことになったから、よろしくね」

「え・・・」

 記憶が消えている。

 生前世界の基本情報と数刻前に刺殺されて某かの存在に人外の要素を付与された所迄は理解した。けれどそれからどういう経緯で一般住居内の寝室(僕の記憶基準内に於ける推定)で寝かされているのか、左で横になりながら嬉しそうに話している推定二十代女性との関係、この世界の価値基準は僕のそれとどれ程異なるのかという一切が消失している。

 知らない声が聞こえた警戒から距離を取ってしまったのを後悔し掛けたけれど、既に行末を宣告されている状況であるので別に気にしない事にした。

「あなた次第だけれど、そんなに怯えなくても喰べたりしないよ。」

「・・・」

「私は違うけれど、此処から逃げようと外に出たりしたらアパートの住人みんな食人するタイプだから多分私じゃない誰かに食い殺されちゃうからさ。お腹空いてなければいいけど、わかんないじゃん」

「・・・・・・。飼うって、なんですか」その質問に彼女は歩道橋の使い方を訊かれたような困惑をしていた。

「言葉通りの意味、だけれど。君は飼い猫として私と一緒に暮らすの。最近一人で寂しくて、癒しが欲しい所だったんだ」

「何で僕が」

「何で・・・。そりゃあ、売ってたから」

「は?」

「えっと・・・・・・あ、君捕まっちゃったタイプの子。なのかな?よくあるって聞いてはいるけど」

 精神的年代設定は中世あたりなのか・・・?窓から見える外界の風景や家具の様式からして現代的な文明っぽいのに、なんで倫理観だけはそんな旧世代になってんだよ、意思疎通が完全に可能という時点で同等でなくても選択の権利は認められるべきなんじゃないだろうか。若しくはそういう設定として話しかけているだけの誘拐犯なのだと考えると幾許かは腑に落ちるのだろうけれど、事実を知らない以上妄想の域を脱せない。

 世界観の心配なら幾らでも可能ではあるけれど、多分我儘になるだろうから中略するとして。偏見が過ぎるにしても虐待を筆頭とした暴力や最低限度の文化的生活の剥奪をされてしまうと穏便な方向転換をするべきなのかと反応に困ってしまう。

 性格上被害者ぶってしまう自信しかない。

 着せられていない服の所在を窺おうとしたけれど、先刻の発言からある訳が無いと諦めた。下着姿に抵抗がない訳じゃないけれど、当たり障りのないテンプレートに沿ってみるしかなかったのは確かで展開や情報配分の速度に面食らう。

「それと喋るときは猫の言葉。ほら、・・・お返事」

「に、あ。・・・・・・ぅっ」断っておくと葛藤はした。即断だったとしても。

「えらいえらい。それじゃあ手伝ったげるからねー。はいばんざーい」

「う・・・・・・。・・・。・・・・・・っ!」転生直後に恒常性に固執する悪癖があるのだと解らされる、場合によっては引き摺ってしまいそうな程に後味の悪い個人的な雑学を与えられてしまった。

「足上げてー」

「・・・・・・っ、・・・・・・ふっ、うぁっ」嬉しいと思っているのは自尊心を剥がしてくれているからだ。他人の所為にするのに快楽を覚え、自分の罪を他人に押し付けて楽になろうとしている時に似ていた。

「よおし、ご褒美にぎゅってしたげる。ほら。んーっ」

「きゅっ、に、うっ。ぁ。」肌にじかに触れた温度差と服の感触に肩が震える。動揺を抑えるために辛うじて留めていた記憶を行使して、抵抗はしてはいけないと必死に暗示し可能な限り猫の動きを模倣することに注力する。

「キュートアグレッション起こりそお。・・・。・・・・・・ぁむっ」

「・・・ひぅ」耳を食まれた。半獣人になっている自覚をさせられるのと同時に力が強制的に抜ける。こわい、のに。

「我慢できないから、一寸つまみ食い」

「に、ぅあ、ひゅ・・・・・・っ、ふぁう」知らない、ふわふわした心地よさがちょっとずつ積もってくる。耳の淵から孔に向かって焦らす様に滑った舌が、湿ったやすりみたいに音をたてている。変にならないように彼女の服を掴んでしまって、口の中が熱くて呼吸が速くなる。

「ぇえっ・・・・・・、んっ、れぁ」

「ん、・・・・・・にゃっ」

「るっ。ん、ん、ん」

「ひゅっ。・・・んぁ、ぅく」

「は、っ。・・・顔、こっち向けて。そう。それで口を少し開けて」

「・・・・・・んぁ・・・?」

「すっ・・・・・・・・・・・・、くじゅっ」

「んむぅ、・・・・・・っ!?」何が起こったか分からなくなって、上顎の裏から脳を溶かすように擽ったい快楽が浸み込んでくる。そこから下へ、頭部全体からデコルテ、胸へとじゅわじゅわした感情が這入ってきて心臓がきゅうきゅうと音を立てるように収縮する。

「ぇれ・・・、ん」

「んぐ・・・。んん」抵抗を反射的に行ったけれど、力の入らない彼女の胸を軽く押す様な傍から見たら本物の猫に見えてしまうような真似しか術が無くて、次第に腕から口内へと意識を移されるに連れてそれすらもだらりと身を任せるようになってしまっていた。

「・・・む、・・・はぅっ」

「・・・はぁっ」

「んっ・・・・・・るっ、っぇる、・・・ん」

「くぅ・・・・・・んきゅ・・・きゅっ。・・・・・・んぐぅっ」

「ぱぅあ・・・っ」

「はあっ。・・・・・・ぁ、はっ。・・・ふぇ・・・っくっ」

「キスしただけだったんだけどやっぱり飲ませすぎたかな。可愛くていいけど」

「・・・・・・?」脳が白く塗りつぶされて景色がちかちかする。ぐったりと凭れ掛かって色の匂いを吸い込んだから、更にひとの要素が削られる。

「ん、ふぅ、・・・ぁ、ひゅ・・・・・・んうっ」

「うぁー、最後までしそう。あ・・・・・・・・・・・・でも、お預けにしないと」

「?」抱擁を解除し、僕をそのまま寝かせて乱れた服を直す。


「おかしくなったまま戻ってきてくれないかもだし、今日はおしまいにしよ。ごめんね、かわいいから歯止め利かなくて。加減とか心がけてるけどまだまだみたい」

「にゅ、ぅ」

「今日はゆっくり休んで、また明日ね」

 頭を撫ぜられ安心するのはいつ以来だろう。さっきまでの快楽は薄れ、彼女の声色が瞼を徐々に閉ざさせる。眠っていたと気付いたのは起床した時だった。

 翌日、朝方。

「色々用意しないといけないからね。扨、ごめんね。一先ずはお預けだけど、すーぐしたげるから」

 そう言いながら彼女は目をこする私を横目に外出の用意をしていた。

「・・・・・・?」

「買い物してくるからいい子で御留守番してて。えーっと、君用の首輪と御飯のお皿かな。よしっ、それじゃ行ってきます」

「に・・・ぅあ。・・・・・・っ」寝起きで返す暇も無く、扉は閉まり騒がしかった部屋に刃物のような静けさが宿り始めた。

 数十分後。

「・・・・・・・・・・・・ああー、っ。ああっ」彼女の外出から相当経過しているのに場を離れるのを未だに考えあぐねているのは傷つける事に臆病な自分の本質が原因だった。

 どうしようもなく台無しに言うと逃走自体は容易く、私にある人外の要素だけで事足りてしまう。何かしらの策を講じたりするどころかそれから先の人生設計諸々を考える必要すら無い。

 月から照射される反射光を基に稼働しているから食事の心配はそもそも無いし(摂れなくはないがする必要がない。全て体内で分解され純水に変換される)、記憶操作・身体補強等娯楽に触れている者ならば必ず何処かで見た事のあるような能力群を有しているから外見年齢八歳とはいえ頑張れば武力行使すら可能だった。というか信じたくなかったけれどさっき抱擁された時に能力値に明確な差があった。可也感覚的な予測なので外れているだろうけれど。

 ただ、この場合私も含めて必ず死傷者が出る。かといってこのまま続けていたら御都合主義に掌上で踊らされている自分への殺意とそれに伴う罪悪感・破滅願望で気が狂いかねない(比喩でなく始まりつつある)。

 それに彼女達の価値観へ口を出せる位の価値を確証させられるかと問われると否定してしまうというのもある。僕はもう人間じゃないかも知れないし正しさが何なのかもよく理解していない。常識を説ける程常識的な性格じゃない事は忘れていたとしても一番よく知っている。下手に能書きを垂れるのは双方に対し本意ではない。

 だからこれも偏った思考で、無責任にしかなれないけれど(あくまで僕の視点であることを忘れずに言うとするのならば)常識をブラッシュアップする役目は屹度この世界の勇気ある善者に与えられるべきなのだ。

 案外、今の生は罰であると考えてもいいのかも知れない。他人も信用しきれずに評価して無意識間の判断基準を定め、傷を恐れて干渉を避けている罪への報いを受けている。だとしたら逃げるべきではないというより、してはいけない気がする。

 気を紛らわせる為に悪いところを考察しようと、格好つけた陶酔を急にし始めて羞恥で顔を歪めた。

 立ち上がって部屋の隅にあった姿見に自分を映す。

 印象は人間の少女寄りの少年に毛色が深緑の猫の耳と尾がついている。髪色も同じで、病人よりも白い肌に日が差し込み照らされている。装飾品のように大きな眼に金色の虹彩が怯えつつ光っていて、舌も牙も爪もひとのもの。気味の悪い美麗な造形は付与者の趣味なんだろうが・・・。

 せめて意味が欲しいと逃げるような仕種で背を向けて、ベッドに飛び込んで忘れようと口を噤んだ。

 数時間後。

「たぁだいまーっ」

「・・・。ふぁ?」

「あ、眠ってた?起こしちゃったか」

「んっ。にゃ、・・・ぁあ。ふ」

「ふふ。・・・ああ、そのままで。ほら。買ってきたからねー」

 革製で色は赤。装飾に銀の鈴が一つ付いていて夕暮れに当たっていた。それだけを見てこんな気分になれるのかと驚いて、抵抗をしようと考えてもいない怠惰さに心底呆れてしまった。

「スタンダード過ぎる気がしたけれど、やっぱりシンプル重視にした方が似合いそうに思えたからさ。違ったらまた別のを買おうね」

「・・・・・・ぁ」

「食器もちゃんと買ったから御飯もこれで喰べれるね。よかったよかった」

「・・・」

「おかえりのぎゅーしていいー?」

「ふぇっ」

「赤くなってる。ああー、やっぱり猫って語彙を制限する力があるんじゃないかって思っちゃう。かわいいとしか言えなくなるもの」

「う・・・・・・に、ぁっ」

「ふふー。拒否ってもいっちゃおー。ぎゅーっ」

「にぎゅっ、きゅ、む、んむっ、むー」

「御顔見せてー。よしゃよしゃー」

「ふ・・・。うぅ、う」心地いいと、首を絞められたときみたいに満たされていると感じてしまう。

「ごはんしよっか。作ってくるから待ってて。今日はアサリの炊き込みご飯ですよー。たのしみにしててねっ。・・・」

「・・・ぁ・・・・・・」食事はひと用なのか・・・。まあ流石に体調壊すだろうし、この世界に於いての【炊き込みご飯】の概念が僕と一致していない可能性を考慮しなければこちらとしては有り難いけれど、本当に類似しているのか。不安も直近の経験は前例がないから洒落にならないだけで結構対策はし易い方なのかも知れないと気休めをした。

 食材を刻む音が聞こえる。見ると態とかどうかはわからないけれど出入り口の扉が開いていて、それが逆に僕の逃走意欲を削る要因になっている。

「・・・・・・」

 体感では約一時間後。食事中。

「おいし?」

「ん・・・・・・ぁう」

「よかった。あまり作ったこと無かったから美味しいか不安だったんだ」

「んっ」箸を使って米を口に運ぶ。少し薄味に思えたのは健康への配慮なのかも知れないと思って、温かい料理を喰べたことから罪悪感が芽吹き始めてしまった。それを誤魔化すように咀嚼し、飲み込む。

 ちら、と彼女を見る。笑顔で此方を見ていて、少し気恥しくなって目を背けた。

 作る時間に反比例して食事時間は一時間もかからなかった。

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