第5話 2023年11月8日
次の日、目を覚ました私は朝からコーヒーをたてながら、朝御飯の準備をしていた。
暫くすると優太朗が起きてきて「おはよう」とニコニコと嬉しそうに笑っていた。
私と優太朗は、向かい合って朝御飯を一緒に食べる。
後、どのくらいこんな日々を過ごせるのだろうか?
優太朗を見つめながら、私は思っていた。
「いってくるよ」
「行ってらっしゃい」
「今日、パートは?」
「熱は下がったけど、休むつもり」
「そっか。無理しないで」
「大丈夫よ。ありがとう」
優太朗に手を握りしめられるから、私も握り返す。
パートを辞めた事を優太朗には話せない。
きっと、心配するから。
だけど、いつかわかる。
私は、優太朗を見送った。
「気をつけてね」
手を振った後、暫く見送ってからドアを閉める。
それじゃあ、始めなくちゃ!!
キッチンに行った私はいつもはきちんと引き出しにしまっている包丁立てをわざと上に出した。
カァッーーとなった優太朗が、すぐに包丁を手にとれるように置いたのだ。
食器棚から優太朗がお気に入りで使っているマグカップを取り出す。
このマグカップは、優太朗が小さな頃に今は亡き祖父母からのお小遣いを貯めて購入した高級なもの。
きっと割れたら、悲しむ。
そして怒りを感じる事だろう。
私は、床に向かって、マグカップをわざと落とす。
パリンっ……。
乾いた音がして、マグカップは大きめの欠片を残しつつ割れた。
私は、それを放置しながらお皿を洗う。
洗い終わり、箒で掃いてから……。
わざとシンクに置く。
「これは、優太朗が見つけるまで片付けない」
シンクにマグカップの欠片をそのままにして、洗面所に向かった。
洗濯物を回しながら、次の事を考える。
私は、急いで寝室にあるクローゼットを開く。
優太朗のお気に入りのカッターシャツが並ぶエリアから、ランダムに三枚を選ぶ。
クリーニングに出しているカッターシャツにアイロンを当てる必要はない。
でも……。
わざとするしかない。
私がやるべき事は、優太朗に殺意を抱かせる事なのだから……。
アイロンを温めて優太朗のカッターの上に置く。
そして、わざと放置をする。
暫くして確認すると、カッターにはアイロンの跡がくっきりと残っていた。
これだけ、焦げたら元に戻すのは不可能。
私は、わざとらしくリビングにあるゴミ箱に三枚のカッターシャツを捨てた。
他にも、出来る事をしなくちゃ……。
お気に入りのネクタイをわざとハサミで切ったり、大切にしている限定のスニーカーをゴミ箱に捨てた。
帰宅した優太朗は、割れたマグカップを見て「怪我はしなかった?」とだけ聞いた。
それだけじゃない。
失敗したカッターシャツを見て、「火傷はしなかった?」と聞き、ネクタイやスニーカーも「丁度捨てるつもりだったから」と言った。
「怒らないの?」と聞いた私に「怒る必要はないよ」と笑った。
おかしい。
こんなんじゃダメじゃない。
私は、その後も優太朗に「太ったんじゃない?」、「優太朗の稼ぎが悪いから、欲しいものも買えないのよ」と夫を苛立たせる言葉を選んで話したけれど……。
優太朗は、「そうだね。ごめんね」と笑いながら話し、苛立つ様子さえ見せなかった。
こんな状態で、私は優太朗にちゃんと殺される事は出来るの?
それでも、続けるしかないと私は、優太朗が殺したくなるように仕向け続けた。
けれど……。
優太朗は、私にたいして「いいよ、いいよ。大丈夫だから」としか言わなかった。
結局、何の未来も変わらなかったのかと言えばそうでもない。
何故か、わからないけれど……。
あの女が、私に会いに来なかったのだ。
パート先にまで来て、優太朗と別れるように言ったぐらいだからあの女は家に来ると思っていた。
だけど、現れはしなかった。
「未来が変わったのだろうか?」
私は、結婚した日にお守り代わりに持って帰ってきた【離婚届】を見つめていた。
2023年11月8日。
もう、明日なのに……。
「ただいま」
「あっ、お帰り」
「京花、離婚考えてるの?」
「こ、これは、お守りに持っていたもので……」
「京花がそう考えていたとしても、俺は嫌だなーー。だから、これは預かっとく」
「あっ、待って」
「後は、俺のサインだけなんだろ?だったら、京花には必要ないじゃない」
優太朗は、笑いながら離婚届をポケットにしまってしまった。
明日、私は殺される。
だから、せめて優太朗が怒ってくれなくちゃ……。
「どうした?顔色が悪いよ」
「う、ううん」
だったら、私は最期の言葉を優太朗に残さなくちゃね。
「今日は、ハンバーグにしようかなって思ってるんだけど……。どうかな?」
「時間かかってもいいよ。京花のご飯が出来るまで待つから」
「優太朗。私に隠し事してない?」
「隠し事……?してないよ」
「しててもしてなくてもいいんだけどね。一つだけ聞いて欲しいの」
「何かな……?」
「例え、私がいなくなったとしても……。優太朗は、笑って生きてね。最期の瞬間まで、幸せでいて欲しい」
「何それ?まるで、死んじゃうみたいに言わないでよ。京花」
まるで、死んじゃうじゃない。
確実に死ぬんだよ。
そんな言葉を言った所で、優太朗は信じてくれないだろうけど……。
「何言ってんのよ!!死ぬ時に話しなんか出来なかったら駄目だから今言ったんだよ」
「そっか。わかった」
「絶対に忘れないでよ。優太朗」
「わかった。じゃあ、俺からもいい?」
「何?」
「例え、離婚する事になっても俺は京花を愛してる。それと……。京花には最期まで生きていて欲しい」
「最期まで……。無理だったら?」
「無理かどうかは、京花が決める事じゃないから……。だから、最後まで生きるのを諦めないって約束して」
「わかった……約束する」
優太朗の真剣な眼差しに無理だよなんて笑って言えなかった。
どうせ殺されるのなら、私はあなたに殺されたかったのに……。
優太朗の大好きなハンバーグを作って一緒に食べる。
ゆっくりと流れる景色。
私は、優太朗とずっと一緒に生きていきたかった。
【離婚】なんてしたくない。
別れるぐらいなら【死んだ方がマシだよ】
ご飯を食べ終わって、歯磨きをして、一緒にベッドに入って眠る。
優太朗の寝顔を見つめながら頬を撫でる。
「優太朗、お肉ばっかり食べたら駄目だよ。野菜も食べなきゃ!明日は、仕事でしょ。いつもの時間に帰ってきてね。間違っても、早くなんか帰ってきちゃ駄目だよ。風邪引いちゃうから、布団はかぶってちゃんと寝るんだよ。飲みすぎたら、駄目だよ。優太朗、死んでもずっと愛してる」
私は、優太朗の唇にそっと唇を重ねる。
「ごめんね、優太朗。私、あなたがいない
涙が頬を流れていく。
私は、優太朗を愛してる。
だから、別れるつもりはない。
だから、私は明日殺される。
その事に、何一つ後悔はない。
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