第7話 アメさんのお悩み相談

 8月の終わり。

 昼過ぎに雨が降り、夕方にもなるとムシムシした空気が辺りに立ち込めている。

 街ゆく人々は熱と湿度にうんざりとした顔をしながら行き交っている。

 そんな中、居酒屋街はゆっくりと目を覚まし始めていた。

「やあ、今からかい?」

「おぉ!すまねぇな!あと10分くらいかかるんだ!」

 店長が暖簾を立てかけたまま声をかけてきた人物ににこやかに返す。

「そうかぁ…他のところ回ってからにするよ」

「向かいはさっき開いたからどうだい?」

「一昨日行ったよ」

「流石だな!」

「うーん…最近行ってなかった中央に行ってみるよ」

「おう!また寄ってくれ!」

 威勢のいい声にその人物は軽く片手をあげて応える。

「開いてるかい?」

 扉を開けて店を見渡す。

 店内は今開いたばかりのようで5〜6人しか入らなさそうな店内に客は1人も入っておらず、カウンターの向こうで女性が何か作っているように見える。

 もう老年と言っていいほどの歳に見えるその女性は顔をあげ、少し驚いたような顔をし、

「おやアメさん数年ぶり!もちろん開いているともさ!」

 およそ老年とは思えない張りのいい声でその人物に答える。

「いやいやいやいや、一週間くらいじゃないかな?」

「一日千秋っていうから気持ちの問題だよ!」

「相変わらずだよミツさんは」

 呵々大笑するミツさんにアメさんと呼ばれた人物は苦笑する。

「何にするんだい?」

「ビールからかな」

「久しぶりのアメさんには特別サービス!ジョッキ一回り大きくしちゃおう!」

 大はしゃぎで後ろの棚にあるジョッキではなく恐らく個人用の棚から一回り大きな大ジョッキを取り出すとそこに並々とビールを注ぎ入れる。

「ミツさんの威勢のいい声とビールがあればこの夏は乗り越えられる」

「お世辞言ったってジョッキのサイズ以上は負けられないよ!」

 トンッとカウンターに並々とビールの注がれた大ジョッキを置いた。

「ナスの素揚げはあるかい?」

「勿論だよ!アメさんの好物だろ?」

 そう言いながらミツはナスを取り出し調理を始める。

 狭い店内でアメさんと呼ばれた人物は味わうようにゆっくりとビールを飲む。

 ガラッ

 扉が開き、不健康そうな青年が店に入ってきた。

「いらっしゃい!」

 ミツの声に青年は軽く会釈をするだけで席につく。

「ハイボールを」

「はいよ!」

 青年の呟くような声にミツはすぐに反応し、手早くハイボールを作る。

「はいお待ちどう!」

 程なくして青年にハイボールが出され、青年はそれを受け取ると一気に飲み干した。

「…もう一杯お願いします」

「はいよ!そのままこれに入れるかい?」

「はい。お願いします」

 ミツはグラスを受け取り、すぐにハイボールを作り、カウンターに出す。

 青年は再び一気に飲むとため息を吐いて「もう一杯」と言ってきた。

「青年、何があった?」

 ビールを飲み終えたアメさんが「いつもの」と注文をしながら青年に声をかける。

「…ああ、失礼しました。ちょっと面倒な飲み方をして」

「いやいや、いい飲みっぷりだよ。ただ、すごく疲れた顔をしているから心配になってね」

 トンッとハーボールが出されたのを見て青年は「この人の注文は僕が出しますので」と言った。

「いや、ありがたいけど…」

「迷惑料とお悩み相談料として、どうぞ」

「まあ、ワンコイン相談感覚で」

 そう言いながら青年とアメさんは乾杯をする。



「成程、後から入ってきた人が上司になってやりたい放題か…今も昔も変わらないよねぇ」

「僕はこのままではいけないと何度も陳情しているのですが、上も、その上も聞かないどころかその人のやらかしを全てなすりつけられる始末で」

「悪循環だねぇ」

「僕が辞めても周りが被害を受けるだけですが、そのままだと会社がどうにかなってしまう…」

「でも今辞めなければ何故か全責任なすりつけられてしまうよ?」

「えっ?」

 驚いた顔でアメさんを見る青年。

「そういった輩は会社が傾いた時、誰かになすりつける癖がある。そしてそういった時は事前に根回しをする」

「……」

 視線を泳がせ、何か落ち着きがなくなった。

「心当たりがあるようだね。おそらく最近かな?」

「…はい。今日、早く会社を上がれたのはその人が珍しく「体調悪そうだから早く帰った方がいい」と言ってきて…」

「上の人が居なかったかい?」

「居ました」

「自分が部下を見ているというポイント稼ぎと、君のパソコンを触る大義名分が立ったわけだ。彼の中では、だけどね」

「…僕の会社では、他者のパソコンを勝手に触るのはダメです」

「であれば明日、そのログを確認した上で証拠として記録し、その上司の上に確認を取ったらいい。その上で相手から悪いアクションが起きるようであればパワハラを理由に辞めてしまえばいい。

 君、人脈に関する良い相がある。どこかから誘われたことないかい?」

 青年はハッとした顔をする。

「先月、幼馴染と飲んだ時に誘われました」

「だったら話は変わってくる。すぐにそこに移りなさい。ただ、さっき言ったログの確認と報告は確実にして、その記録は写真でもなんでも残して自身も持っていたらいい」

「しかし…」

「君は他者の人生の面倒をみれるかい?」

「…いいえ」

「今の君を見ているととても苦しそうだ。無理をしてサービス残業やサービス出勤を繰り返しているようにも見える。心身ともにボロボロだね…このままだと遠からず倒れるだろう。君の友人もそれを心配していなかったかい?」

「…していました」

「生涯の友と希薄な会社の関係者、君を心から心配してくれたのは?」

「───友人です」

「友人は言ったはずだ。君のその事務能力が欲しいって」

「えっ!?」

 驚いたような顔をし、アメさんを見る青年。

「やっぱりね…君は会社の内外をきちんと見ることができている。ただ、営業は少し不得手…と言っても人並み以上だ。友人からしたらそれが歯痒いだろうね」

「なんで、そこまで」

「話を聞いていたらそうとしか思えないよ?だからこそその上司は君を貶めて自分は安全確保を始めた」

「……」

 共にグラスを傾ける。

 ミツがアメさんにナスの素揚げを出し、アメさんが箸をとって一口。

「僕、友人に電話します」

 青年の台詞にアメさんは彼の方を見る。

「まあ、すぐに辞めることはできないだろうからきちんと期限を設定した上でそう宣言したらいいさ」

「はい」

「まあ、ワンコイン人生相談だ。ただ、これは言わせてほしい」

「なんでしょうか」

「その上司のここ一週間の営業訪問先を見て違和感があったら即実行しなさい。僕が断言系で色々言っているけど、結局決めるのは君自身。後悔ないような選択を」

 アメさんはそう言って残り少ないグラスを軽く掲げる。

「───はい!」

 青年も残り少なくなったグラスを掲げ、それを飲み干すとアメさんの飲食代含め全て清算して行った。

「あの青年に幸あれ」

「しかし、良かったのかい?」

 ミツさんが少し呆れたような顔でアメさんを見る。

「ん?何がだい?」

「辞めろだなんて」

「ああ、あの青年の会社を知っているんだよ。最近急に良くない噂が聞こえてきてね…おそらくはその上司だろう。それと彼には死相が少し浮かんでいたよ。このままだと彼、過労死かなにかするんじゃないかな」

「あららら…アメさん人相学までやってるのかい」

「人間観察は趣味の一つ。その中での人相学さ」

「アタシの人相は?」

「二重丸さ。これまでの苦労を糧にして今を楽しんでいる魅力的なお姉さんさ」

「お姉さんとまで言われちゃおまけしないわけにもいかないねぇ!」

 ニヤリと笑ってミツさんは洗ったばかりの大ジョッキにビールを注いでアメさんへと出す。

「そんなこと言ったらお客さん全員ミツさんのことお姉さん呼びになっちゃうよ」

「アタシだって人間観察はしているんだ。本心から言っているか位分かるさ」

「…まいった。ミツさんは本当に女将さんの器だよ」

 苦笑するアメさんを見て呵々大笑するミツさん。

 外まで聞こえたその声に惹かれて新たな客が扉を開けて入ってきた。



 半年後。



「へぇ…世の中にはとんでもない野郎がいるもんだな!」

「怖いですねぇ」

「会社の金を使い込んだだけじゃなくて顧客横流し営業かぁ…怖いねぇ」

「そういう店長だってよく横流し営業かけてるじゃないか」

「俺ぇ!?」

「まだ開いてないからどこどこの店行きな!って」

「ああ!あれも横流し営業か!コイツァ参った!」

「まあ、みんな幸せになれる横流し営業だよね」

「ははっ!参った参った!口止め料の枝豆はどうだい?」

「ありがとう。ならビールひとつ!」

「アイヨッ!」


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