第17話 小説の公募は有料化する


俳句。


または短歌。



皆さんも知っての通り、

これらは、昔々は大流行の超キレキレコンテンツでした。



どのくらいキレキレだったかというと、

国が自分たちで

「めっちゃいい歌できたから、まとめるわw」

って言ってまとめて出版しちゃうくらいキレキレでした。


考えてみ。

今で言えば、国主導で、spotifyプレイリスト作るようなもんよ。

超身内ネタで草。




そんなキレキレだった俳句や短歌は、昭和を超えたあたりからでしょうか?

歴史はよく知らないですが、

とりま商売にはならなくなっていくわけです。



昔からなってないぞって言われる有識者もいるかもしれませんが、

昔と比べて、そもそも「歌人であること」で食っていくパイが激狭になったことは確かでしょう。

出版だけでなく、歌人というステータスでもらえる儲け全体の話です。



いかにすごい短歌を書いても、俳句を書いても、

出版するのは、自費出版、同人誌としてがほとんど。

(えっちな意味じゃない、ガチの同人誌ね)


そういう経済的に成り立たない世界だと

俳句や短歌でいいものをつくろう、と言うのは、

「趣味」の範囲になるわけです。




趣味とは、研究の異名です。

そして、金にならない、と言うことをオブラートに包んだ言い方です。




いいものを作れば見てもらえるかどうか、と言うのは、

どんだけいいものを作ったかよりも、経済規模によります。


経済規模が小さいと、

そもそもクオリティアップは、製作者による美的感覚に従うこだわり、つまりエゴ以外に行う動機がなくなります。

個々人の善性に任せる、みたいなイメージ。


そうなってくると、

クオリティを競う公募みたいなものも、単なるトロフィーとなるわけです。


それこそ、趣味で俳句を雑誌に投稿するやつです。

伊藤園で賞もらって学校で表彰されて終わりのやつです。

「お前が一等」賞。




小説も、金にならなくなってきましたよね。

今日言いたいことは、そういうことです。




小説は、もうすぐ俳句化するでしょう。

流石に、ストーリーテリングの技術を含みますから、

すぐに経済規模が消滅することはないでしょう。どこかで底打ちする気がします。


でも、クオリティを担保することの意義は、短歌俳句のように趣味化するはずです。

いや、既になってるか?



ビジネス的には、そんな業界で公募を開く意義はありません。

公募をするにも、人を雇う稼働や印刷費がかかる上、お金を出版=出口で手にいれられる可能性も薄いですから。


であれば、入り口=公募参加者から参加費をいただくことになるのではないか。


あまりゲスイ感じにはしないでしょうけど、

それこそ、雑誌購読者限定、みたいな感じで間接的な参加費を取る感じになるのではないか。


短歌や俳句のコンテストは、たった数十文字でクオリティを判断できるから、無料のままかもしれません。


でも、小説は、どうでしょう。




意外と、参加費を取られる未来は近そうですよね。




15分です。


また悲観的な話ですいません。

なにも考えずに書こうとすると悲観的になってしまうのです。


次はもっと明るい話を書こうと思います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る