夏の日の話

白銀豆之助

1日目

これは僕の人生が一変した、ある夏の一週間のことです。


その頃の僕は大学四年生で、テーマの締切が近付いているにも関わらず卒業論文の内容を決めきれずにいました。それが原因で就職の面接でも上手く答えられず、落とされる日々で周りが早々に重荷から解放されていくのを眺めていることしか出来ませんでした。

すっかり弱気になった僕が親に頭を下げて家業を継ぐかと考え始めた矢先、たまたまサークルのOBであるA先輩から電話がかかってきました。

A先輩は学部こそ違いましたが、誰にでも親しげに話しかけてくる、いわゆる陽キャと呼ばれる人達に近い人です。それでいてオカルトや霊現象を真剣に信じているような変わった一面もあります。

彼の卒業以来顔も合わせていない為一体何の用向きだろうと首を傾げながら出てみると、自分の代わりに手渡しでしか受け取れない荷物を受け取って欲しいという話でした。


「向こう様がどうしても欲しいなら店に来いっていうんだけど、ちょうど明日から出張しなきゃ行けないんだ。

だからさ、数日だけ預かっててくれよ。金は既に支払ってるから受け取るだけでいいし、バイト代は出すからさ」


な、頼むよ。と懇願され、明日はたまたま空いていたのもあり頷いてしまいました。


そのお店は隣町である樫井田市のアンティークショップらしく、A先輩の欲しい品というのは大きくはないが繊細なもので店主からかなり譲るのを渋られたそうです。

色々条件は付けられたらしいのですが、これでなんとか手元に置くことができると彼は喜んでいました。

受け取った後は先輩が出張から帰るまでの一週間だけ預かってくれればいいとのことでした。出張から帰り次第僕の家に取りに来るので店主には話を通しておくと言われ、店の名前と場所を教えられた後電話は切れました。


翌日、バスを乗り継ぎ地図を検索しつつ向かうと小洒落ていて明らかに場違いな雰囲気に迎えられました。決して大きくはないものの古い洋風の古民家をまるまる改築しているのか白く塗られた壁に、シンプルな窓にはレースカーテンがかかっていて中の様子はあまり見えません。アンティーク調のドアに掛けられたOPENの文字だけが僕を歓迎しているようでした。

安物の薄ぺらい半袖のTシャツとハーフパンツで汗だくの男が入っていいような店ではないと躊躇っていると「あら、新しいお客様?」と女性の声が上から降ってきました。

見上げれば二階の小さな窓から銀髪の女性がこちらを覗いていたので名前を名乗り、荷物を受け取りに来たことを伝えると


「ああ、貴方が……ごめんなさい、そちらに向かいますね」


と言って窓が閉まり、彼女の穏やかな口調に緊張が少しほぐれたのもあってようやっと店内に足を踏み入れました。

外装に比べ中はやや暗く、冷ややかな空気に満たされ古いアンティーク調の本棚や銀細工の髪飾り、縁に細工の施された大きな姿見など様々な物が雑多に並べられていました。薄くお香のような甘く柔らかな匂いが微かにしていますが、嫌な気分になるようなことはなくむしろ店の雰囲気に合っており好印象を受けました。

きょろきょろと周りを眺めていれば窓から覗いていた女性が店の奥の扉から気泡緩衝材で梱包された長細い箱を持って現れました。


「先程は失礼しました。私は店主の空木梨愛と申します」


長い銀髪を揺らしながら頭を下げられ慌てて挨拶を返してから改めて彼女を見ると、声の印象とは裏腹に何処となく恐ろしいものを感じました。しかしそれは彼女の目の色が違うことによるものだろう、反応を見せればショックを受けるかもしれないとなるべく態度に出ないように取り繕いつつ済ませることにしました。


「こちらが商品となります」


「既に代金は頂いておりますので、お渡しするのは良いのですが……ご本人様では無いのでお預かりして頂く間の注意事項を伝えておいた方が宜しいでしょう」


手に持っていた箱を僕に見せてから紙袋に入れつつ彼女は話を続けました。


「まず、包みを開けないでください。それと水気の多い場所には置かないよう気を付けてください。そして、何が起きても返事をしてはいけません、もし話しかけられても無視をしてください」


ここで僕は返事をするだなんて一体何の話をしているのか分からなくなり、質問しようと口を開いたのですがその次の言葉に思考の全てを持っていかれました。


「それから」


「 にお気を付けください」


彼女が何かを言ったのは確かなはずなのに、その言葉だけは全く聞き取れなかったのです。音が丸ごと切り取られたかのように欠落した、というのが一番近い感覚かもしれません。


「すみません、今なんて……」


「ああ、いえ。ですがもし何かあればまたここに来てください。対処致しますので」


彼女の笑みにぞくりと悪寒が走り、それ以上僕は聞き返すこともやめてそそくさと店を出て家に帰りました。たった一週間預かるだけ、それだけの間を耐えればいい。そう思いとりあえず袋のまま棚の上に置いて眠りにつきました。


その日の夜は特に何も起きませんでした。いや、その日“は”何も起きなかった、が正しかったのでしょう。あるいは、僕が何も気付かなかっただけかも知れません。















ただそれはもう、僕を侵蝕していました。

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夏の日の話 白銀豆之助 @clonos_scarlet

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