三題噺 「気配」「城」「フライ」
登美川ステファニイ
アジフライ定食の旬
城の中には季節がなかった。高い城壁の向こうには外の世界があるという話だが、誰もそれを自分の目で見てはいない。図書館の文献にも書いてあるので恐らく正しいのだが、結局自分で確かめたものは一人もいないのだ。
「このアジっていうのは、いつが旬なんだろうね」
定食屋のカウンターに座りフライをつつく。アジフライ定食。この定食屋で二番目に安くて、そして二番目くらいにうまい定食だ。一番が何なのかと言うと、私はアジフライ定食以外を食べたことがないので分からないのだが。
「アジの旬ですか。さあ、わかりませんねえ。でも今のアジが一番おいしいですよ」
カウンターの向こうで店主が答える。今も手際よく魚をさばいている。それはアジなのだろうか。サバとか、別の魚だろうか。
「一番おいしいってことは、今が旬なんじゃないのか」
「そういう理屈になりますかね。しかし城の外のことは分かりませんからねえ」
そう言われ、はたと気付いた。そうだ。このアジは城の外で獲れた。そのはずなのだ。だとすれば、城の外を知る者がいるという事だ。アジが旬なのかどうかという事も。
「このアジはどこから来るんだ」
「どこって、城の市場ですよ」
「市場にはどこから来る。外の海だろう。外があるのか、やはり。この城には」
「さあ、わかりませんねえ。でもアジはいつも新鮮なのが入荷しますよ。海で獲れたてのいきのいいやつですよ。ほら。揚げても生きてるくらいです」
そう言ってフライヤーから店主がフライを一つ取り上げる。店主が言うように、そのフライはうねうねと動きまだ生きているようだった。
「うげっ。なんだそれは」
私は思わず口の中のフライの欠片を吐き出した。急に、動き出した気がしたのだ。今まで一度も感じた事のない違和感。皿の上のアジフライは、しかし、動いているわけではなく、いつものように動いてなどいなかった。
「大丈夫ですよ。皿に乗る頃には死んでますから。ははは。生きている方が美味しいですけどねえ」
店主は笑いながらうねうねと動くアジのフライを自分の口に放り込んだ。ボリボリと、得体の知れない音を立てて店主は咀嚼していく。私は吐き出した自分のアジフライを見て、食欲をなくして味噌汁をすすった。口の中でわかめが動いているような気がしたが、気のせいだと自分に言い聞かせて飲み込んだ。
「あんたは海を見た事があるのか」
「海ですか。見てみたいですねえ。魚をさばいていると潮の香りは感じるけど、海なんてのは気配だけでついぞ見た事がありませんな。誰もいないんじゃないですか。この城の中には」
「しかし城の外で、漁船で働いている人がいる。だとすれば海はあるし、海を、城の外を見た事のある人がいるという事だ」
私は紙ナプキンで口を拭いながらめらめらと使命感のような感覚が強くなるのを感じていた。城の外。それを見なければならない。自分で見るのが無理でも、見た事のある人を見つけなければ。この城には、外があるのだ。
「市場ってのはどこにあるんだい。俺もそこに行ってみたい」
「えっ、お客さんがですか。無理ですよ。気の短い連中ばっかりですからね。うっかり入り込んだら魚と一緒にさばかれちゃいますよ」
「今の時間なら競りも終わっているだろう。邪魔にならないようにするさ。場所を教えてくれ」
「場所ですか? ええと、どこだったかなあ」
店主は魚を捌く手を止めて首をかしげる。
「おい、とぼけるなよ。いつも行っている場所だろう」
「ええ、そうなんですがね。妙だなあ。もやがかかったように、あれ、思い出せないんですよ」
言いながらトントンと包丁を動かしていく。切っているのはイカのゲソのようだった。しかしそれは魚の体から生えている。そして魚の目からは腕が伸び、まな板の縁を掴んで逃げようとあがいているところだった。
「あ、おい! 何だその魚!」
「えっ、これですか? アジですよ。いや、サバだったかな。まあどっちだっていいじゃないですか。市場の事なんか気にしないで、さっさと食べちゃってくださいよ。次のアジフライ定食を作りますから」
「何言ってる。もういらないよ、そんな気持ちの悪い魚。そんな事より市場はどこなんだ!」
「どこも何も、ここが市場ですよ。魚はここに届く。私はそれを捌く。あなたは食べる。ちゃんと理屈があるんですから、妙なことを考えないでください」
「何を言ってるんだ?! いらない、もう食べない。市場がどこにあるのかと聞いているんだ!」
私は席を立ち勘定をカウンターに叩きつける。そして店の外に出ようとする。市場の位置など聞いた事もないが、探せば分かるだろう。
「どこに行こうってんです」
店主が私の背中に声をかける。間延びした、どこか呆れたような声だった。
「市場だ。城の外を確認する。確認しなきゃいけないんだ!」
「自分がどこから来たかもわからないのに? 元の場所が分からないのに、次の場所になんか行けるわけないじゃないですか」
「何だって? どこから来たって、そりゃあ――」
――どこから来たのだろうか。言われて、愕然とする。私はどこから来たのだ。何故この定食屋にいるのか。そもそも私とは……一体誰なんだ?
「ほら落ち着いて。アジフライ定食、あがりましたよ」
店主がカウンターに新しいアジフライ定食をおく。湯気が立ち上り、うねうねと動くフライ。ご飯茶碗の中にはいくつかの目が見えた。味噌汁の中には得体の知れない文明が潜んでいるようだった。
「城の外に行くんなら精をつけないと。さあ、食べて」
「……ああ、そうだな」
私は呆然自失としながら、店主の言葉に導かれるように席に座る。そうだ。アジフライ定食を食べに来たのだ。何のために? 何のために、とは、ナンセンスな。食べに来たのだ。それが目的であり、理由だ。
「やっぱり揚げたてが一番ですからね。アジフライの旬は、今ですよ」
三題噺 「気配」「城」「フライ」 登美川ステファニイ @ulbak
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