公爵領の問題 2
「あー食べ過ぎた、お腹苦しい!」
「そりゃあ、あれだけ食べればな……」
与えられた二階の部屋で、だらーんとソファに横になると、ジルベールがあきれ顔をした。
サロンでケーキを食べたあと、ジルベールは領地の状況についてカントリーハウスの執事から報告を受けるというので、セレアはロメーヌとともに庭を散歩することにした。
そして散歩を終えて少しして、夕食になったのである。
散歩したと言っても胃の中のケーキがすべて消化されたわけではなかったが、出された夕食が美味しくて、これまたたらふく食べてしまった。おかげでお腹がパンパンだ。
「食べるのはいいが、加減を見誤ると体調を崩すぞ」
ジルベールがソファに横になっているセレアの頭をそっと撫でる。
触らないでと突っぱねるのも億劫で、セレアは黙ってされるままになった。
大きな手が遠慮がちに、けれども優しく髪を梳くように撫でていくのが思いのほか気持ちがいい。
「以前よりも瘴気溜まりが大きくなっているようだ」
ジルベールがぽつんと言った。
聖女として利用されるのは嫌だが、かといって無視するのも気まずくて、セレアは「ふうん」と返事をして起き上がった。
「ねえ、気になってたんだけど、聖女ってわたしの他にもいるのよね? 瘴気溜まりで困ってるなら、もっと前に聖女の誰かに頼んで浄化してもらえばよかったんじゃないの?」
「いるが……ああそうか、君は知らないのか」
「知らないわよ。他の聖女と会ったこともないし」
ジルベールはセレアの座っているソファの対面に座った。
ニナがハーブティーを運んでくる。
「今確認できている聖女はお前を含めて三人だ。一人は公爵家の養女になっていて、現在十歳。もう一人は王太子妃だ」
「王太子妃⁉ ……そ、そりゃあ、借りれないわね」
もう一人も十歳の子供であるなら、さすがに連れてきて瘴気溜まりを浄化しろとも言いにくいだろう。
「いや、状況によっては、王太子妃のお力を借りることも可能なんだが……、現在、王太子妃は懐妊中なんだ。無理はさせられない。それから、そうでなくとも頻繁に王太子妃にすがることはできないからな、よほど状況が悪化しない限り不可能だ。瘴気溜まりが発生するたびに王太子妃に足を運んでもらうわけにもいかない」
「まあそうよね」
王太子妃でなくとも、瘴気溜まりが発生するたびに国中を飛び回るのは勘弁だろう。少なくともセレアは嫌だ。
「君を引き取ったデュフール男爵が私利私欲で動かず、君が聖女であると世間的に公表していて、また、政治的な観点からも問題ない男だったならば、デュフール男爵家には聖女の貸し出し申請が相次いでいただろう」
「……貸し出し申請ってものみたいだわ」
「いい方が悪かったのならすまない。だが、間違いなくそうなっていた。いや、もしかしたら来ていたのかもしれないな。公表していないだけで君が聖女だろうと言うのは知られていたから。ただ、聖女を貸し出す場合、金銭的な要求をしてはならないと国で決められているから男爵は君を出さなかったのだろう」
「あのデブならあり得るわね」
逆に、金銭的な要求が可能だったならば相手に法外な金額を吹っ掛けてセレアを酷使していただろう。そういう男だ。
「でも、金銭的な要求をしてはいけないって、なんでそんな変な決まりごとができたの?」
「昔、聖女を運良く手に入れた下級貴族が、金になるからと聖女を酷使して死なせてしまった例があるんだ。二度とそんな過ちを犯さないように、三代前の国王陛下が決めた」
「あのデブ以外にもいるのね、ろくでもない貴族って」
言いながら、セレアはゾッとした。一歩間違っていれば、セレアも同じような目に遭っていたかもしれないからだ。
(でもなるほど、その状況なら、何が何でもわたしが欲しいわよね)
残る二人の聖女の力を頼れないとなると、選択肢はセレア一人しか残らない。
「明日、一番近くにある瘴気溜まりの様子を見に行ってくる。日帰りは無理だから、戻るのは明後日になるだろう。被害の確認や、魔物の状況なども見てこないとな。魔物討伐で兵士たちも疲弊しているだろうし、場合によっては国の兵を借りる必要があるかもしれない」
「……そんなところに行って大丈夫なの?」
「安全とまでは言えないが、そこで生活している領民もいるし、魔術師が町や村には結界を張っている。結界内には、よほど強い魔物以外は入って来られない」
「強い魔物は入って来られるの?」
「魔術師の結界を破るだけの力がある魔物はな。だが、今のところそれほど強大な魔物が発生したという報告は受けていない。……このまま瘴気溜まりが大きくなり続ければわからないが」
「だったら――」
早く瘴気溜まりをどうにかしなくてはいけないんじゃないのか。そう言いかけて、セレアは口をつぐむ。聖女として利用されることを拒み、結婚を拒み、ジルベールを拒絶している自分が、どの口で言えるというのだろう。
かといって、自分が瘴気溜まりを何とかするとは、言えなかった。
妙なことに、力を使うか使わないかが、セレアとジルベールを隔てる最後の一線のような気がしたのだ。
力を使うと、そのままなし崩しに結婚が決まる気がして、どうしても言えなかった。
何もしなくても、ジルベールはセレアを逃がすつもりはないとわかっているのに、おかしな話だけれど。
「俺の留守中、敷地の外に行かなければどこに行っても構わないが、一人で出歩かないように。それから――もう、逃げるなよ」
ジルベールが最後、躊躇うように沈黙した後で真剣な顔で言った。
セレアはわずかに視線を落とし、小さな声で返す。
「……逃げないわよ」
もう、そんなつもりはないのだ。
ただ――、なんだか今の自分がすごく中途半端な存在に感じられる。
どうしてだか、わからないけれど。
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