公爵領の問題 1

 セレアたちを乗せた馬車は二週間かけてレマディエ公爵領に到着した。

 レマディエ公爵家のカントリーハウスは南の領地でもさらに南のところにあり、タウンハウスとは比べ物にならない広大な敷地の中にある、お城のような巨大な邸だった。


(いったい何部屋あるんだろ……掃除が大変そう……)


 デュフール男爵家で使用人扱いを受けていたセレアは、つい掃除の心配をしてしまった。

 だって、タウンハウスもびっくりするほど大きかったが、ここはその比ではない。部屋だってなん十部屋あるのかわからなかった。ここを掃除しろと言われれば一日では終わらないのは確実だし、途方もなさ過ぎて茫然としてしまうに違いない。

 馬車を降りて、玄関前に立ち尽くしたセレアがぼけーっと邸を見上げていると、ジルベールに手を掴まれた。


「ぼーっとしていないで行くぞ」


 レマディエ公爵家のタウンハウスにも大勢の使用人がいたし、モルガンやニナをはじめ、数名の使用人はついてきたけれど、カントリーハウスにはカントリーハウスで大勢の使用人が雇われているようだ。

 カントリーハウス専属の執事もいるので、ここに来た時はモルガンはもっぱらジルベールの補佐役のような仕事をするらしい。


 ジルベールに引っ張られるようにして玄関扉をくぐれば、ずらりと左右に並んだ使用人と、そして四十半ばほどの穏やかそうな女性が待っていた。ジルベールによく似たプラチナブロンドに、ジルベールよりも青の強い紫色の瞳をしている。


「母のロメーヌだ。母上、こちらは手紙に書いた妻のセレアです」


 はじめまして――と緊張しながら腰を折ろうとしたセレアは、「妻」という単語に「ん?」と首をひねった。


(ちょっと待って何勝手に妻にしてんのよ!)


 セレアは抗議しようと思ったが、その前ににこにこと微笑んだロメーヌに手を握られて、抗議するチャンスを逃してしまった。


「まあまあ、会いたかったのよ。いらっしゃい、セレア」

「は、はい。はじめまして……お義母様」


 わずかに逡巡し、セレアはあきらめてロメーヌを義母と呼ぶ。

 するとロメーヌは嬉しそうに双眸を細めた。


「ジルベールが婚約期間も置かずに結婚したと聞いたときは驚いたけれど、こんなに可愛らしいお嬢さんの母親になれるなんて感激だわ。荷物を置いたらお茶にしましょう。美味しいケーキを用意してあるの」

(ケーキ!)


 セレアは瞳を輝かせた。

 デュフール男爵家のババア――義母はろくでもない女だったが、ロメーヌはとても優しそうだ。

 ジルベールが勝手に結婚したと報告していたのには腹が立ったが、この場で騒いでロメーヌを気まずくさせるのは可哀そうな気がした。


(まいっか、あいつを問い詰めるよりケーキが先よ)


 舌の肥えた元公爵夫人が「美味しい」というケーキだ。期待値は高い。

 セレアはロメーヌにすぐに行くと告げて、ニナとともに二階に上がった。

 セレアはこのままでもよかったのだが、ニナが着替えるべきだというので、ドレスを着替えさせてもらう。

 ドレスを着替え終わったころになってジルベールがやって来たので、てっきりセレアを呼びに来たのかと思えば、部屋の中に彼の荷物が運びこまれて、セレアは嫌な予感を覚えた。


「……まさか、ここでもジル様と同じ部屋なの?」

「夫婦だからな、当たり前だろう?」

「だから夫婦じゃ――むぐっ」


 ない! と言いかけたセレアの口が、ジルベールの大きな手に塞がれた。


「母上が心配するから余計なことは言わないように」

(もとはと言えばあんたが嘘をついたのが悪いんでしょう⁉)


 普通、自分の母親にそんな大それた嘘をつくだろうか。

 口を塞がれたままセレアがじろりと睨めば、ジルベールが耳元で小さくささやいた。


「母上は君に会えるのをとても楽しみにしていた。頼むから、母上の前では仲睦まじい夫婦を演じてくれ」

「うむむむむ」

「文句があるなら王都に帰ってから聞く。母上は瘴気溜まりや魔物の問題にも心を痛めていたが、それを抜きにしても、義理の娘ができると喜んでくれていたんだ。半年前……もうすぐ七か月か。母上は父上が死んでふさぎ込んでいたんだ。これ以上の心労はかけたくない」

(だからそれもあんたが嘘をつかなかったらよかった話でしょうが!)


 心の中で文句を言って、しかしセレアは頷いた。

 ジルベールはともかく、夫を亡くしてまだ半年余りしか経っていないロメーヌを、これ以上悲しませるのはセレアも心苦しい。だってロメーヌはいい人そうだ。


(そういえば、こいつのお父さんはなんで死んだのかしら? お義母様もまだ若いってことは、お義父様もまだ若かったはずよね?)


 義母と義父の間に年の差があったとしても、三十歳も四十歳も離れていることはあるまい。

 セレアはふと気になったが、他人の親の死因を聞くのは失礼な気がして訊ねるのはやめておいた。

 ジルベールとともにロメーヌの待つサロンへ向かうと、彼女はすでにそこで待っていた。

 セレアが入室すると、メイドに命じてたくさんのケーキとお茶を準備させる。


(なんかよくわかんないけど見たことのないケーキがたくさん!)


 並べられた色とりどりのケーキに、セレアはごくりと口の中に溜まった唾を飲みこんだ。


(あれはチョコよね。こっちはイチゴ。この緑のはなにかしら? あっちのオレンジの輪切りが乗ってるのも気になる……)


 ケーキに視線が釘付けのセレアに、ジルベールがごほんと小さく咳ばらいをした。

 セレアはハッとして姿勢を正す。


「えっと、改めまして……セレアです。よろしくお願いします」


 なにを「よろしくお願い」しているのか自分でもわからなかったが、緊張しながら挨拶すると、ロメーヌがころころと笑う。


「ジルベールの母のロメーヌです。ふふ、こちらこそよろしくお願いいたします」


 セレアにあわせてくれたのだろう、ロメーヌはそう言って優雅に頭を下げる。

 そして、パンと手を叩くと、ローテーブルの上に並ぶケーキに手のひらを向けた。


「堅苦しい挨拶はなしにして、好きなだけ食べてちょうだい。おしゃべりは食べながらでもできるもの」

「いいんですか? ではさっそく……」


 目移りしながら気になっていた緑色のケーキを選んでメイドにさらに取り分けてもらう。

 もぐもぐとケーキを食べはじめると、ジルベールが苦笑した。


「母上、手紙にも書いた通り、彼女はいつもこんな感じなので……」

「ええ、素直でとっても可愛らしいわ。セレア、そのピスタチオのケーキはわたくしも大好きなの。どうかしら?」

(ピスタチオ!)


 なるほど、だから緑色だったのだ。

 ピスタチオはナッツのまま食べたことならあるけれど、スイーツに加工したものは食べたことがなかったのでなんだか新鮮だった。


「んぐ、とっても美味しいです!」

「よかったわ!」


 一切れを全部食べ終わってから答えると、ロメーヌが微笑んで別のケーキを指さした。


「こっちのフランボワーズのケーキもおすすめよ」

「いただきます!」

「おい、あんまり食べ過ぎると夕食が入らなくなるぞ」


 すかさず二個目のケーキに突入しようとするセレアに、ジルベールが心配そうに言うが、ケーキの二個や三個で夕食が入らなくなるような小さな胃はしていないので大丈夫だ。

 デュフール男爵家にいた時に小さくなった胃は、レマディエ公爵家で出される美味しい食事のおかげでだいぶ大きくなっているのである。


「あら、夕食が入らなければ少なくすればいいでしょう? ケーキは好きなだけ食べていいのよ」

「お義母様大好きです‼」


 ロメーヌはなんていい人なのだろう。

 感激したセレアが思わず叫ぶと、ロメーヌが嬉しそうに「まあまあ」と笑う。

 ジルベールが額に手を当てて天井を仰いだ。

 セレアが三つ目のチョコレートケーキに突入したころになって、ロメーヌがティーカップに口をつけつつジルベールに言った。


「ところで、結婚したのはいいけれど、式はどうするつもりなの?」

「それはまたおいおい。手紙にも書きましたが、セレアの立場は微妙なので……」

「聖女なのよね。そして実家の問題を何とかしなくてはいけない、と」

「そうです。だから、しばらくはセレアが俺の側にいることを隠しておきたいんです。陛下にはすでに相談を上げているので、折を見てうまくするつもりではありますが、さすがにまだ動くには早い」

「くれぐれも慎重にね。セレアが不利益を被らないように……」

「わかっています」


 ロメーヌはどうやら、セレアが聖女であることも、セレアの実家がデュフール男爵家であることも知っているようだった。

 しかしそれよりも驚いたのが、ジルベールの言った「陛下にはすでに相談を上げている」という言葉である。つまり、セレアの存在も、そしてジルベールがデュフール男爵家から攫って閉じ込めていることも、国王は知っているということだ。


(つまり陛下も拉致監禁を許しちゃったわけね)


 拉致監禁と言うにはのびのびと生活させてもらっているが、セレアが攫われてレマディエ公爵家に囚われているのは紛れもない事実である。

 国王が認めているということは、ある意味「合法」だということだ。信じられない。

 複雑だが、それだけ聖女であるセレアがデュフール男爵家にいることが問題視されていたということだろうか。


(それにしても、結婚式とか、国王陛下が知ってるとか、どうあってもわたしはジル様と結婚する運命なのかしら……)


 いやだいやだと騒いだところで、すでに外堀が埋められている気がする。

 セレアは四つ目のオレンジムースケーキに手を伸ばしつつ、むむむっと考え込んだ。





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