公爵領の問題 3
「ジル様はどうしてわたしに瘴気溜まりを浄化しろって言わないのかしら?」
次の日、ロメーヌとともにジルベールを見送った後、セレアはニナとともに庭の四阿にいた。
天気がいいので庭でお茶を飲んではどうかとニナが提案してくれたのだ。
五角柱の形をした四阿は人が五、六人入っても余裕があるほどに広い。
ティーポットからお茶を注ぐニナに向かって、独り言にも近い問いを投げかけると、ニナは笑って顔を上げた。
「それは、旦那様が奥様の気持ちを大切にしているからだと思います」
「大切に?」
「はい。だって、奥様は聖女の力が、その……あまりお好きではないのでしょう? 旦那様から聞きました。奥様に聖女としての役割を強要するようなことは言うなと、レマディエ公爵家で働くわたくしたちは、全員そのように注意を受けております」
「……知らなかったわ」
ジルベールはいつの間にニナたちにそのような話をしたのだろうか。
セレアを攫って邸に閉じ込めるような強引な男だ。セレアに聖女の力を使うこと強要しても不思議ではないのに、逆に使用人たちに注意をしていたとは思わなかった。
ニナはティーカップに丁寧に紅茶を注いで、セレアの前にそっと置く。
「旦那様も、本当は奥様のお力が借りたくて仕方がないと思いますよ。大旦那様のこともありますし、焦っておいでなのも確かでしょう。でも……それでも奥様の心を傷つけないように気を付けておいでなのです」
「大旦那様? ジル様のお父様のことかしら? 何かあったの?」
「はい。あ、ご存じなかったですか?」
ニナは「しまった」と言いたそうな顔で口をつぐみ、左右に視線を這わせると、唇に人差し指を立てた。
「わたくしから聞いたことは内緒にしてくれますか?」
「うん、それはもちろん」
ニナはセレアの隣に浅く腰かけると、内緒話をするように顔を近づける。
「別に秘密にされていることではないのですけど……、その、大旦那様は、魔物に殺されたんです」
「え?」
「瘴気溜まりを確認しに行った帰りだと聞いています。馬車が襲われて、そのまま……。だから旦那様は余計に焦っておいでだったんです。奥様を強引にお迎えしたのも、そういう背景があってのことなんです」
父親を亡くしたジルベールは、これ以上被害が拡大しないように、どうしても聖女の力が欲しかったのだとニナは言う。
(だったらなおのこと、わたしに力を使うように言えばいいのに……)
セレアが何度も逃げようとしたからだろうか。
もの扱いするなと怒ったからだろうか。
いつまでもジルベールに突っかかっているからだろうか。
だからジルベールは、セレアに力を使えと言えなかったのかもしれない。
(強引に攫っておいて、気持ちを大切にとか、意味わかんないわ)
強引なことをしたのなら、最後まで強引になればいいのに、それをしない。
セレアの意思を無視して連れてきて閉じ込めたことに対して、彼なりに思うところがあるのだろうか。
わからないけれど、セレアの心を無視したと思えば守ろうとしてみたり、ジルベールが何をしたいのかセレアには理解できなかった。
(言えばいいのに……)
父親を魔物に殺された。これ以上被害を出したくない。領民がとても困っている。だから瘴気溜まりを何とかしたい。力を貸せ。――そう、言えばいいのに。
「魔物の被害って、多いの?」
「わたくしはずっと王都の邸に勤めておりますので詳しくは知りませんが……、昨日、こちらのメイドから聞いた話だと、魔物の数がどんどん増えていて、比較的強い魔物も発生しはじめているとのことでした。公爵軍の騎士や魔術師たちが瘴気溜まりが発生している地域に常駐して魔物討伐などをしているみたいですが、追いつかないみたいです」
「瘴気溜まりはいくつあるの?」
「三つだと聞いています」
「……そう」
ふと、魔物に襲われていたバジルとファラのことを思い出す。
あの時の瘴気溜まりは小さなものだった。発生した魔物も、弱い魔物だったと思う。それでもゾッとしたのに、レマディエ公爵領に発生している瘴気溜まりはその比ではないはずだ。
ニナはセレアの手をきゅっと握った。
「奥様……。たぶんですが旦那様は、ご自分から奥様に力を貸してほしいとは言わない気がします。だから……」
ニナの言いたいことはわかる。
セレアからジルベールに言ってほしい。瘴気溜まりを浄化する、と。ニナはそう続けたいはずだ。
けれどもジルベールが「聖女としての役割を強要するようなことは言うな」と言ったからか、それ以上は続けられずに、ニナはきゅっと唇を噛んで黙り込んだ。
セレアは何も言わず、ニナの手を握り返す。
少し時間が必要だ。
自分の心の中を整理する、時間が。
ジルベールが戻ってくるのは、早くても明日の昼過ぎだと聞いた。それまでに自分の中で折り合いをつけて答えを出そう。……そろそろ自分の立ち位置は、自分で決めるべきだから。
「……ジル様が帰ったら、話してみるわ」
逃げようとしても、目を背けても、セレアは「聖女」として生きていくしかないのだろう。
ならばせめて自分で選ぼうと、セレアは決めた。
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