教師



公主ゴンジュ、よろしいでしょうか」


 呼びかけてきたのはシャオニと同じく侍女のひとり、イーズアだ。すらりとした体躯をたおやかに傾がせ、玲瓏とした面持ちで傍らの人物を紹介しようとしている。メイファは余裕ぶって手を膝の上へ置いた。すぐさまシャオニが扇で遮断する。来訪者は男だ。


「ええ、どうぞ」


 後宮に宦官かんがん以外の男が入るなんて、よほど皇帝の気に入りか、許可せざるを得ないほどの重要人物だ。


 見慣れないつば広の帽子には鳥の尾羽、大ぶりで重そうな玉の首飾りをいくつもぶら下げ、たっぷりとした衣に長靴ちょうかの男。顔が赤い。シャオニがはばかりなく渋面をつくった。


「湖の谷アニロンよりお越しの、サンデルさまです」


 初老の彼は腰を落としドーレン式の拝礼をしてみせた。楽にするよう言うと立ち上がり、ニコリと笑む。


「お初にお目にかかり光栄でございます、高和公主ガオフォゴンジュ


 流暢な東語だ。メイファはシャオニに扇をどけさせた。


「こちらこそ。ええと、本日はどのようなご要件で?」

「わたくしは公主の語学教師としてお招きいただきました。中央語の」

「中央語……」


 ああ、そうか。アニロンでは自国の言葉を『中央語』というのだ。ドーレンでは西語に相当する。


「それは皇上ファンシャンのはからいで?」

「いえ、我が国からお願いいたしました」

「そうなのですか。それはありがたい」


 シャオニの非難の視線をほとんど無視してサンデルに近づいた。


「あの、なぜ頬に赤い化粧を?」

「ああ、これは赭土あかつちです。こちらに来る商人はしていませんか?」

「都に来ていたアニロンの方はしていませんでした」

「おぞましい。鬼のよう」

「シャオニ」

「なるほど、これは失礼しました。すぐに落として参りますね」


 受けが良くないとすぐに察したサンデルはにこやかなまま軽く頭を下げ、イーズアに案内されていく。が、メイファは咄嗟に呼び止めていた。その時間がもったいない。


「あの、そのままでけっこうです。それより言葉を教えてもらえるのですよね。その……できればこれまでのアニロンのことや現状などもいろいろ知りたいのですが」


 ドーレンの教師も宮女もほぼ悪口ばかりでまともな情報を聞けない。アニロンから遣わされた彼なら詳しいはずだ。するとサンデルはほう、と口許をゆるめた。


「公主御自おみずからそうおっしゃっていただけるとは嬉しいかぎり。もちろん余すことなくお話しましょう。公主は我が国の大切な王妃ツンモとなるべき御方ですから」


 サンデルは宣言どおり歴史から女たちの間で流行りの髪型まで、アニロンについてありとあらゆることを教えてくれた。



 中つ国の北にはいにしえよりヒュンノールという大国がありアニロンとは長年敵対していたのだが、昨秋ついに勝利して北国は滅び、アニロン軍は征服されていた諸民族を解放した。

 しかし、終戦を機に冷戦状態だったここドーレンと友好関係を築こうという穏健派と勢いに乗って再び先端を開きドーレンを征服しようという過激派が対立。内乱に発展したらしい。



「なるほど、だからアニロンの商人がまったく来なくなったのですね」

「今は少し落ち着いたといえ、まだまだ緊張が抜けない世情で」

「その……アニロン王は、もちろん穏健派なのですよね?」


 降嫁を求めているくらいだ。


「あら、公主を人質にしてドーレンにがめつくたかる気かもしれませんわよ?」


 シャオニのトゲのある言にもサンデルは笑うのみだ。


「我らがゲーポは真にドーレンと平和な関係を築きたいと望んでおられます」

「よかった」

「たとい王がそうでも周りはそうとは限りませんわ。ドーレン人だからと意地悪されるかもしれません。だから油断してはだめです」

「シャオニはうたぐり深いですわね」


 イーズアが呆れて言ったがシャオニは譲らなかった。


「公主や宮女であるあたくしたちの身分をアニロン人は本当に分かっておいでですの?当地でふさわしい対応をしていただかなければ朝廷に訴えますことよ」

「ご安心ください。公主はゲーポの正妻として最上のおもてなしを。侍女どの方もふさわしい部屋や衣や宝飾品、よく言うことを聞く下男下女を用意いたしますよ」

「まあ、そう。だったらいいのです」


 サンデルが柔和で助かった、とメイファは胸をなで下ろした。それに、アニロンへ行ってもきちんとした待遇をしてもらえると確約されて安心した。




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