一章

後宮



 皇帝、つまり異母兄はメイファがアニロンへ降嫁するのは一年後とのたまったが、あちらの王都に辿り着くのに三月みつきかかるらしく実際に後宮で花嫁修業する期間は差し引いた残りとなる。

 花嫁修業といってもドーレンはアニロンを古来より野蛮な未開の地だと蔑んできたので、宮女が嗜んでいる程度の基本が出来ていれば十分通じるということでそれほど熱心に教えてくれる教師はいなかった。

 メイファも音曲やら詩文やら、ドーレンの国学を重点的にしてもあまりためにはならいと感じていた。


「政学は大切だと思うけど」

「まああ、殿方のようなことをおっしゃるのですね」


 大げさにけ反ってみせたのは後宮であてがわれた侍女、シャオニだ。歳は十五の花ざかり、みずみずしい肌に白粉おしろいをはたき潤んだ唇を真っ赤に塗った派手美人は、顔を合わせた当初からメイファのことを小馬鹿にしている。


公主ゴンジュは表にはあまり関わりませんことよ」

「でもアニロンでは女も軍議に参加するって聞いた」

「ドーレンの公主が野蛮な国のしきたりに従うなんておかしいですわ」

「いや、そうじゃなくて……」


 商人との世話ばなしだけではアニロンという国の概要さえよく掴めなかった。だからせめてドーレンや他の国々とどう関わってきたのかを知りたいと思っただけなのだが。だって、仮にも嫁入りする地で、これから自分が生活する国で、夫はアニロン王なわけだから。


 シャオニとはどうにも会話が噛み合わない。けれど同情する。

 彼女はメイファに付けられた侍女のうちのひとり、アニロンへも同行し、媵人ようじん――側妾候補として王族に仕え、今後も正妻であるメイファの身の回りの世話をする。うら若き十五の乙女がこれからの一生を毛嫌いしている異国の地で過ごさなければならないのは、やっぱり可哀想だと思う。

 そしてその鬱憤の矛先が元凶に向くのは自然なことで、そのメイファはといえばそれを跳ね返す度胸も経験もない。


「そもそも武器商人なんかの娘が公主なんて。本当に皇上ファンシャンの妹君なんですの?みんな信じておりませんわよ?」

「まあ、わたしもそう思ってる」


 ぺしりと手ぬぐいで叩かれた。「卓に伸びるのはおやめなさいませ、はしたない!そんな無作法でアニロンの者どもに偽物だと疑われれば終わりですわ」

「それは、そうだね」


 しゃきりと姿勢を正したものの退屈で眠くなる。後宮はまさに箱庭そのもので、邸にいる頃は夜明けから外を駆け回っていた生活だったからこんなにダラダラする日々が来るなんて思いもよらなかった。


「空が青いなあ……アニロンの空も青いのかな」

「寝惚けてるんですの?」


 明らかに睥睨されて肩を竦ませ、テキパキと動くシャオニの手を眺める。


「刺繍上手だね」

「公主も少しはやってくださいまし!さっきから酔っぱらいみたいに!」


 縫い物は決して不得手ではないが細かい作業は集中力が続かない。よく帳簿に見飽きて算盤そろばんはじく手が止まって祖母に怒られたっけ、と懐かしく微笑んだ。




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