亡母



 そもそも祖母と母に血の繋がりは無い。母はもともと孤児、若かりし祖母に拾われ幼い頃から仕えてきたいわば奴隷で、皇帝の側妾そくしょうはおろか宮城へ入るのも難しいほどの身分だ。


 この家、ファン家は市中の鍛冶屋を取りまとめている武器商だ。祖母は急逝した夫の跡を継ぐかたちで事業を拡大し今や国内だけでなく外国とも取引するほどの豪商となった。軍兵の剣や盾、馬具にはほとんどファン家の紋章が入っている。

 官府のお墨付きまでもらっているここへ、武芸に秀でていた時の皇上ファンシャン――先代帝が行幸した際、何の間違いか母は見初められ、そしてわたしを産んだのだ。


 二人が結ばれて後すぐ乱が起き、皇太子が父親を討ち取って国はあらたまった。それで母のことは先代帝とともに過去のものとされてしまった。



「わたしが男だったら変わってたかもしれないね。むしろ生まれてすぐ殺されてたかも。というか、わたしが本当に王家の血をひいてるのかさえも怪しいよ」

「いいや、お前のとがった耳のかたちは先代にそっくりじゃ。それにミンジュは帝を差し置いては誰とも付き合っておらなんだ。下賎の出ではあったが美しく奥ゆかしく気品ある、わらわの自慢の娘じゃった」


 子供が生まれなかった祖母はつかの間遠い目をして溜息をつき、それなのに、とメイファを見やった。


「お前が似たのは外側だけよの。ミンジュは算盤そろばんも琵琶も教えればすぐ覚え器用で気が利いたというに、お前はとくに頭も良くないしぼんやりしてるわどんくさいわで」

「ご主人様、ミンジュ様ものほほんとしておられましたよ」

「おだまり。護衛のお前が甘やかしすぎるからこの子はのらりくらりとしたままとうとう十九になってしまった」

「ハオイン、火に油注がないでよ」


 肘で小突いたが彼は気にしない。


「お嬢だって品定めの目は確かですし、馬に乗れますし外国語だって話せます」

「まあ挨拶程度にね」


 はあ、と祖母はまた盛大に息を吐き出した。


「馬に乗れたとてどうする。それが知られてしまったのか、西域に出すにちょうど良いと思われたのか。いずれにしてもこんなことになる前にさっさと近場のちょうどいいのとくっつけておけばよかった。メイファ。お前、大丈夫なのか?」


 ようやく怒りが鎮まったか、祖母はみるみる心配げにしおれる。「いずれはこの邸も店もお前に継がせても良いと考えていたが、先手を打たれたゆえそれも叶わなくなった。皇上と朝廷のめいにはいかな豪商ファン家とて金を積んでも逆らえぬ。じゃが、できうるかぎりのことはするぞ。お前が嫌じゃと言うなら明日にでも抗議しに行く」

「ああ、待ってお祖母さま。……正直、実感ないっていうか、まだぜんぜん気持ちがついていってなくて」


 メイファは喉で唸り、無理に笑顔をつくった。


「でも、断れないのは分かってる。今はただ、お祖母さまやハオインと離れ離れになるのはさみしいなって、それだけ」

「俺はついて行きますよ?」

「え?」


 こともなげに宣言して茶をすするハオインにメイファは訊き返す。


「ハオイン、分かってる?西域だよ?アニロンに行くんだよ?」

「分かっていますとも」

「あなた、この国から、ううん、この街からさえ出たことないのに」

「お互い様です」

「軍兵でもない」

「毎日誘いを断るのが大変なくらいには引く手あまたです」


 それでも、と祖母と護衛を見比べた。


「わたしのせいであなたを巻き込むのは、だめ。だってアニロンもいま内乱が起きて大変なんでしょ?あっちからの商人がぱったり来なくなって、悪い噂ばかり流れてくるしきっと危険だよ」

「そんな危険なところへお嬢だけ行かせるなんてできません。ご主人様、よろしいですよね?」


 ハオインの真摯な目を見返して祖母は重く頷いた。


「この国の外となれば妾の手は届かぬ。付き人や護衛の要望は絶対に飲ませるゆえ気にするでない」

「でも、お祖母さま」

「メイファ。妾の可愛い孫や」


 手招きされて近づくと抱きしめられた。


「どんくさいとは言うたがお前には商才がある。それがいずれ役立つこともあろう。じゃが、地位や金に溺れれば必ず足許を掬われる。ここで育って見てきたこと感じたこと、絶対に忘れてはならぬぞ。王族は民草を守るためにいるのだから」

「お祖母さま……」

「何事にも動じぬお前ならどこでもやってゆける。じゃがの、耐えきれぬほど辛いときは逃げて帰っておいで。妾もこの邸もいつでもここにある」

「……はい……」

「お嬢はすぐに音を上げそうですが」

「空気読んでハオイン」


 本当に行くんだ。本当に、ドーレンを出て、敵国と言ってもいいような何も知らない土地へ。

 やっと頭が理解しはじめて、別れを言うべき人や物や風景に思いを馳せたら、一気に涙が溢れた。




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