第13話 その名に祝福を
毎晩、夕食を終えると、俺とアマルは二人してベットに腰かけ、話をするのが日課になっている。
といっても、アマルが自身のことを語ることはまずなく、ほとんど一方的に俺が話す形だ。それは俺のプライベートのことから、日本の文化や学問など多岐にわたる。アマルは、俺に関わることであればどんなことでも聞きたがった。
そんな中、母国語である日本語の話題になり、口で説明することが難しかったため、百間は一見に如かずと言う訳で、机から蝋版を引っ張り出し書き出している。
「えっと、それでな、俺の名前は本来こう書くんだ」
薄い木の蝋板に、鉄筆で
「これが俺の名前だ」
「なんだか、模様のようですね」
アマルは、目に焼き付けるようにじっと蝋板を凝視している。
「ああ。元々は絵から発展した言葉だからな。漢字って言うんだ。表意文字といって、この一文字一文字に独立した意味がある」
「なるほど、そうなのですね。アンディ様のお名前は、どのような意味があるのですか?」
「んー、別に珍しいもんでもないが、まぁ栄えるとか、下向きの力に負けず上へ上がるとかそんな感じだ」
「……とても、良いお名前ですね。アマルはアンディ様のお名前がこの世で一番素敵だと思います」
「あ、ああ、うん。ありがとな」
ふわり、と優しく微笑むアマルの顔を見ていると、気恥ずかしくなる。お世辞じゃなくて、アマルは本当にそう思っているのだろう。だからこそ、始末におえない。俺は頭を軽く振って、気持ちを切り替える。
「そういや、アマルの名前はどういう意味なんだ?」
何気ない質問だった。アマルは、ビクリと肩を震わせ下を向いた。言いにくそうに、言葉を発する。
「……その、私……の名前は……っ」
珍しく歯切れが悪そうに言うアマルを見て、もしかしてドキュンネーム的な名前なのか、と間探りしてしまう。
そういえば、アマルは俺にアマルティアという本名で呼ばれることに対して、あまり良く思っていない素振りを見せていたような……。
それは、アマルティアという名前自体の意味が関係していたのではないだろうか?
どちらにせよ、落ち込んでる彼女を見てられなくて、肩を抱き寄せて子どもに言い聞かせるように呟いた。
「なぁ、俺が呼んでるアマルってあだ名なんだけどな。えっと、確かアラビア語だったっけ。それで、希望って言う意味なんだ。お前に、ピッタリだと俺は思うけど、それが意味じゃ駄目か?」
「……っ、ああ、アンディ様!」
ぽたり、と水滴が落ちる音がした。アマルは泣いていた。大粒の涙が次から次へと滴り、服を濡らす。
「貴方様は何故こんなにも私に優しくしてくださるのですか? 私はアンディ様に何もお返しできません。だって、私には何もない。何もないのに、どうしてっ……」
「どうしてって、そもそも俺は見返りを求めてないしな。それに、俺がアマルに優しいのは、俺が優しくしたいと思うくらいアマルが良いこだからだ。そんなに重く考えないで俺に甘やかされてくれ。よしよし、良いこ良いこ」
「ひゃあっ!」
わしゃわしゃもふもふ。
大げさにアマルの頭を撫で回す。アマルは顔を真っ赤にして、固まった。可愛い。子犬みたい。
「いつもアマルは頑張ってて偉い。本当に良いこだ。可愛いし、気が利くし、最高だな。さてはお前、すごい良い女だろ。まぁ、前から知ってたけどなっ!」
髪の毛がさらさらだ。撫でていて気持ちいい。もっとわしゃわしゃしよう。
「……みゃ、ふぇ、あ、んでぃさまぁ。そんなにほめないでぇ。あまるは、どうしていいかわからないです。あっ、なでなで、きもちい……ううっ、わたくし、もう、だめぇ」
堪らないといったように、アマルは飛び付いてくる。
ぎゅうぎゅうと強く抱擁されながら、お前、最近飛び付いてきてばっかりだなと、俺は笑った。
***
アマルが落ち着きを取り戻すと、改めて蝋板に文字を書き込む。アマルは俺の腕に頭を預け、蝋板に書かれた文字を目で追っていた。
「俺の国の書き言葉は、三種類あってそれを場面に合わせ使い分けるんだ。さっき書いたのが、漢字。そして、ひらがな。最後にカタカナ。カタカナは主に外来語を表現するときに使うから、アマルの名前はカタカナで表記するんだ……よしっと、これがアマルの名前だ」
「これが……私の名前」
アマルは興味深げに覗き込んだ。
「そうだ。それと、俺の国じゃあ、名前は名字を最初に読む。アマルで言うと……あー、ええっと、アンドウ・アマル、だな」
「アンドゥ、アンドゥ・アマル……!!」
アマルは声を弾まして、嬉しそうに何度も繰り返した。
それを見て、俺はハッとした。
途中で、アマルが名字を持たないことに気付き、咄嗟に俺の名字を使って表現したが、良く考えるとこれってまずいのでは?
そこまで思って、俺は考えることを止めた。
「アンディ様! アンディ様!! アンドゥはカタカナでどう書くのですか!」
「アンドゥじゃなくて、アンドウな。えーと……こうだな」
食い込みで聞いてくるアマルに、若干引きながら俺は蝋板に書き込む。アマルは、それを夢見るような眼差しで見つめた。蝋板に書かれた名前を上から手で何度もなぞり、反芻し、覚えようとしているようだった。
「アンディ様、この蝋板お借りしてもよろしいでしょうか……?」
「あ、ああ、まぁいいけど」
「ありがとうございます!」
アマルは喜色満面な様子で、宝物のように蝋板を胸に抱きしめた。
その顔を見て、嬉しくなる俺も相当だと思った。
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