第12話 いつかの約束のはな

 


 修道院には、本格的な春が到来していた。



 午後、修道院の庭にある畑で、恒例の畑仕事に勤しむ。春の日差しがぽかぽかと暖かい。良く晴れた絶好の畑仕事日和だ。


「なあ、フランチェスコ、玉ねぎってこのまま抜いちゃっていいのか?」


 俺は横で、玉ねぎの収穫をしているフランチェスコに声をかけた。


「ええ、黒の旦那。こうですねぇ、スポッとお願いします。……しかし、旦那ってかなり世間知らずですねぇ。まさかどっかのお貴族様だったりしないですかい?」


 快活な笑みを浮かべ、フランチェスコは実際に抜くところを実演してくれる。


「ないない。そういうのに縁がなかっただけだ。なあ、ちなみに、この葉っぱって食べたりしないのか?」


「いえ、食べはしませんが」


「そうなのか……ネギ美味しいのにもったいない」


 物欲しそうにネギを見る俺を、フランチェスコは声を出して笑う。腹が立ったので、脇腹を摘まんだ。フランチェスコは、更に笑った。


 泥だらけになりながらも、なんとか畑仕事が一段落した。さっそく収穫した玉ねぎをフランチェスコと共に、木で組み立てた櫓に吊り下げる。


 こうして干すことで、およそ半年程度長期保存出来るようになるのだ。自給自足の修道院の生活はこれらの保存食に支えられていると言っても良い。


 これで今日の労働は終わりだ。もう空は茜色に染まっていた。俺とフランチェスコは、畑仕事で使った道具を片付け、凝った身体をゆっくり伸ばした。


 そんな俺たちを包むように、雲間から夕日が優しく射し込んだ。


 フランチェスコは額に浮かんだ汗を拭いてから、振り向きニッコリ笑う。


「さぁ、旦那。今日は疲れたでしょう。ゆっくりと休んでつかぁさい」


「ああ、フランチェスコもな」


「はっはっは、あっしにはまだやることが残ってますんで、大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございやす。おっと、そろそろ夕の祈りの時間だ。旦那これにて、失礼!」


 颯爽と去っていく丸々とした身体。なぜあんなにも早いのだろうか。あの走りを見るごとに、感心をしてしまう。


「……さて、俺は井戸で汗を流してから、部屋に戻るか」


 畑を横切って、井戸まで歩く。井戸は醸造所の側にある。大した距離ではないため、直ぐに井戸へたどり着いた。さっそく、立て掛けていた桶をとって、井戸に落とす。縄を調節して桶一杯に水を入れ、汲み上げた。


 まず、手を洗う。ひんやりとした井戸水が心地よい。服を脱いで上半身裸になる。その後、顔を洗ってから、一度水を捨て再度桶で水を汲んだ。身体を九の字に曲げ、下半身を濡らさないように気をつけて、頭から水を被る。ガシガシと頭を洗い、髪の毛の水を絞る。最後にもう一度水を汲み上げて、脇や首、耳の裏なども念入りに洗ってから、水をかけて流す。


 頭を振って水分を飛ばしたあと、髪をオールバックに撫で付け一息ついた。それから服を着て、桶を井戸に立て掛けてから、修道院に踵を返す。


 畑を横切った際に、夕日に照らされた小さな野花が目に入った。薄青色の上品な花だ。群で咲くわけでもなく、一輪ひっそりと佇んでいる。

 何となく、その姿がアマルを連想させた。俺はじっとその花を見つめて、しゃがみ込む。少し迷ってから、その花を摘んだ。それを丁寧に持って、ゆっくりと修道院へと向かった。



 ***



 ドアを開け自室に入ると、既にアマルがベッドにちょこんと座っているのが見えた。アマルは俺の姿を認めると、顔をほころばせた。直ぐに立ち上がって、子犬のように俺の側へ寄ってくる。


「まぁ、アンディ様。水浴びをなさっていたのですか?」


「ああ、畑仕事で汗をかいたから、井戸で流してきた」


「まだ濡れていらっしゃいますわ。春とはいえ、風邪を引いてしまいます。さぁ、こちらにお掛けになってくださいませ」


 俺はアマルに促されるままに、ベッドに腰かけた。アマルはいそいそとタンスの奥から布を取り出す。


 というか、そんなところに布があったのか……。


 アマルは俺の部屋の掃除、衣服の管理もしてくれているため、俺よりも部屋の状態を分かっているのだ。


 取り出した布で、アマルはそっと丁寧に俺の顔を拭いてくれる。それから、髪を拭こうとして、ほぅとため息をついた。


「……アマル、どうした?」


「い、いえ。その髪型のお陰で、アンディ様がいつも以上に男らしく素敵で、何だか崩してしまうのが勿体ないな、と……」 


「ははっ、そんなに気に入ったなら、こんな髪型またいつでもしてやるから。ほら、拭いてくれるんだろう?」


 俺は思わず、笑って頭を差し出した。

 それを見てアマルは、頬を赤らめる。おずおずと、頭を拭きながら、「……約束ですよ」と恥ずかしげに呟いた。


 髪を拭いてもらい、だいぶさっぱりした。

 アマルに礼を言おうとしたところで、自分の左手に持っていた花の存在を思い出した。俺は立ち上がり、布を畳んでいるアマルを呼んだ。アマルは布を机に置いて、直ぐに駆け寄ってくる。


 花を女性に贈る機会なんて、今までなかったので何て言ったらいいのやら。しかも贈るのはきちんとした花束ではなく、名前も知らない一輪の野花だ。流石に失礼に当たらないだろうか、今さらながら、尻込みをしてしまう。

 

 そんなに難しく考えるな、日頃の感謝を伝えるだけだ!

 ええいままよ!


「あーっ、こほん。アマル、いつも色々ありがとう。これをお前に……その、日頃の感謝を込めて、ちゃんとしたもんじゃなくて悪いけど」


 花を差し出す。

 アマルは俺の顔と花を交互に何度も見つめて、花を受けとる。紅潮させた頬を隠さず、微笑んだ。


「誰かに、贈り物を頂いたのは初めてです。アンディ様は、私に沢山の初めてをくれるのですね。本当に、嬉しい。言葉にできないくらい、嬉しいです。……アンディ様、私、一生大事に致します」


「ああ、そこまで喜んで貰えるならありがたい。でも、花は枯れちゃうからなぁ……」


 アマルは、ぱっと顔を上げて、うるうると瞳を潤ませた。俺は慌てて、言い募る。


「だ、大丈夫だ。押し花にすれば、なんとか。また、一緒に作ろう」


「本当ですか?」


 ああ、勿論これも約束だ、と俺は深く頷く。

 アマルは幼子のように笑った。

 

 それに合わせて、小さな青い花が静かに揺れた。


 

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