第3話

 ハーフェンは「酒と飯を楽しむ」を掲げて、城下町の一角でひっそり夜だけやっているゲイバーだ。早くて21時からしか開店しないし、ろくすっぽ看板も立てないので(店先のランプが着いてたら開店、着いてなかったら閉店だ)、本当に「知る人ぞ知る」店になっている。

 こんなんで商売成り立つのか?と聞いたところ、マスターのスカラには「素人が経営に口出すんじゃねえ」と一蹴された。ゲイバーだが、別にゲイ以外入っちゃいけないこともなく(ユーベルントが一応ゲイの括りに入れられているだけかもしれない)飯はうまいし酒は豊富なので、いつも人で溢れかえるような人気店とは言えないものの、閑古鳥ということもない。忙しい時には手伝いの若い人も雇っている。

 ユーベルントがこの店を知ったきっかけも酒だった。王宮に出仕するようになってから通いだしたので、19の時からの付き合いになる。別の酒場で適当に飲んでいた時、たまたま同じテーブルにいた酒飲みに紹介してもらったのだ。

 彼はその時、国内でも年に十本くらいしか製造されない希少な酒の存在を教えてくれた。ユーベルントは当時はとにかく色々な酒を飲んでみたかったので、どこで提供されているのか尋ねたところ、場所がちょっとばかし入りにくいところだが……と言って、ハーフェンを紹介してくれた。王侯貴族に献上するような類の一級品を、城下町の飲食店では唯一ここだけが入荷しているらしい。あとで聞いたら、スカラが傭兵だった頃にその酒蔵を強盗から守ったことがあり、その縁で特別扱いしてもらっているのだそうだ。

 その時ははっきりゲイバーと言われたわけではなかったので、単に立地がわかりづらいのだろうと思っていたが、初めてハーフェンに入ってスカラを見た時には、ユーベルントは入る店を間違ったかと訝ったものだ。傭兵上がりのスカラはサテンのツルツルした安っぽいドレスから、鋼のように鍛え上げた二の腕をにょっきり出して、ちょっと往来を歩くには派手すぎる化粧を顔面に施し、カウンターでシェイカーを振りながら、ユーベルントの顔を見るなり「ヤダ!な〜んかイケメンのご来店よ!」と叫んでいた。まさかあの出会いから、こんなに意気投合することになるとは、お互い思ってもみなかっただろう。

 そんなわけで、すっかり食堂みたいな立ち位置でユーベルントは酒を飲みに来ているのだが。

 最近ここでよく見る顔だなと思っていた程度の客にカウンターの隣に座られて、最初君を見た時から気になってたけど、後ろ姿しかわからなかったからもっとおじさんなのかと思ってた、と話しかけられた時、ユーベルントは言いようのない不快さで吐きそうになった。

 その意味深な「気になる」って何?

 別段理由もなく伸ばしている髪は、ろくに手入れもしないので艶のないマットな灰色で、白髪と間違われることも多かった。最初は騎士団の規則の穴を突いたちょっとした反抗心くらいのつもりだったが、いつのまにか長い髪がトレードマークになっている。背格好や体格で若者だとわかりそうなものだが、年齢より上に見られる(スカラに言わせれば「老けてる」)のが髪のせいであることは間違いない。

 とはいえ、ユーベルントの主人はその髪を美しいと褒めてくれたので、全ての悪評が相殺されているのも事実なのだが。

 なんか最近こういうのばっかだな、とユーベルントは思った。ここがゲイバーであることを承知の上で入り浸っているのは自分なので、こういう誤解をされてるのは仕方ないのかもしれないけれど。

 はは……と乾いた笑いで適当に流した後、グラスを引き寄せて、指先でカウンターを二回叩く。これは店員向けの「変な奴に絡まれて困ってる」の合図だ。いつだったか、出会いを求めてここに来てるわけじゃないと言うと、スカラが教えてくれた。

「なになになに?変わった組み合わせじゃない。どーしたのよ」

 ほんの小さな音を立てただけのはずなのに、恐ろしく目端の利くスカラは、大きな図体をずいとカウンターから乗り出して、するりと会話の間に割って入った。

 スカラがさりげなく水の入ったグラスをカウンターに置いたのを、すかさずユーベルントが取ってあおり、同時に飲みかけのグラスが素早く引っ込んでいく。こういう場の悪質なナンパでは、見ていない一瞬の隙に酒に何か盛られることもあるので、合図があった場合グラスは強制交換だ。ユーベルントはもったいない気もしたが、何かあった時の方が大変だから遠慮するなと言われた。

「いや、彼が気になって話しかけちゃった」

「駄目よ。この子もういい人いるんだから。毎日毎日飽きもせず惚気聞かされてんの」

 そうなのかあ、と返した相槌の残念そうな声音に軽く引いた。おいおいおい。本気だったんかい。

 バーを切り盛りしているくらいだから当然だが、スカラは客のあしらいが涙が出るくらいうまい。毒舌を豪語して、誰にでもキレのある辛口で接するわりに、全然嫌いになれない。むしろ遠慮のない家族みたいな親近感さえある。そいつといくらか話をして、出会いがないならアタシが紹介してあげるわよお、とウインクをブチかますと、ほろ酔いになった客をいい気分で帰してしまった。小皿に盛られたナッツをつまみながら鮮やかな手腕に感心する。スカラが玄関先の見送りから帰ってきたのを見て、ユーベルントはカウンターに向かって両手を合わせた。

「あ~~~~助かった」

「この色男。一目惚れされてんじゃないわよ」

「マジで勘弁してよ……俺さあ、最近そういうの多くて参ってんの。なんか呪われてんのかな……」

「そういうのって何?」

「好きですとか……結婚してくれとか……」

「んまー。贅沢な悩み」

 皮肉っぽく、でも面白そうに笑う。この男、恋バナが好きなのだ。恋バナって死語?

「いやもう断るのも大変だし、俺には俺の好きな人がいればいいし、もういい……なんでだと思う?俺かっこよすぎ?」

「人生にモテ期は3度来るという……」

「えー何?あと2回はモテモテってこと?」

「ほざきな。今だけだっつってんの。せいぜい噛み締めとけ」

 軽口の応酬の間に、頼んでもないのにスカラがいつものビールを目の前に出してきて、ありがたく冷たいうちに口をつけた。多分これは慰めの一杯だ。口調はキレキレのくせに、行動は人情たっぷりなところも客に愛される所以だろう。

「俺は俺の好きな人に好きでいてもらえたら、それだけでいいんだけど。かっこいいのもさあ、好きな人にだけかっこよくいたいし」

「あんたに告白してきた人たちだってそう思って勇気出してんじゃないの?」

「まあそうだけど……そうだよね……応えられなくてごめんね~~俺には好きな人がいるからあ……」

 いいじゃんそれはそれで、貫きなさいよ、逆にあんたがアバンチュール繰り返してたらひっぱたいて出禁にしてやるから覚悟しな、とスカラが言うのに爆笑した。冗談じゃなく、本当にやりそうで怖い。以前悪酔いして吐こうとしたら、吐いたら出禁にするから絶対吐くなと言われたのを思い出す。飯を粗末にするやつはここに来る資格がないそうだ。騎士団の飲み方が染みついて、吐いてスッキリしてからまた飲むような真似をしていたユーベルントには衝撃だったし、認識を改めるきっかけになったので、感謝しているのだった。

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