第2話
「このような場でも騎士団の制服でいらっしゃるんですね」
「ええまあ……」
このような場でも騎士団の制服でいらっしゃるんですね、と話しかけられて、ええまあ……と煮え切らない返答をする程度には、見ず知らずの相手だった。ナントカ公爵家のレディ・ナントカだが、右から左へすっぽ抜けてしまったので全然覚えていないし、さらに言うと自分の礼を欠いた態度に幻滅して勝手に帰ってほしかった。
珍しく本家に呼ばれたと思ったら「明日ナントカ公爵家のレディ・ナントカと会え」と伯父に言われ、回れ右で帰ろうとしたところを拘束され、厳重な見張りの元逃げられず、唯一貴族っぽい服を着ることだけ抵抗していつもの騎士団服を着て、本家の豪奢な客間で意気揚々と来訪したレディ・ナントカと相対しているのが今だ。
本音を言えば口を開きたくない。腹立たしいことに、主人には用意周到にも伯父から連絡済らしく、一日欠勤するくらい問題ないと返答をもらっているとまで言われた。ムカつく。全部ムカつく。今すぐ王宮に戻って主人に土下座して、今回のことは俺の本意じゃないんですと謝りたかった。こんな誠意のない振舞いをしていることに怒りが湧いてくる。それを自分の口から説明できないことにも。
向かいに座っているレディ・ナントカは、やはり自分より年下に見える。顔をじろじろ眺めるわけにいかないが、特徴的なストロベリーブロンドの髪を豊かに背に流していて、つんと上向きの鼻をしていた。主人のそれには愛らしい少女っぽさを感じていたが、この女にはなんとなく陰険な印象を抱くのが不思議だった。多分おろしたてのシャカシャカ音がするピンクのドレスが、何かかわいらしさを演出されている感じがするのも原因かもしれない。
大体団服を着てることに言及してくるって一種の嫌味か?
「騎士団の方にとっては礼装ですものね」
「ええまあ」
間違っちゃいないが、その場合礼装用の騎士団服を着る方が一般的なので、やはり嫌味なのだろう。
無理やり顔合わせさせたにもかかわらず「二人で話した方がいろいろとお互いを知るいい機会」みたいなことを言って世話役の夫人などが早々に退出したため、先ほどからかなり居心地の悪い沈黙が下りていた。テーブルの上に並べられた豪華なティーセットも全然おいしそうに見えず、かろうじて冷えていないことを理由に手持無沙汰にカップに口を付ける。主人と過ごすティータイムはあんなに楽しいのに……と思うと落差でさらに気が滅入る。
「ユーベルント様は」
手が止まる。誰が名前で呼んでいいと言ったんだ。
「普段はお忙しい……です……よね」
明らかに殺気を出したことに気づいたらしく質問が尻すぼみになる。
「ええまあ。今日も別に暇じゃないのでこの後王宮に戻ります」
「今日の日程のやりとりをするのに、時間がかかったので、お忙しいのだろうと思っておりました。そうですよね」
「特にここには年に一回来るか来ないかで、普段は王宮に勤めてますので」
自分に会う時間も作れないのか、という意味だと受け取った。
即座に応酬する。忙しいところを呼びつけたのはそっちだと。
婉曲な言い回しで見ず知らずの女に詰られた上、許した覚えもないのに名前で呼ばれたことでもはや我慢の限界だった。
「あの……」
「時間の無駄なのでもういいですか?結婚する気はないのでお引き取りください」
「え?」
カップの紅茶を飲み干して立ち上がると、彼女が慌てたように声をかけた。
「待ってください!あの……ホーカンソン公爵家は十分な家柄だと思います。私の振舞いがお気に障ったのでしたら、非礼をお詫びします。ですが……」
「あなたがどうこうじゃなく、結婚する気がないんです」
「……周りが放っておかないんじゃありませんか?体面を保つだけでも、私は構いません」
「あなたはそこまでして、自分を決して愛さない夫が欲しいですか?」
冷たく言い放つと、彼女ははっとして口を噤んだ。視線を振り解き、もう振り返ることなく客間の扉を開けて廊下に出たところで、控えていた侍従がびっくりした顔でこちらを見ていた。
「ユーベルント様?」
「帰る。裏門から出て馬車を拾うから、伯父さんには黙ってて」
言うや否や走り出す。子供の頃、屋敷内で走るなとよく怒られたなと思い出した。伯父はホーカンソン公爵夫人とまだ談笑している最中のようで、追ってくる気配はない。首尾よく屋敷を抜け出して、通りで辻馬車を探しながら、令嬢が最後にようやく家門の名前を喋ってくれて思い出したことに笑ってしまう。これだけ無礼を働いたんだから当分公爵家からの縁談は無いだろうと思うと、大声で笑いだしたくなった。最初からこうしてぶち壊してやればよかった。
執務室に飛び込むと同時に膝をつくと、机に座って書き物をしていた主人が目を瞬かせた。
「あれ?おかえり。早かったね?」
「抜け出してきました。すみません!今回のことは俺の本意じゃないんです!」
そんなの知ってるのに……と言って笑う主人の顔を見てやっと力が抜ける。ああ。会いたかった。かなうなら、今すぐ抱きしめたかった。本当に愛しているのはあなただけですと言って。
「きみも帰ってきたことだし、ちょっとお茶にしようか」
「え、いいんですか?」
「わたしも一段落ついたからね。大変だっただろうから、話聞かせてよ……ホーカンソン公爵令嬢だっけ」
翌日騎士団の詰所でカンカンに怒った伯父と乱闘になり、殴られた顔がめちゃくちゃに腫れたが、それから騙し討ちみたいな見合いをさせられることはなくなったので、伯父もかなり懲りたんだなと思った。
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