第12話 ジイジとお姉ちゃんとサリー

「ええっ!初日でゲージから出しちゃったんですか?

猫が怖がって、本棚の隙間に潜り込んだまま出てこないので、トライアルが失敗に終わったケースもあるんですよ」

 管理人さんに、初日の状況を報告すると、叱られた。

 二人は、サリーちゃんに選択させようと思い、ゲージのドアを開けっ放しにしたが、二日目になると、キャットタワー、ゲージの最上階、収納棚の上と、好きな居場所で、くつろぐようになった。

「慣れてきたみたいね。けど近づくと逃げるので、猫じゃらしで誘ってみようかしら?」

 お姉ちゃんの猫じゃらしは、巧妙だった。

 物陰からネズミがチョイと顔を出す。サリーが気づくとサッと隠れる。

 幾度か繰り返しながら、サリーは『達磨さんが転んだ』のように、忍び足で近づいた。

 最後にダッとネズミに飛びついた。お姉ちゃんは釣り竿を上げるように、ねずみを飛び跳ねさせた。

 サリーは夢中になり、上下に飛び跳ねるネズミを追いかけ、幾度となくジャンプした。

「サリーちゃんが釣れた!」

 暫く続けると、サリーは息を切らした。

「サリーちゃん鼻水が出てるわよ。お姉ちゃんに拭かせて」

 テッシュを出したが、サリーはサッと逃げて、盛大にくしゃみをした。

 ねっとりした物が、床に落ちた。

「あらあら」とお姉ちゃんは、手にしたテッシュで、床を拭いた。

 サリーは鼻水の跡を、ぺろりと舐めた。

「サリーちゃんは鼻詰まりがあるし、息を切らす前に、運動はストップしたほうが、良いかも知れんな」

 横であぐらをかいて、見ていたジイジが言った。

 サリーは警戒心がほぐれたのか、ジイジの前に来ると休憩とばかりに、ゴロンと横になった。

「サリーちゃん、撫でて良いのか?」

「ニィニィ!(ジイジ撫でて撫でて)」

 サリーはまだ息を切らしているのか、大きくお腹を上下させていた。

 ジイジが撫でると、サリーは心地よさげに、喉を鳴らした。

 次はこっちと言わんばかりに、サリーはジイジに背中をだした。右、左と体の向きを変え、全身を撫で撫でしてもらうまで、満足しなかっった。


 その夜、サリーは呼吸困難に陥った。

 両方の鼻が詰まって、ハーハーゼイゼイと言っている。

 こんな夜中に、動物病院はやっていないし、お姉ちゃんは夜通し、サリーを看病した。

 そんなことを露知らず、ジイジは二階で、イビキを掻いて寝ている。

「んもぉ~、役に立たないんだから。

頭を蹴って、叩き起こしてあげようかしら」

 しかし膝の上でサリーが、息苦しくしているし、動く訳にはいかない。

 見上げるサリーの眼が「お姉ちゃん助けて……」と言っているように見えた。

 夜が白み始める頃、やっとサリーの呼吸が正常に戻った。


 サリーの病状にあった動物病院を検索して、朝一番で連れて行くことになった。

 キャリーバッグを見た途端、サリーは逃げ出した。

「サリーちゃん解って、病院で見てもらいましょ」

 サリーは部屋の隅に追い詰められ、抱っこしようとしたら、本能的にお姉ちゃんの腕を引っ掻いた。

「痛っ!」

 お姉ちゃんの腕から、血が玉となって流れ、床にポタリと落ちた。

 サリーは自分がやってしまったことに、唖然として凍りついた。

「大丈夫、大丈夫だからね」

 それでもお姉ちゃんは、サリーを優しく抱っこして、キャリーバックに入れた。

「何年ぶりかしら、猫に引っ掻かれるの……」

 お姉ちゃんは、ジイジに手当をされながら、どこか懐かしげに言った。


 動物病院で鼻水を顕微鏡で見ると、猫風邪のウイルスと分かり、抗生物質を打ってもらった。

 口内炎は、飲水に混ぜて飲ます薬をもらった。

 一本の歯がグラついているらしく、ドライフードをカリカリ食べるのは痛そうだ。

 医者は「猫は噛まずに飲み込んで、胃で消化するから、大丈夫ですよ」とは言ったが、お姉ちゃんは値がはるウェットフードに、切り替えることにした。

「高級なドライフードを買っていたのに、勿体ないわね。酒のつまみの柿の種の代わりに、あなた食べる?」

 山男は山菜会と称して、山でキノコや山菜を採って宴会をする。拾い食いと、言えないこともない。

「なんだサリーちゃんは、お嬢様扱いのグルメなキャットフードで、オレはこれかい?」

 と、言いながらも、ジイジはキャットフードを、ポリポリと味見した。


 りんご猫と言っても、飼い主が病気にならないように注意してあげれば、寿命を伸ばすことができる。

 せめて猫の平均寿命まで、長生きさせて上げたいと、二人は思った。


 そしてトライアル期間が終わった。

 膝の上で寛ぐサリーに、ジイジは聞いた。

「サリーちゃん、うちの子になるかい?」

「ニィニィ」と言って、サリーはジイジに頭を擦り付けた。

「あら、この子。あなたに匂い付けしてるわ。ジイジは私のものだっていう意味よ。

サリーちゃん、ジイジはお姉ちゃんのものでもあるのよ」

 するとサリーは、お姉ちゃんにゴネゴネした。

「サリーはジイジとお姉ちゃんの娘だ。三人家族だよ」

 そう言ってジイジは、お姉ちゃんの膝の上のサリーを撫でた。

「ニィニィ、ミミュゥ~(アタシはジイジとお姉ちゃんの娘なの、また人間に戻ったのね)」

(仔猫の時より二倍。今度は二人が撫で撫でしてくれる。)

(ヒゲおじちゃん、アタシ二倍幸せになるよ)」


 サリーが、お姉ちゃんとジイジに娘になって、数日が過ぎた。

「首輪が随分汚れているわね。

新しいのを買ってあげるわ」

 そう言ってお姉ちゃんは、サリーの首輪を外した。

「ミミィ、ニャアアアン、ニィニィ(それは前のジイジの形見なの、返して!)」

 サリーは何時もになく、抗議した。

「あらあら、前のご主人様がくれた大切なものなのね。

分かったわ。だけどきれいに洗わせてね」

 新品のようにきれいになった首輪をつけてもらい、サリーはご満悦だった。


 サリーはキャットタワーの最上階から、エアコンへの登頂計画を練っていた。

 エアコンへ直接飛び移れる棚はない。

 だから、キャットタワーとエアコンの間の、カーテンレールを伝って行くしかない。

 カーテンレールの幅は二センチ。

 サリーは綱渡りのように、慎重にカーテンレールを渡った。

 ラスト。足場の悪いカーテンレールから、エアコンのテッペンまでの五十センチを、ジャンプした。

「やった、エアコンのテッペンに登頂成功!とうとう仔猫の頃からの、願望がかなった」

 サリーはしばらく、山頂からの眺めを楽しんだ。

 しかし、いざ帰ろうとすると、幅二センチのカーテンレールへ、飛び降りることは不可能だった。

 着地に失敗して、足を滑らせれば、二メートル落下する。

「ニィニィ(ジイジ、降りれないよぉ)」

 すぐにサリーの鳴き声を聞きつけた、ジイジが現れた。

 エアコンの下に椅子を持ってきて、上に乗り、サリーに手を指し伸べた。

 一旦サリーを自分の頭にしがみつかせてから、ジイジは椅子を降りた。

「ジイジの頭だ!」

 サリーは昔を思い出し、ジイジの頭にガシッとしがみつき、降りようとはしなかった。

 しかし、子猫の頃と違い、後ろ足が完全に宙ぶらりんになっていた。

「サリーちゃんは、高いところが好きだなぁ。

今度ジイジと北アルプスに登ってみるか?」

「何言ってるの。

あなたが山に行って、私が寂しいから、サリーちゃんを引き取ったんじゃないの!」

 ジイジはお姉ちゃんの地雷を踏んで、叱られるのが日課になっていた。


「あなた何を作ってるの?」

 お姉ちゃんが聞くとジイジは答えた。

「サリーちゃんが、オレの頭の上を、たいそう気に入ってね。

登山用ヘルネットに、猫のソファーをくくり付けているんだ。

ほら、アフリカの女性が、頭にカゴを載せて運んでいるだろう。

あんなヤツ」

「変な格好で、外を出歩かないでね」

「大丈夫。庭に出るだけだよ。

お隣さんなら、オレが変人なこと、周知の事実だし」

 ジイジは完成したソファーヘルメットにサリーを乗せると、庭に出た。

 庭は背丈ほどあるフェンスに囲まれていた。

 管理人さんには、室内飼いを勧められたが、自由なノラ猫生活をしていたサリーには、息苦しいだろうと、庭で日向ぼっこができるように、フェンスを設けたのだった。

 業者の見積もりは、目が飛び出るほど高かったので、結局ジイジの手作りだ。


 ジイジの家は丘に造成された新興住宅地で、階段状の造成地に家が並んでいた。

 サリーはジイジの頭の上から、眼下に広がる風景を眺めた。

 大きな庭を持つ造成地が終わると、平地に密集した町並みが見える。

 線路と並行して、大きな河が流れ、その向こうに水田が見える。

 太古の昔、この河の氾濫が盆地を生成し、肥沃な大地を、人が水田に変えた。

 人が住み着くと、河の氾濫を防ぐために、堤防が設けられた。

 それはかつて、サリーがさまよい歩いた場所であった。

「ミミッ、ミャ~ミ(ヒゲおじちゃん。世界って、とっても、とっても、とぉ~~ても、広いよ)」

 サリーはジイジの頭の上で、感嘆した。

「ははっ、サリーちゃん、ここが気に入ってくれたか」


 サリーは運命に翻弄されるがままに、生きてきた。

 いや、サリーに限らず、ノラ猫全てに、生死をさまよう運命が、与えられる。

 ノラ猫の母猫に、狩りを学びながら育つ方が、人間に甘えた飼い猫より、生き延びるチャンスは多いだろう。

 人間なら、幾度も死のうと、考えたかもしれない。

 しかしサリーは生きた。本能が命ずるままに、生にしがみ付く事しか、できなかったとも言える。

 生きていればこそ、サリーは安住の地を、見つけることができのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る