始まり編

第2話 その者の名

「…ふぅ。」


転生してゆく一人の若者を見送り、側に置いてある椅子に座り一息吐く。これから彼は、自由な人生を謳歌することになるでしょう。


「…申し訳ありません。」


私以外存在しない空間の中、一人謝罪の台詞を呟く。


「貴方に一つ、申し上げていないことがあります。」


「貴方を始め、転生した方は皆…前世の記憶を失ってしまうのです。」


そう言って、私は涙を流す。

まるで、自分勝手な罪滅ぼしをするかのように。


「ですが、どうかお許しください。もし、このことを言えば、人は皆前世にすがってしまうのです。」


「全ては、不幸な人生を送った方々のため…それ故の、貴方たちに対しての、私なりの善意なのです。」


「いくら恨まれようとも、私は構いません。罪は…何も言わなかった私にあるのですから。」


そう言い終わると、私は涙を拭い顔を上げる。


「どうかせめて…貴方の人生を、ここから見守らせてください。」











「…」


爽やかな風が頬を掠める。小鳥たちの囀りさえずが、どこか心地よい。


「…うぅん?」


俺はゆっくりと目を開ける。どこまでも青々とした、晴天の空が目に写る。続いて周囲を見渡すと、一面若草色で染まっていた。どこかの草原なのだろうか。


「えぇっと…俺は…?」


ゆっくりと上体を起こす。とりあえず、ここに至るまでの記憶を辿る。

しかし、


「俺は…何者…なんだ?」


ここで何をしていたのか、そもそも俺は何者なのか、全く思い出せないのだ。

ただ、唯一思い出せるのは、

いや、覚えているのは、


「…ノア。」


俺自身の名前、ただそれだけ。


「…ダメだ。名前以外、思い出せない。」


どれだけ頭をフル回転させても、どれだけ時間をかけようとも、名前以外思い出せない。


「でも…」


不思議と不安や恐怖はなかった。それよりも、なぜかこの状況に、心を踊らせる俺がいた。


「とにかく、今は前も後ろも分からない状態に変わりはないな。」


俺は立ち上がり、改めて自分の周りを見渡す。

すると、すぐそばに一本の剣と、小さな袋が置いてあった。手に取って見てみると、剣には柄に、袋には右下辺りに、それぞれ俺の名前が小さく刻まれていた。きっと、俺の所持品なのだろう。

袋の中には、硬貨らしきものが五枚入っていた。これは通貨で間違いなさそうだ。

また、近くに小さな湖があった。俺はそこへ駆け寄った。喉が乾いていたから丁度良かった。

湖の水を手で掬い、口へと運ぶ。


「…ふぅ。」


喉を潤した時、ふと水面に自分の姿が映った。


(これが、俺…)


黒い短髪に赤い瞳、肌は薄いオレンジ色で目はややつり目だ。身長は正確には分からないが、おそらく平均よりも少し上ぐらいだろうか。

革製の鎧で身を包んでいる。この剣といい、俺はどこかの兵士か、あるいは傭兵か、それとも冒険者なのかもしれない。


「お?先客がいたか。」


不意に話しかけられ、俺は声も出さずに振り返る。

そこには、ドレッドヘアが特徴的な、斧を背負った一人の偉丈夫が立っていた。


「おっとわりぃ、驚かせちまったか。」


申し訳なさそうに話すと、その人物は俺の側にどっしりと腰を下ろした。


「俺はバーレット。近くの街で冒険者として活動してるもんだ。お前はなんていうんだ?」


「俺は…ノア。すまん、それ以外のことが思い出せなくてな。」


そう言うと、バーレットと名乗った男は驚いたように目を見開いた。


「思い出せないって…もしかしてお前、か?」


無精髭を擦りながら、バーレットは知らない言葉を問いかける。


?」


「あぁ、すまん。知らねぇのか。」


「そうだな…分かりやすく説明すると、今のお前みてぇに名前以外一切覚えていない奴らのことだな。」


なるほど、そういうことか。今の俺は、正に迷い人なのだろう。


バーレットの言葉を聞いて、俺はその場で考え込む。


(となると、俺以外の迷い人が、今どうしているのかが気になるな。これからの行動のヒントになりそうだ。)


(とはいえ…この先のことを考えるにしても、どうすればいいのか、いまいち分からない。)


(そもそも、俺以外の迷い人が、今生きているのかどうかすら分からない、困ったものだ。)


考え込む俺に、バーレットはにかっと笑って、


「何考えてんのか知らねーが、とりあえず着いてこい!」


そう言って、彼は勢いよく立ち上がった。

突然の出来事に、俺はその場で固まる。


「着いてこいって…どこに?」


「近くの街に行くんだよ!そこでお前の生き方を探せばいいんだ!」


「俺の生き方…?」


「あぁ、そうだ!こんなところで考え続けたってしょうがねぇだろ?」


「そんくらいなら、新しい人生を楽しんだほうがいいじゃねぇかよ。」


その言葉を聞いて、それもそうだなと思い、俺は立ち上がった。そして、バーレットの後を着いていく。


「なぁ…なんで俺を助けようとするんだ?」


不意に、俺は気になったことを聞いた。


「うん?どういうことだ?」


「いや、見ず知らずの俺を助けるなんて…普通なら、警戒すると思うんだが、嘘を言っている可能性も…」


「ガッハッハッハ!なんだんなことかよ!」


言い終わる前に、バーレットは豪快に笑って答えた。


「そりゃな、お前が怪しい奴には見えねぇからだよ。」


あっけない返答に、俺は少し固まる。


「…見ただけで分かるのか?」


「あくまで俺の勘だよ。」


そう言って、彼はまた笑って見せた。


(大丈夫なのだろうか…)


少なからず不安を覚えた。

けれど、


(悪い人とは思えないな。)


それだけは確かだった。

そうこうしている内に、バーレットが指を指した。その先には、大きな街が見えていた。


「ノア、見えてきたぜ。あれが、俺たち冒険者が集う街…レビンの街だ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る