第91話 自分のいない場所

 ――合わせ練習の時間は、あっという間に過ぎ去った。


 正直、手応えは微妙だった。




 別に、致命的に下手だったとか、息が合わなかったとかそういうわけではない。


 むしろ、その面では“俺がついて行けた”というよりも、“俺に周りが合わせてくれた”という方が正しいのだが。




 ただ、それではダメなのだ。


 


 咲夜さん達は、特に何も文句を言わなかったが、それはたぶん及第点に届いているというだけの話。


 俺なんかとセッションして、あわせ辛いことはあっても、あわせやすいことはないだろう。




 ていうかそもそも、リズム楽器が他にあわせて貰ってる時点で、いろいろおかしいんだよなぁ。




 ドラムの存在意義を丸ごと否定してしまうようなセッションだ。


 違和感を感じないはずもない。




 けれど、時間は待ってはくれない。


 そもそも無理を押して出場を決めたのだ。辞退するという選択肢は無いし、そもそもそんなことするつもりもない。


 ただ、少しだけ。自分に自信が持てなかった。




 分不相応なことをして、俺は本当に正しい選択をしたのだろうか?


 ただ足を引っ張るために、我が儘に付き合わせてしまったのではないか?


 そんな堂々巡りの考えが頭を過ぎっては、俺を苛む。




 そんなことをしている間に、いつの間にかリハーサルの時間になっていた。




PM 5:40




 本番まで残り40分。


 今から20分間のリハーサルを行い、その後はもう舞台袖へ移動だ。




 このときになって、俺はやっと気付いた。


 そうか、もう時間的にはSISは開演しているんだと。




 何年も土の中に潜った蝉が、まだ見ぬ世界を夢見て待つように。


 喧噪の聞こえてこない、会場の遙か奥で格闘していた俺は、まるで実感が湧かなかった。


 いつの間にお客さんが動員され、幕を開けたんだろうか?




 10000人以上を動員する大きなステージ。


 その様子は生中継で日本中を駆け巡る。




 最初からわかっていたことだ。それでも、一度も見ていないそのステージは想像の中で肥大化し、強烈なプレッシャーという形で己を苛む。


 と、そんな折り。




「失礼します」




 柔らかい声が聞こえて、思わずそちらに目を向ける。


 そこに立っていたのは芹さんだった。


 ただし、天使が降臨したのかと一瞬見惚れるほどだった。




 薄く化粧を施し、ほんのりと色づいた頬。


 麦畑のように金色に揺れるウェーブの金髪が映える、薄桃色のドレス。


 ただでさえ学校のアイドルである彼女は、今この場において息を飲むほど浮き世離れした存在となっていた。




 だからこそ、リハーサルのために防音室にやって来た彼女の姿を直視できない。


 どこまでも前へ進み、追いかける俺を置いて先へ行ってしまったような、どうしようもない寂しさがこみ上げてくる。




 同じステージに立つはずなのに、俺の居場所がどこにもないような、そんな疎外感が胸の中で渦巻く。


 


 だから、目を逸らしてしまった俺は気付かなかった。


 部屋に入ってきた芹さんが、顔色の悪い俺を見て、心配そうな表情を浮かべていることに。




 しかし、時間は止まらない。


 リハーサルはすぐに始まった。


 合わせ練習通り、自分がどこにいるのかわからないまま、1人置いて行かれたような寂しさのままに、黙々とドラムを叩く。




 本番は十分間。


 リハーサルは、本番二回分の時間がある。


 それでも到底足りないような気がした。周りはたぶん、及第点だと思っているのだろう。


 でも、俺はまだ、自分が向かいたい場所へ歩いていない。




「……はは」




 リハーサルが終わった後、俺は気付かぬうちに乾いた笑いを浮かべていた。


 端から見れば、それはたぶん闇落ち的な展開の合図だったのかもしれない。


 自分勝手に慈母時期に落ちた情けない男の葛藤だと、嘲笑されても文武は言えなかった。


 けれど、そんな底なし沼にはまりかけた俺を、彼女は強引に引きずり出す。




「大丈夫ですか?」




 日だまりのような芹さんの声が、イスに座ったまま微動だにしない俺の背中に投げかけられた。


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