第86話 素人とプロと

 そう。


 結局、犯人が見つかったところで事態が好転するわけではない。




「他の団体から急遽ドラマーを引き抜く、というのは?」




 花島社長はそう提案する。


 が、蓮会長は渋い顔で答えた。




「それが……現状ではかなり厳しいです。どの団体もスケジュールはかつかつに詰まっているので。個人で楽譜を読み込んで練習し、リハーサルをするという手順を考えると、現実的とは言えないです。もちろん、無理矢理引っ張ってくることも可能ですが、その場合他の団体様にも累が及びますし、演奏のクオリティは保証できません」


「そうですか……」




 重苦しい空気が場を覆っていく。


 そんな現状の中、俺は申し訳程度に発言をした。




「あの……もしよかったらなんですけど」




 全員の視線が、俺の方を向く。


 俺は構わず、突拍子もない思いつきを口に出していた。




「俺、やりましょうか? ドラム」


「「「「……はい?」」」」




 周囲の時間が一瞬止まり、全員の驚いたような声が会議室に響き渡った。




「あ、そういえば暁斗さん、先月からドラムを始めたっておっしゃってましたね」




 芹さんが思いだしたようにそう補足する。




 彼女の言う通り、俺は先月からドラムを始めた。


 割と夢中でやっていたし、楽器が趣味の楽人の叔父さんに何度か教わったから、そこそこ上達もしている。


 ただし……




「気持ちは嬉しいけど、暁斗ちゃん。それは無茶よぉ」




 花島社長は、眉根をよせつつ冷静にそう断言する。




「先月からってことは、まだ素人なんでしょう? それがプロの壇上に上がるなんて、下手をしたら恥を搔くだけよ。大体、演奏で息を合わせることもできないんじゃない?」




 至極真っ当な意見だった。


 素人がしゃしゃり出て、どうにかなる問題でも無い。


 実際かなり上達したし、元々それなりの才能はあったと自負している。楽人の叔父さんに「上手くなってるよ」とおだてられてつけあがっていた部分もあるのかもしれない。




 客観的に見て、ネットに転がっている軽音クラブのドラマーと大差ないのではないだろうか?


 一ヶ月でそこまでと考えれば驚異的なのかもしれないが、裏を返せばその程度の素人である。


 だが――そこで、思わぬ援軍が入った。




「待ってください社長さん。彼の提案、案外現実的かもしれません」




 そう言ったのは、なんとLOPPS・グループから派遣されてきた、プロとして活躍している本物の演奏者だった。


 短い頭髪に比べて顎の辺りの髭が少し目立つ、色白の若いその男性は、俺の方をちらりと見てから話を続ける。




「僕達は、LOPPS・グループに属して働いているわけではない。会社のシステム上、あくまで契約を結んでいるだけで、他に所属があるけど時間が空いている時はLOPPS・グループの指令に従って仕事をする。いわゆる、派遣社員みたいなものです」




 そういえば、なんとなく聞いたことがある。


 LOPPS・グループは、プロとして活動している演奏者と契約を結び、時間が空いている演奏者を、依頼のあった場所へ派遣するというシステムを持つ。


 演奏者にとって、LOPPS・グループは「副業」に当たるのだ。




 つまり、とその演奏者は言葉を続け、




「派遣された場所で、初めて楽譜を読み込んで練習し、短い時間で見ず知らずの人と一、二回通しであわせを行って、もう本番という流れになるんです。言ってしまえば、ほとんどぶつけ本番ですね」




 その演奏者は、肩をすくめて見せる。


 今度は、その隣にいたワックスで赤く染めた髪を固めたファンキーな女性の演奏者が、口を開いた。




「要するに、ワタシ達はその場限りのタッグを組んで演奏をしてるんすよ。だから、ところどころ息が合わないし、ほつれる部分もある。そういう点では、毎日同じメンバーと練習している軽音楽部や吹奏楽部の若者の方が、ユニゾンは完璧だったりするんす。ま、個々人の技量はさておいてっすけどね」


「これは僕の持論ですが、プロの演奏者っていうのは上手いからプロなんじゃない。同じプロ相手にぶつけても掻き消されない“自分だけのせかい”を持ってるからプロなんだってね。よく言えば独創的、悪く言えば自己中心的、かな。とにかく、僕達は日々自分の音をぶつけあってる。それが一つの芸術になってるだけで、協調性はあんまり考えたことがないですね」


「おいおい、俺はちゃんと考えてるぞ」




 若い男性奏者の隣にいた、中年の浅黒い肌をした男の演奏者が、「お前の持論に俺を巻き込むな」と言わんばかりに顔をしかめて反論した。




「すいません先輩」




 苦笑いした若い男の奏者は、改めて俺の方を見た。




「暁斗くん、だったっけ? 君、誰かとあわせて練習したことはある?」


「ええ、まあ。友人の叔父さんが、ベースやらギターやら弾けるので、一緒に同じ曲を演奏したことはありますが」


「なら、最低限の課題はクリアかな。さっき僕は、仕事の性質上連携は素人にも劣るって話をしたよね。だから、素人の君が混じっても理論上は破綻しない。初めて顔をつきあわせるプロと、初めて顔をつきあわせる素人。どっちも“初めて”なんだから、この二人三脚……いや、三人四脚かな? とにかく、演奏のあわせにおいてそこまで差は生じない。君が誰かとの演奏経験があることも、それに拍車を押している。後は――」


「兄ちゃんの技量がどんなものかっすね」




 赤髪のお姉さんが、腕を組みながら鋭い目をこちらに向けつつ言った。




「そういうこと。君が僕達三人に呑まれることのない“個性”を持っているか否かだ。だから、この会議が終わったら君をテストする。まあ、それがなかったとしても、僕達は伊達にプロをやってるわけじゃない。君の“個性”に少しでもあわせるさ」


「……さっきまで、協調性は意識したことないとか、言ってなかったか?」


「それはまた別の話ですよ」




 ジト目でツッコミを入れる中年の奏者に、若い奏者は笑って答える。


 そこまで聞いていた花島社長が、これまでの意見を総括するように口を開いた。




「要するに、プロとの連携がほぼほぼアドリブになるのが常だから、素人の暁斗ちゃんを混ぜ込んでも、違和感はあまり発生しないだろうってことね?」


「そーゆーことです、社長さん。それに、ろくに練習時間をとれないプロを無理矢理引き抜いてぶつけ本番にするよりも、素人の彼を利用した方が最低限の練習時間もとれる。当然、欲を言えば本物のプロの方が良いんでしょうが、リスクを天秤にかけた結果、わずかに彼の提案の方に傾いたってところですかね」


「……」




 花島社長は、それでも迷っているようだった。


 理屈はわかったのだろう。しかし容認できない。


 プロの戦場に素人を巻き込んで良いのか、悩んでいるのだ。




 その責任の矛先は誰に向くのか? 本当に成功するのか?


 俺のした“提案”が最善。だけど、その中途半端な“提案”が彼女の心を縛り、結論を出せずにいる。




 だから、俺は自分の内面を今一度見つめる。




 なぜ、俺は素人のくせにプロが集まるこの舞台で、身の程知らずなことを言ったのか?


 突拍子もない提案をしてしまった、その真意を探るために。

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