第75話 芹さんの覚悟
「初めまして。私の名前、ご存じだったんですか」
芹さんは、驚いたように目を見開く。
対して花ヶ咲さんは、にっこりと微笑んで行った。
「はい。もちろん。私だけでなく、この場にいるほとんどの人が、あなたには注目しているはずですよ」
「どうして……」
「心当たりはあるのではないですか?」
そう言って、花ヶ咲さんは俺の方をちらりと見た。
だが、薄く微笑んだだけですぐに芹さんに視線を戻す。
「あなたは、有名人ですから」
「ご存じだったんですね。私がダン・チューバーでもあることを」
芹さんも流石に気付いたらしい。
花ヶ咲さんの意味深な視線が俺に向けられたから、確信に至ったのだろう。
状況としては、今話題沸騰中の芹さんに、一言話がしたくてやって来た一ファン。
だが、なぜだろうか。
花ヶ咲さんの纏う空気は、どこかピリピリしている。
ついさっき、コハルさんとアズキさんが俺に対して、羨望や憧憬の眼差しを向けてくれたからこそ、それと比べてわかった、些細な違和感。
単に、有名な人を一目見ようと来たわけではなさそうだ。
「最近、随分と報道されていましたね。つい先月までは聞いたこともなかったアイドルが、わずか一ヶ月で名を挙げて、アイドルの誉れとも呼ばれるSISに出場するまでに至った。うなぎ登りの知名度のアップで、羨ましい限りです」
「そ、そんな! アイドル総選挙でグランプリを取得した花ヶ咲さんに比べれば、私なんてまだまだで……それに」
芹さんは、少し恐縮そうな表情で俺の方を見る。
「今ここにいるのは、私の力じゃありません。ここにいる暁斗さんがいなければ、私なんて――」
「そうですね。あなたの力じゃない」
「!」
唐突にそう言い放った花ヶ咲さん。
芹さんは目を剥いて、彼女の方を凝視した。
花ヶ咲さんの表情はさっきと変わらない。
だが……あきらかな敵意が、琥珀色の瞳から滲み出ていた。
違和感の正体は、彼女の敵意だったのだ。
「あなたはただ、そこにいる彼の人気にあやかっただけ。それでプロのアイドルを名乗るなんて、片腹痛いです」
「それは……」
芹さんは、俯き加減に言い淀む。
言い返せないのは、彼女も理解しているからだ。
アイドルになったのは自分の力だが、この地位まで僅かな時間で上り詰めたのは、俺の助力あってこそだということに。
「あなたが、他人の力で勝ち取った地位にふんぞり返っているような性格ではないことは、わかりました。でも……私は、あなたのような方はプロとして認めません」
「じゃあ、どうしたら認めてくれるんですか?」
そう聞いたのは、芹さんではなく俺だった。
「あ、暁斗さん……」
「ワイバーン一撃マンさんですね、初めまして」
「その渾名を面と向かって言われるの、なかなか堪えますね……やっぱネーミングがダサすぎる」
花ヶ咲さんの口から出た渾名に、頬を引きつらせる俺。
「そうですね。どうしても、私に認めて欲しいのなら……明日のSISで、優勝することです」
SISでの優勝。
確かに、事前説明で優勝と準優勝の二つが用意されていると聞いた。
この有名アイドルがひしめく舞台で、トップに立てと言うのか……確かに名実ともにプロを名乗れるかもしれないが。
「なかなか、ハードルの高い条件ですね」
「これくらい乗り越えてくれなきゃ、私は認めません。まあ、私個人の問題なので、気にしなくても構いませんが」
あなたにそれだけの覚悟があるの? とでも言いたげに、芹さんを睥睨する花ヶ咲さん。
芹さんはしばらく黙っていたが……
「やります」
一言、覚悟を決めるようにそう言った。
「私は、ここまで暁斗さんに連れてきて貰いました。だから、ここから先……トップアイドルへの道は、私自身で切り開かないと。だから、私はこのSISで、あなたを越えて優勝します」
きっぱりと。
全てのアイドルが――ライバル達が集まる場所で、啖呵を切った。
「いい覚悟ですね。それが、口先だけでないことを祈っています」
花ヶ咲さんは、踵を返し、去って行く。
「自分のこと棚に上げて何言ってるのかな、花ヶ咲さん」「ほんと、自分だってLOPPS・グループの後ろ盾があるくせに」「なるべくしてトップアイドルになってるじゃん」「いいよね、才能のある人は」
周りから、ひそひそとそんな話し声が聞こえてくる。
それを背中に受けながら、花ヶ咲さんは去って行く。
その背中は――どこか小さく見えたのだった。
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