第28話 彼女の手をとって

「……アイドル契約を、解消するって」




 そう語る芹さんの顔は真っ青で。


 一瞬、俺はどうしたらいいか、わからなくなってしまった。




「と、唐突過ぎないですか? 一体何で――」


「なんとなく予想はしていましたけど……昨日の件がマズかったみたいです。ワイバーンのときから、立て続けに問題を起こしたということで、流石に事務所の方も看過できなくなったようで……」


「そんな……」




 昨日の事件。


 未然に防ぐことができたとは言いがたい。


 あくまで、彼女が辱められる寸前で助けられたというだけであって、不祥事と呼ぶには十分過ぎる事態だ。




 事務所側が何かしらの行動を起こすことは予感していたが……こうもバッサリ切ってくるとは。




「すいません。俺がもっと、早く駆けつけていれば」


「暁斗さんのせいじゃありませんよ。暁斗さんに、事を急ぎすぎと注意されたのに、強行した私の責任です」




 そう言って、芹さんは首を横に振る。


 それから、ぼんやりと空を見上げた。


 釣られて、俺も視線を上に向ける。




 DUUMの事務所に入っていろいろする前までは晴れていたのに、いつの間にか灰色の雲が地上に近い空に立ちこめていた。


 一雨来るかもしれないな。




「これから……どうすればいいんですかね、私」




 ふと、芹さんが呟いた。


 顔を上に向けているせいで表情は窺えない。


 ただ、彼女が今どんな心境でいるかは、小刻みに震える肩を見れば十分過ぎるほど伝わってきた。




「それは――」




 何を言えばいいのかわかんないけど、とりあえず何か言わなくちゃ。


 そう思い、口を開きかけた、そのときだった。




 暗雲立ちこめる空が、不意に明滅した。


 一瞬遅れて、ゴロゴロという腹の底を揺さぶるような音が響く。




「雷か。随分近いな」




 俺は、また空を見上げる。


 すると、頬にぴしゃりと冷たい水が弾けた。


 どうやら、雨が降り始めたらしい。




 今朝は天気予報を見る間も無く家を飛び出したから、当然雨具なんて持っていない。


 降り始めた雨は瞬く間に勢いを増し、雨粒がアスファルトを青黒く塗り替えていく。




「芹さん。一旦雨宿りしましょう!」




 俺は、芹さんに声をかける。


 が、芹さんは無言。


 まるで心がそこにないかのように、正面を向いて呆然と立ち尽くしている。




「芹さん、風邪ひいちゃいますよ!」


「……」




 今度は少し声を張り上げるが、やはり返事はない。


 まさか、今の雷で立ったまま気絶してるみたいな、コメディ展開じゃないような流石に。




 だが、そうでないとしたら逆に心配だ。


 要するに、俺の声も届いていないほどショックだってことだろうから。




「まあ、そりゃショックだよな。なんたって、人の迷惑を顧みずに、あんだけ詰め寄ってくるくらい、真剣だったんだもんな」




 俺は、小さくため息をつく。


 正直、今の芹さんは見ていられない。


 彼女にとって、アイドルがどんなに大きな意味を持つのか、知ったばかりだから。


 そして、その夢はもう俺の夢でもある。




 だから、俺に今できることは……




 俺は芹さんの方に詰め寄って、おでこにゆっくりと右手を持って行き――




「すいません芹さん……」




 俺は、できるだけ威力を押さえて、デコピンを喰らわせた。




「いっ!」




 ようやく我に返った芹さんが、一歩後ずさっておでこを押さえる。




「大丈夫ですか?」


「す、すいません。ボーっとしてました」




 そう答えた芹さんだったが、またすぐに黙り込む。


 また自分の世界に入ってしまう前に、次の行動に移ろう。


 


 俺は芹さんの手をとり、ぐいっと引っ張って歩き出した。




「うぇっ!? ちょ、ちょっと暁斗さん?」




 驚いた芹さんが、俺の背中に声を投げかけてくる。


 俺は歩みを止めることなく、彼女の方を振り返った。




「芹さん、教えて欲しいことがあります」


「な、なんですか?」


「AISURU・プロダクションの事務所の場所、教えてください」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る