第7話 穏やかな放課後

 その日の放課後。




 俺は、校舎から離れた日本家屋風の建物に足を運んでいた。


 旅館と呼ぶには小さいが、学校の敷地内に存在する建物としてはいささか場違いな雰囲気を放っている。




 磨りガラスの入った格子状の引き戸を開け、建物の中に入る。


 とたん、解放的な空間が目の前に広がった。




 日本家屋によくある縁側のような廊下が、中庭を中心に四角く取り囲んでいる。


が、それはただの中庭ではない。


 入り口から見て右手の部分は廊下ではなく壁になっており、いくつもの的がずらりと横に並んでいる。




 天井は存在せず吹き抜けになっていて、心地良い午後の風が俺の頬を撫でた。




 とんっ!


 そんな中、軽快な音が聞こえて、俺はその方向を見る。


 ずらりと並んだ的。


 そのうちの一つ――の少し下に、射ったばかりだと思われる矢が突き刺さっていた。




 言わずもがなな、ここは弓道場である。


 帰りのホームルームが早く終わったため、今日は一番乗りだと思っていたが、先客がいたようだ。




 ガラス越しに視線を滑らせ、射手いての姿を確認する。


 白い胴着と黒の袴が似合う、黒髪の少女が、ゆっくりと弓を下ろしつつため息をついているのが見えた。




 ――。




「はぁ……やっぱりダメだ」




 矢を射って、また失敗したらしく、少女は肩を落とす。




「先輩みたいに、かっこよく射れたらなぁ……」


「弦を引くとき、肘が曲がってるんだ。気持ち右腕を上げたほうがいいぞ」


「うわっ! せ、先輩!?」




 俺の接近に気付かなかったのか、少女は驚いて飛び上がる。


 ポニーテールに括った黒髪に黒瞳こくとう。健康的な肌を見せる少女の名は、神田瀬良かんだせら




 高校一年で、弓道部所属の後輩だ。


 人当たりがよく、さりとて気取りすぎず。何事も全力で打ち込む優等生。


 こんな彼女がいたら、正直嬉しいが――俺には手の届かない高嶺の花だ。




 だが、恋愛フラグとかは抜きにしても、この子は大切な後輩だ。


 俺の特技と言えば、空気と化すことと弓道くらい。


 だから、彼女には俺の教えられることをちゃんと教えてあげなければならない。




「ほら、もう一回やってみようか」


「で、でも……私先輩の前で情けない姿を見せたくないっていうか……先輩からしたら、下手クソすぎて笑えてくると思いますし」


「? 下手なのって、笑う理由になるの?」


「っ!」




 一瞬、瀬良は驚いたように目を見開く。


 それから、そっぽを向いてぼそりと言った。




「そ、そうですね。笑う理由には、な、ならないかも……?」




 後ろを向いているため表情は窺えないが、何やら耳の先が赤くなっているようだ。




「だろ? だから別にいいんだよ、下手で。まあ、瀬良は上達も早いし、すぐに上手くなるって」


「ほんとですか!」




 瀬良は嬉々として振り返る。




「ああ。真面目に頑張ってる証拠だ」




 俺は笑いかけて、下に置いてある矢筒から矢を取り出す。


 


「ほら。気負わずやってみよう。何事も経験あるのみ」


「は、はい!」




 瀬良は俺の手から矢を掠め取ると、弦につがえる。


 それから、俺達二人だけの午後が、ゆっくりと過ぎていった。


 ……だが、そんな何気ない穏やかな日々が終わろうとしていることに、俺はすぐ気付かされることとなる。

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