発見された日記帳
にわかの底力
発見された日記帳
十七日 七月
地球に何かかが接近してきた。それはアマチュア天文家たちが空に向ける望遠鏡はおろか、空軍のレーダーにもかからないような金属質の物体で、自由落下にしては奇妙な、やけに変速的に、不規則な軌道を辿って、やがて地上に向かって垂直に落下してきた。私はカリフォルニアからニューメキシコへ、軍の車輛で向かう羽目になった。かつてツングースカにも同じような、いや、そのときはこの数倍、数十倍はあったと思うが、それくらいのものが落ちてきたのだ。地球の引力に引かれ、大気との摩擦によって空中で水蒸気爆発を起こし、その時の衝撃波は地球を三周した。まさしく今、目の前にあるそれは、かつて私が幼い時に見た、脳裏をも焼き尽くす眩い閃光を放ったそれなのである。腹の底から湧き出る咳は、その興奮によるものか、はたまた周囲にたちこめる悪臭によるものか。なんにせよ、焼けこげた金属の匂いで暫くはロースジャーキーを食べられそうにない。
九日 九月
地方紙に取り上げられる程度の話題にしては、なかなか出来過ぎているが、それが民衆に漏洩することはないだろう。なんせ、情報の出入り口となる者は全て、このネバダの砂漠、辺り一面にパヤパヤ生えた、生きているか死んでいるかもわからん草木と煤けた土が視界の奥まで延々と広がる土地に、罪人として収容されてしまうのだから。ちなみに私の罪状は、戦前からロンドンで物理学を研究していた罪で、終身刑だ。アメリカ政府のまこと冗談でない冗談に付き合わされた私も、実はほんの少しばかり楽しみなのである。あの来る者すべてを寄り付かせぬ赤い印と鉄線の向こうには、いったいどのような知られざる真実が待ち受けているのか。
三十日 十月
私がここへ来た理由とは何だったか。銃声や爆発音が連日鳴り響く牢獄のような客室に、誰とも会わずに一か月閉じ込められていると、流石に気が滅入る。どうやら、私の仕事が来るまではあと半月かかるようだ。使い古したスポンジみたいなパンを、冷えたコーンスープに浸して食べる日々は、もう飽きた。重要な資料に退屈な日々の唯一の楽しみであるコーヒーをこぼして台無しにしてしまうというアクシデントに見舞われたときは、実に充実したひと時を楽しめた。
二十日 十一月
木製の扉が開かれて、胸に大量の勲章をぶら下げた大佐が、白衣姿の同じような気色悪い顔の怪しい宗教団体とともに入ってきた。彼らは科学とかいう、全く説明の難しい代物に魂を捧げている気味が悪い連中であるが、その俗物に浸りたい気持ちを理解できてしまう手前、彼らには同情心が芽生えてしまう。私も、その彼らの一員である。全く、同族嫌悪は恐ろしい。これからこの狂信者たちは我が忠実な下部となる、ナンバーワンからテンの職員たちである。何がともあれ、例のあれとの、実に数か月ぶりの再開は、実に感動的であった。ところどころ焙られた形跡があるが、あの時のまま、ほぼ完全な形で残っている。なんと美しい、機体なのであろう。
三日 三月
おお、なんと素晴らしい。これらは未知の金属でつくられていることを突き止めた。驚くべきことにこの金属の融点は優に一億ケルビンを超えており、水爆の熱でも溶けることはない。水爆とは言ったが、この金属の褒めるべきところはそこだけでなく、この世で最も優れた放射線遮蔽物質と謳われる鉛をも凌駕する比重を持ち、TNT三百キロトンの衝撃にも耐えられた。私は始め、この機体をいったいどのように浮かせることが出来たのか、不思議で仕方がなかった。X線での内部構造の解析は、この金属の透過率では当然実現しない。これは後々、パイロットに伺うしかない。
十五日 五月
船長と会うことが出来た。我々とは全く異なった未知のデオキシリボ核酸を有していることは一目瞭然であった。船長との会話は現時点では行えなかった。複数のスーツ姿のエージェントが片手に持つバインダーの上に、我が忠実な下部が行うようにとてつもない速さでペンを走らせているのをガラス越しに見せられた。中央に座る言語学者は、一枚の画用紙に黒いマーカーで無造作に線を引き、船長がそれを指さすと、エージェントたちが慌てた様子で録音機材をいじりだした。それは、この世のものとは思えないほど奇妙な光景であったが、同時に新たな世界の幕開けの瞬間に立ち会っているのだと、そう実感させられた瞬間であった。
八日 八月
長かった。ようやくこの時が訪れた。あの事件から一年経った。私は船長と面会するのだ。私は大佐に連れられて、一面白で統一された部屋に連れてこられた。中央のなんの変哲もない机の前のパイプ椅子に座る船長は、妙に息苦しそうに呼吸をしていた。私と、忠実な下部スリーとファイブを引き入れ、船長の前のパイプ椅子に腰を掛ける。私はインタビューを行う前に、何か飲みたいものでもないかと彼に尋ねた。彼は、唸るような低い声で、「いらない」と答えた。流暢なラテン語だった。この国の言語を全て覚えたのかと問うと、もっとも、意思疎通を図るうえで何かを媒介する時点で我々にとっては下級の文明であると言われた。その瞬間、彼に対し、私の人生全ての興味が注がれた。
十日 十一月
滑走路は物々しい雰囲気に包まれ、終わったばかりの先の大戦で拗らせた世界情勢の混乱の末に、再び大きな戦いが起こるのではないかと思わせる演出が施されていた。ソ連の偵察衛星に捕獲されたら核戦争の一歩手前まで来てしまうだろう。私の人生史上最も最高な一日の幕開けは、多数の軍用車両で彩られた。
滑走路の真ん中に、G-045が登場する。船長の機体が、あの事故以来、初めて飛行するのだ。この飛行実験には、大佐の部下が数名、船長と共に搭乗することになった。保安の為である。トレーラーの荷台に積まれた彼の機体は、ふわっと機体を水平に保ったまま地面を離れ、機体を前方に傾けてそのまま発進した。これが彼の言う、反重力場推進か。仕組みについて、彼が何も教えてくれない以上、私の想像の範疇で片付けるほかない。推進力に反物質か何かを用いているのか、私の仮説では、反物質は重力に逆らうものであるが、これを我が友、アインシュタイン博士に見せたらどのような反応をするのやら。その後、機体は安定した飛行に入った。彼の説明では、この機体はいくつもの飛行形態を有している。急激に高度を上げた後、一瞬で視界を塗り替える眩い閃光を放ったかと思うと、次の瞬間には機体は滑走路すれすれを浮上していた。あの閃光を見た瞬間、私の脳裏にあの残酷な風景がフラッシュバックした。ここに記すだけでも辛い。忘れもしない、あのフィラデルフィアで起きた惨劇。
十一日 十一月
あの夢を久々に見た。私の目の前には、軍港に浮かぶ一隻の駆逐艦、エルドリッジがあって、ジョン・トランプの合図とともに、アインシュタインが出力を上げる。するとバチバチと船体に閃光が走る。軍艦は後方から徐々に視界から消えていき、やがて目視では確認できなくなった。レーダーにも船が映らなくなり、実験は成功したかに見えた。途端に船着きばの水夫が発狂し、海に身を投げ込んだ。次第に、また一人、また一人と、船の知覚で作業していた海軍の関係者たちが、発狂しだし、凶器に歪んだ目で一心不乱に駆け回り、海へと身を投げる。やがて、何かが焼けるような匂いと共に船が現れ、私たちは慌てて船の中に駆け込むと、人々は炎に包まれ、発狂し、中には体が半分だけ船にのめり込んだ水夫や、頭が二つに分かれた水夫がおり、コックピットには誰もいなくなっていた。やがて、私の頭を割れるような頭痛が襲い、慌てて外へ出ると、私はいつも底知れぬ深淵に吸い込まれ、現実に引き戻される。そのとき、一瞬ではあるが、放電のスイッチを押すノイマン博士の興奮に満ちた顔が浮かび上がってくるのだ。私はそれに、毎回底知れぬ恐怖を抱き、枕が変色するほどの汗をかきながら目を覚ます。今回のそれは、今年で最も嫌な目覚めだった。
三十日 十二月
もう早いもので今年も終わりだ。私の心が疲れ切っているのがよくわかる。鏡を見れば、体は屍のように痩せ細り、歯ぐきから血が出て、油まみれの髪は一部分が抜け落ちて、不格好な円が頭に浮かび上がっている。私のそんな精神状態を案じてか、大佐は船長との任務外でのコンタクトを打診してきた。私は喜んでそれを受け入れ、早速彼が拘束されている部屋に訪れた。最初に質問したことは、彼はどこから来たのか。彼は、プラントと答えた。これは、天の川銀河の中に存在する宇宙文明の名前であると説明を受けた。どうやって、この星に来たのかと尋ねた。彼は、歩いて来たと答えた。そんなはずはなかった。彼は確かに、あの宇宙船に乗って、落ちてきたのだ。他の乗組員は死亡し、解剖された。しかし彼は、証言を改めない。彼が言うには、これを語るうえで、まず三次元的な空間移動、つまりユークリッド空間という概念を捨て去り、自分たちが高次元生命体であることを受け入れなければならないと言った。この天の川銀河は数ある宇宙の無限に広がる存在の、ある微小点であるとし、我々はそれを包括するさらなる次元からやってきた存在であり、私たちが光年という単位で計算する二点間距離を、ただの一点に見ることが出来るそうだ。さらに彼は、自らはホモ・サピエンスがさらなる進化を遂げた姿であると語っており、我々の遠い子孫であるが、そこに物質的な繋がりがないことを説明した。私たちからすれば、彼らはとてつもない未来から訪れたことになるが、同時に彼らは私たちと共に過ごしていることになると話した。時間反転対称性の破れはこの極微小な範囲で起こるものであり、私たちと彼らでは時間軸が異なる、もはや時間という言葉すら彼らは日常的には使わないという。私は彼らの文明について、更に多くの質問をした。彼らの文明はまだ戦争状態にあるそうだが、精神と物質が分離した世界において殺し合いは無意味であるそうだ。精神は宇宙の起源の前から存在するものであり、それらはもともと一つであり、今現在もそれは変わらないという。私と彼はそれでは同じなのかと質問したが、それは違うという。宇宙誕生によって生まれたのが精神の表層部、即ち私たちが人格と呼ぶものであり、根底部分で精神は繋がっているものであって宇宙に補完されているのだという。その繋がりが彼らのコミュニケーションツールなのかと質問すると、そうだと答えた。どうやら言語の発明が、我々の成長の促進を妨げる原因になっているそうだが、寧ろその言語によって、私たちは自己統一性が担保された数少ない集合生命体でいられるそうだ。精神は物質と分けて考えなければならず、物質に依存する存在は、より高次元な精神世界を体験するのは難しいのだそう。私たちに睡眠という機能が備わっているのは、精神を物質から分離させ、精神体となるためのものであると語る。それでは貴方たちはその精神体で、夢を見続けているのかと質問すると、静かにそうだと答えた。彼らは所謂、夢の世界の住民だそうだ。いや、この場合、夢の世界も現実の世界も区別がないのかもしれない。彼らの世界にも、規則性はあるようだ。彼らの世界も連続する存在のある一点に過ぎず、我々が物理法則に縛られているのと同様、ある法則の上に成り立っているという。話したいことが山ほどあったが、時間がきてしまった。
三日 一月
夢で彼らがコンタクトをとってきた。彼ら、そう、彼以外の他に、死んだはずの他の乗組員も私の脳内に直接話しかけてきた。脳が直接触られるような、何とも不快な感触だった。彼らは、私に伝えなければならないことがあるといった。彼らは、この星を護る為にこの地へ来たのだと。貴方たちにとって、この星は何なのかと問うと、彼らはこう答えた。「貴方たちは私たちの共通の先祖である」。彼らの話では、全人類が滅亡する結末が存在するのだという。それは、彼らや私たちと全く関係のない場所で起きることなのだが、この結末を避けることによって、彼らの新たな同胞が生まれ、やがて宇宙の存在の隅々にまで、彼らの土地を広げることが彼らの目標であるという。つまり、彼らは全宇宙の支配者になることを企んでいる。米ソの緊迫した情勢が、新たなる彼らの命運を左右するのだ。その為に、私の権威が必要だと彼らは語った。私は彼らに、宇宙の真理を見せつけられた。それは、宇宙の起源に由来するものである。あらゆる知識が鉄砲水となって脳に押し寄せ、頭が割れてしまうような痛みに襲われた。目が焼ける!大規模な構造が、網目状の目の玉のような光輪が、そして、私の身体はついに自由の身となり、私と繋がる意識の集合体に飲まれ、ついに私は、完全な生命体となるのだ。私はそうだ、存在し得ない無限を、この身をもって体験し、彼らとともに、銀河と共に、文明と共に、そして、宇宙と共に、在り続けるのだ。
そうだ、この世の全ては自発的に発生したものであってそこに誰の意思もなくただただ無限が続いているのみ。我々は存在自体偶発的なものであらなくてはならず、我々の存在意義が明確に存在するのであればそれは我々が生み出した幻影にすぎない。それは宗教である。それは希望である。我々は我々という存在が超越的存在の確固たる意志の下に誕生したものであると信じることで我々という存在に意味を与えようとしたが、それは何かを生み出すことはなく、寧ろそう信じることによって我々はこの宇宙の絶対的領域と無縁の生活をおくれてきたのだ。これは素晴らしく、美しく、無慈悲で、凄惨で、冒涜で、忌々しく、されどやはり美しい。答えは単純だ。現在のコンピュータが恐らく数億年かけて導き出すこの宇宙の答えは
破られたページ
どういうわけだろう、この日記は、私の記憶とはまるで異なった人物の記憶を宿している。私はニューヨーク市街に住まう記者であり、明らかに私の筆跡で書かれたこの日記は、私の持つ記憶ではない。この日記がいつから書かれたものであるか辿ってみると、今から二十年前から始まっていた。過去に何があったのか。私はこの真相を確かめるべく、とある人物にコンタクトをとった。退役軍人である彼は、事故で右足を失っている。玄関で快く私を迎え入れてくれた彼は、私の目を見るや否や、表情を代え、なぜ貴様がここにいる!と声を張り上げた。私は彼とは初対面のはずであり、その発言の意図を問おうとしたが、彼は床に転がり、何かをぶつぶつと語っていた。その一部、聞き取れた部分をここに書き記す。
「因果だ。これは因果だ。そうせざるを得ないものがあった。A119計画を直ちに中止せよ。これは命令だ。」
私はすぐに救急車を呼び、彼は病院に運び込まれたが、翌日彼は、精神病棟でピストル自殺を行った。彼の身に何が起きたのか、私の身に何があったのか、生き証人がいなくなってしまった今、その真相を辿ることはできない。
発見された日記帳 にわかの底力 @niwaka_suikin
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