第十六話 愛

 レイス様に……なぜ惹かれたのか?


 唐突に投げかけられたデカント様の問いに、私は答えることができずに黙り込んでしまう。


 どうしてレイス様を好きになったのかなんて、今まで考えたことすらなかったから。初めて誰かからそこを突かれたせいか、突然胸に棘が刺さったような感覚に襲われる。


 私は占い師として、色々な人と向き合ってきた。


 何を考えているのか。

 何を悩んでいるのか。

 本心はどう感じているのか。


 目の前の相談者に対して様々な問い掛けを駆使し、時には揺さぶりをかけて本心を見抜くようにして、解決出来るよう必死にやってきた。


 でも、いざ自分の本心のことになると……全然わからない。他の誰よりも自分と向き合えるはずなのに――。


 デカント様が、なかなか返答を見つけられない私から視線を外し、レイス様が眠るベッドに腰掛けると、遠い目をして窓の外を眺めた。


「レイスは、昔から全く変わらないな」


「昔……ですか?」


「ああ」


 デカント様はそう短く返事をすると、過去にあった“ある出来事”について語り始めた――。

 

 七年前、歴史の中でも類を見ない大雨が国を襲った時があっただろう。


 川が氾濫して大洪水が発生し、王宮にいた私達も家族と共に急いで車に乗り込み、緊急避難場所へ向かっていたんだ。

 その時、レイスが何かを見つけたように外を凝視しだしてな。


「レイス、どうかしたのか?」


「お兄様……あれ」


 レイスが指差した先に視線を送ると、激流の川に流される幼い少年が、手足をばたつかせて溺れかけていた。


「あ、子供が!」



 私がそう声を漏らした途端――レイスはすでに走行中の車の扉を開けて飛び降りていた。



 父上が血相を変えて窓から身を乗り出し「レイスよせ、もう間に合わん!!」と声を荒げても、当時から異常に俊足だったレイスは遥か遠くへ行ってしまい、雨風の影響もあって父の声は届かなかった。


 目を疑うような光景に、私は全く動けなかった。


 その後、レイスは無事に少年を助けることに成功した。父上はものすごい剣幕で叱りつけたのだが、その時レイスが「ごめんなさい……」と言った後に続けた言葉は。


「気付いたら……体が勝手に動いてました」


 そう囁いたレイスに、私は凄まじい劣等感を感じてしまった。


 弟は自分に“ないもの”を彼が持っていた。正直、こいつの方が王に向いているのではないかと、感じてしまっていたんだ――。


「アイシャ君と婚約したのは“そういう男”なんだ。愚直と言えるほど周りが見えなくなる、馬鹿な奴なんだよ」


「そうだったのですね……」


 そんな話……初めて聞いた。


 最近だけど、幼い頃の話はお互いたくさんしたはずなのに。汽車を追いかけてきていた時の彼の顔が、脳裏に蘇ってくる。


「そしてアイシャ君は今、どうしてレイスが好きなのか分からず悩んでいるのだろう。どうかな?」


「……はい」


「そうか。だがそれは仕方のないことだ。なぜなら君はレイスを好きなのではなく……“愛している”からだ」


 ……愛……?


「これから話すことは私の持論だから、軽く聞き流してくれて構わない。


愛とは、見返りを求めない自己犠牲だ。


君は、レイスから散々なことをされたにも関わらず、再度婚約を受け入れた。そして傷付いたことに対する慰謝料を自ら要求することもなく、こいつの的外れな贖罪に対して我慢し、耐えようとしている……これを“愛”と呼ばずして何と言うのだ?」


 見返りを求めない……自己犠牲。


「人生は羅針盤のない大航海だ。色々と失敗して学べば良い。まだまだ二人とも未熟な者同士、同じ方角を向いて共に舵を取るんだ。大丈夫……顔を上げて見渡せば、君達の味方になってくれる者は必ず近くにいるのだから。私が保証してやる」


「はい……ありがとう……ございます」


 ハンカチで溢れる涙を拭きながらお辞儀をすると、デカント様は背筋を伸ばす仕草をした。


「さて、要求されている慰謝料についてだが、困ったことに弟には支払能力がない。ということで、オリヴィアには私が代わりに支払おう。う~ん、しめて……金貨千枚といったところか」


「デ、デカント様!? 何をおっしゃって――」


 慌てた私の言葉を遮るように、デカント様が手を挙げる。


 デカント様は王室での執務を全うしながらも、私営で軍事的産業施設をいくつも所有している。


 国王が慰謝料を肩代わりすると、それはおのずと公金から支払われることになってしまう。デカント様はオリヴィアの慰謝料を、完全に私財から出費するおつもりらしい。


「君とオリヴィアが大親友というのなら、私とレイスは“血を分けた兄弟”だ。こいつの痛みは、兄として分かち合わなければならない。このことは他言無用で頼む。……無論レイスにもな。知られてしまって『余計なことをするな!』と騒ぎ立てて来られても面倒だ」


「し、しかしデカント様。お言葉ですが、金貨千枚というのは計算が合わないように思えます……」


 そう恐る恐る意見した私に対し、デカント様はあどけない笑顔を見せてきた。


「はははは、いやはや足し算を間違えてしまったか! ではここで一つ、良いことを教えてやろう。


銀の像を傷付けてしまったのなら、金の像を新品で買って返すんだ。


相手からの要求以上のものを支払うのが“代償の鉄則”だ。覚えておいて損はない。まぁ、アイシャ君がこの知識を使う時が来るとは全く思えんがな」


 脱帽してしまった私は何と感謝の言葉を返そうか、どれだけ考えても「……はい」と発することしか出来なかった。

 すると、デカント様が病室の壁に掛けてある時計を見るや否や「あ、しまった」と呟き、急に立ち上がった。


「長居し過ぎたようだ……君とはもう少し話したかったが、私はこれで失礼するよ。邪魔をしてすまなかったな」


 デカント様が、背を向けらながら手を振って病室を退出した瞬間――開いた窓から風が吹き込み、真っ白なレースのカーテンがゆるりと揺れた――。

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