第十七話 望み

 緊張がほぐれて再び椅子に腰掛けた私は、ぐったりと天井を見つめた。


 まだ眠りにつくレイス様を覗き込むと、安らかな顔をしている。


 本当に世話の焼ける人。色んな人を巻き込んでは、何度も謝ってきたんだろうな。


 いつになったら懲りるんだろ。はたから見れば「苦労するのは目に見えてるから辞めておけ」とか「もっといい男はたくさんいる」とか言われそう。


 それでも、世界に数いる男性の中で、私は彼と出会った。


 猪のように直進ばっかりして、壁を越えるのではなく粉砕するような彼と。


 そんな彼と、同じ方向を向いて歩く。


 上手く……いくのかな。


 私も、もっと強くなれたらいいのに――。


 しばらくすると、レイス様の目がゆっくり開いた。


「……アイシャ……?」


 ほっと胸を撫で下ろした私が、両手で彼の手を握る。


「レイス様……」


「俺は……いや……どこだここは?」


 虚な目をしながら彼が体を起こそうとしたが、私は彼の肩を抑えるようにして止めた。


「いけません……まだ安静にしていて下さい。ここは国立病院の病室ですわ」


「な、病院だと!? どういうことだ!?」


「え……?」


 もしかして、レイス様の記憶飛んでる? 確かに、あんな城壁砲のような掌底なんか受けたら無理もないかも。


「レイス様は、どこまで覚えていらっしゃるのですか?」


 そう訊くと、彼は顰めっ面をしながら額に手を添えた。


「う~ん……オリヴィアと口論していたはずだ。確か……『時間は優秀な憲兵ではない』と言われたところまでは、ハッキリと記憶しているのだが……」


 ちょうど慰謝料の話が出てくる一歩手前。まぁ、なんて都合の良い記憶喪失なんでしょう。


「アイシャ」


「はい」


「全てオリヴィアの言っていた通りだ。俺は……何も分かっていなかった。俺がしたことは許されることじゃなく、謝罪したところで何にもならないんだよな」


 頷くこともなく黙っていると。


「もう『許して欲しい』なんて言わない。一度でもアイシャを傷付けてしまったのは……取り返しのつかないことだ。俺はそのことを忘れずに、自分のしたことを一生背負うよ」


 そう言ったレイス様の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。私は握っていた手に力を込めて、彼の瞳を見つめた。


「もう謝らないで下さい。世界中にいる全ての人が敵になったとしても……私は貴方の味方ですから」


「アイシャ……」


 しばらく泣き続けるレイス様が落ち着くのを見計らい、私は口を開いた。


「そういえば……数時間前にデカント様がお見えになられましたわ」


「な、兄上が!? しまった……俺は兄上と約束があったんだ」


 デカント様と会話したことをレイス様に告げると、彼は真剣な面持ちで終始黙って聞いていた。もちろん慰謝料の件は伏せた――。


「――そうか……哲学者の兄上らしい話だな。アイシャはそれを聞いて、どう感じたんだ?」


「えっと……私は愛についてなんて考えたこともなかったので、そういうものなのかな、と」


 私を見つめていた彼は俯いて、シーツの上に乗せた手を強く握りしめた。


「俺は……正直納得出来ない。愛が“自己犠牲だ”なんて残酷過ぎる。もしそれが正しいなら“幸せにして欲しい”と願うことも出来ないじゃないか」


「そう……ですね」


「俺はこれ以上、アイシャに自分が犠牲になるような考え方を持って欲しくない。アイシャはもう充分、色んな人を幸せにしてきたよ。だからこれからは、少しずつでもいいから……もっと自分を愛して欲しい」


 ふと――彼は顔を見上げると、私の瞳をまっすぐに見つめてきた。


「アイシャは今一番何がしたい? 何が望みなんだ? 何でも言ってくれ」


 私の一番の望み……。


「……私は――」


 レイス様は私の願いを聞いた後、何も言わず静かに微笑んだ――。

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