第3章 あなたに向けた、私だけの魔術
第10話 自覚する想い
「ひゃー!」
私は干し草を布で覆ったベッドに倒れ込んだ。久々の柔らかい寝床。これは歓声を上げてしまうのも当然だ。
「はしゃぎすぎ」
「これが、はしゃがずにいられるものですか」
正体不明の魔術師との遭遇の後、私たちは山のふもとにある村へと立ち寄った。レンが疲れ切った私を気遣ってのことだ。それと、ちょうど食料が尽きかけていたこともある。
国の貨幣が通用したのは幸いだった。通商を好まない村だったら、良くて物々交換だ。悪い場合はよそ者として石を投げられることにもなりかねない。
レンが村長に手渡した数枚の硬貨で、納屋として使われていた小屋は簡易の宿に早変わりした。さらに、温かい豆入りのスープと、完全に固くなる前のパンまでご馳走してもらった。
旅の疲れを取るには充分すぎるもてなしだった。たぶん、お金以外にもレンが資格証持ちだったこともあると思う。特に外との関わりのある場所では、身分の証明はとても大事なのだ。
「そして、お行儀悪すぎ」
「仕方ないでしょー」
ベッドに寝転がったまま革靴の紐をほどき始める私に、レンが非難の声を向けた。そんなことは気にかけず、そのまま蒸れに蒸れた足を開放する。裸足に室内の空気が気持ちいい。
「あ、私の素足ちょっと見たでしょ。いやらしい」
「あー、もう」
こちらを向かないまま、レンはベッドの端に腰掛ける。即席の宿には私が真ん中を占拠した一台のみだ。それなりに大きいものの、二人の距離はそう遠くない。
「調子狂うな。そんな態度、想定していなかった」
「それはどうも」
実は、私は今の自分に少し満足している。もちろん、さっき散々な目にあったし、酷いものを見た。でも、本音も言えずに我慢するだけの数日からは解放された。自分の意志で解放したともいえるかもしれない。
「約束通り、全部話すよ」
「うん」
レンは、これまでより穏やかになっているような気がする。気を抜いたのか、張り詰めることに疲れたのか、そこまではわからない。だから、今から彼の話を聞こうと思う。
「どこから聞きたい?」
「銀の魔女……ううん、私を欲しいと思う理由を、全部」
「そこから?」
「うん。だって、ああいうこと、好きじゃなかったでしょ?」
「まぁ、そうだね」
心底意外そうな様子だった。たぶん、人を殺したことについて問い詰められると予想したのだろう。私自身が冷たい人間になったのかもしれないけど、今となってはさほど重要なことに思えなくなっていた。
だから、その返事だけで充分だった。それよりも、本題だ。
「じゃぁ、教えて。隠したり嘘はだめだよ」
「わかってるって」
お互いの位置から見えなかったけど、レンが居住まいを正したのがわかった。私も寝転がった姿勢は崩さないままで、少しだけ緊張する。
「俺はさ、王になるはずだったんだ」
「王って、王様?」
「そ、国で一番偉い人」
唐突すぎてよくわからなかった。王様って、都にあるお城に住んでいる偉い人。私みたいな田舎者にとっては、おとぎ話や年号の変化でしか関係しないような存在だ。
話を理解できていない私をよそに、レンが言葉を続ける。
「俺を育ててくれた人、ジンさんっていうんだけど、その人から教わったんだ。昔、王の血族が乗っ取られたんだって」
「乗っ取られたって、じゃあ。今の王様は偽物ってこと?」
「そういうことだね」
「じゃぁ、レンは本当の王様の子孫ってこと?」
「そういうことだね」
レンを初めて見たとき、おとぎ話の王子様のようだと感じたことを思い出した。私はなんだか恥ずかしくなって、寝返りを打つふりをしてレンに背を向けた。照れ隠しと同時に、頭に浮かんだ疑問を言葉にする。
「乗っ取るだなんて、そんなことできるの? 他の人は王様のこと知ってるはずなのに」
「大規模な魔術で人の心を操作したんだろうって、ジンさんは言ってた」
「魔術……」
魔力は誰もが持ち、精神と繋がっている。人の精神で魔力を操るのが魔術ならば、その逆という理屈は考えられる。ただ、そんなこと、並の魔力で実現できるとは思えなかった。
そんな理不尽な行為ができるほどの魔力を持った存在として考えられるのは、ひとつだけ。
「それって……」
「うん、そういうこと。だから、銀の魔女を探して、君を見つけた」
「銀の魔女で何をするの?」
「世界を本来の姿に変えるよ。戻すといった方がいいかもね。そして、俺は王になるよ」
「そっか……」
背中越しに聞こえるレンの声は、決意に満ちていた。私にはそれがとても哀しいことに思えた。
誰かに教えられたことに従って生きるにしても、あまりにも大きい。レンひとりに背負わせるのは、辛すぎるのではないか。そして、本人はそれに気づいていないのだ。
「じゃぁ、次の質問。私を突然さらったのはなぜ? 今度は全部答えて」
「あー、うん。在野の魔術師と戦ってた」
「在野って資格のない人ってこと? 昼間の、みたいな?」
「そう。君の村ではないけど、村を襲おうとしてたから」
「それで、銀の魔女になる直前になったの?」
「まぁ、そういうことだね。ほら、魔術を使う者として、ああいうのは許せなくて……ね」
言葉の最後は消え入りそうな声だった。どう考えても照れていた。ついさっきまでとの差に、私はうかつにも吹き出してしまった。
「笑うなよ」
「ごめん。素敵だと思うよ。王様になりたいより、私は好き」
「冗談はよしてくれよ」
これは本音だった。
真面目で、不器用で、誠実でいたいのにそれを隠す。運命に従っているつもりでも、感情には逆らえない。私はいつの間にか、そんな矛盾だらけのレンに惹かれていたらしい。
「ねぇ、提案なんだけど」
「ん?」
「勝負しましょう」
「勝負?」
「私が十七歳までに、レンを愛したら私の負け。レンが私に惚れたら、私の勝ち。で、負けた方は勝った方の言うことを聞くの」
「なんだよそれ」
レンの力になりたいと思う。でも、先祖からの運命に縛られるのは気に入らない。だから、勝負だ。なんとかして、レンが自分の道を自分の意志で決められるようにしたい。その結果、王様になるのなら王妃にだってなってやろう。
私はベッドから体を起こし、レンに向き直った。わずかに夕日が入る中、紺碧の瞳と視線が交わった。
「それともうひとつ。私の名前を知ってる?」
「君の名前? 知ってるよ」
「ううん、私は『君』じゃない」
「あ、そうか」
「私の名前は、ユリーナ。レンは特別に、ユナって呼ばせてあげる」
「うん、改めてよろしく。ユナ」
完璧な回答だ。私は満足し、頷こうとした。
その瞬間、レンの身体が大きく吹き飛ばされた。
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