第8話 我慢は限界
まずい。これはまずい。ふたつの意味でまずい。
まずはこの速さだ。薄く開けた目には、流れるような景色が映る。まるで鳥にでもなったような気分だ。いや、鳥がなにを見ているかなんて知らないけど、そんな気がするくらいの速さだ。
でも、私が混乱している理由の大半を占めているのは、もうひとつの方だと思う。
男の人に抱きかかえられている。力強い腕と、思っていたよりも厚い胸板に挟まれているのだ。着衣越しにほんのり体温も伝わってくる。
「あわわわわわわ」
こんなこと初めてなのだ。口から間抜けな声が出て止まらないのも仕方がない。あまりにも恥ずかしくて、必死に口を閉じた。
「危ないから、動かないで」
「はははははは、はい」
いつもなら、ちょっとは反抗する言葉が出てくるはずなのに、今は大人しく従ってしまう。大変悔しいけど、鼓動がおさまらない。
「こういう時こそ、落ち着いて」
動揺に動揺を重ねている私に対して、レンはいつも通りだ。むしろ冷静なくらいだ。
あれ、なんかおかしい。私はその違和感に耐えられず、そっと彼の横顔を盗み見た。
「あっ」
思わず声が漏れた。
普段から浮かべていた軽薄にも見える微笑は消え、冷たく鋭い眼差しがあった。少なくとも私の前では、一度もしたことがない表情だ。
それが何を意味するのかはわからない。そして、良くも悪くも、私の高揚は一気に大人しくなった。この先にはきっと、彼にこんな顔をさせるものがあるのだ。
私は改めてレンに身を任せ、周囲の状況をうかがった。目を閉じていても、様々な情報が手に入る。
人間が出せるとは思えない速さは、魔術によるものだった。レンの身体中に魔力が行き渡っているのがわかる。外に出さず、自分の中に使う魔術もあるみたいだ。
そして、向かう先へはもうそろそろ到着するはずだ。徐々に頬に当たる風が弱くなってきた。なにより、レンの魔力が揺らめいて感じるのだ。
彼は緊張している。魔術師にとって気持ちを落ち着けるのが重要と言っていたのにもかかわらず、だ。
問いたい気持ちをぐっと抑えて、私は彼の腕の中で再び目を閉じた。
「到着」
私の体がそっと下ろされる。当然のようにまったく見覚えのない景色だ。たぶんここは小高い山の中腹くらいだろう。
「ここは?」
「大人しくしててくれてありがとう。ここで待ってて」
私の質問を無視したレンは、視線を下に向けた。
「あれは、村?」
山のふもとあたりに、建物が点在している。私の住んでいた村よりも少しだけ規模が大きい。
村の周りには、かなりの広さの畑が広がっている。何を植えているのかまではわからないけど、特に変哲もない農村に見えた。
「待っててって、なにがあるの?」
「まぁ、野暮用ということで」
レンは後頭部に手を当て、軽薄に見える笑みを浮かべた。ただし、目だけは笑えていなかった。
走り出す前、レンは魔術師だと言った。私を狙っているわけではないとも。それが本当なら、わざわざこの村に来た理由がわからない。
「説明して。後で話すって言ったでしょ?」
「魔術師がいる。危険だから君はここで待ってて。すぐ戻るから」
「事情ってそれだけ?」
「まぁ、うん」
あまりにも説明になっていない言葉。私は心底腹が立った。
ここまで付き合わせておいて誤魔化すなんて許せない。私の生活をめちゃくちゃにしておいて、自分は隠し事なんて、認めてあげない。
「だめ」
「だめって言われても」
困った様子を見せつつも、レンは周囲への警戒を怠っていない。つまりは、危険なことが差し迫っているということだ。
「ちゃんと話して」
「君には関係のないことだよ」
関係ない、だって。その一言が最後のひと押しになって、私の感情が弾けた。
「関係ないってなによ! 私を散々巻き込んでおいて、なんにも言わないから聞いているのよ。肝心なところで黙ってごまかして。これまで本心話したことある? 私、じゃなくて銀の魔女が必要な理由だって中途半端で、レンが何を欲しがっているのかさっぱりよ。そもそもさ、私に好かれたいんでしょ? じゃあなんで私が歩み寄ろうとしてるのよ。しかも、言いたくないことは聞かないように気を遣ってだよ。もうだめ、もう我慢できない」
「ちょっ……落ち着いて」
レンこちらに一歩近づく。だから私は一歩下がった。
彼が心配していることが手に取るようにわかる。感情的になればなるほど、体から溢れだす魔力は止まらなくなるのだ。
「さぁ話して、全部話して。レンが魔術師になった理由から、今何をしてて、これからどうしたいのか、はい、今、全部」
「いや……」
「いやって、嫌なの? そうなの、そうなんですね」
「そういう意味じゃなくて」
考える前に言葉が出る。こんな感情、久しぶりだ。自分で自分を滑稽に思うけど、止められる気がしない。
「わかった、もういい。もう問い詰めない」
「あぁ、うん」
露骨に安心した顔をするレン。でも、あなたが思っているほど、私は聞き分けのいい子じゃない。
話す気がないなら、話すしかない状況を作ればいい。私は自身に巻き付けた外套を脱ぎ捨てた。
「な……」
「魔術師がいるんだよね? レンほど感知できなかったとしても、私が全力で放出したらどうなるだろうね」
これは完全な脅しだ。どこかにいるらしい魔術師はもちろん、魔物だって気付くだろう。自身を危険に晒してもいいと思えるほど、私は怒っていた。なぜこんなに腹を立てているか、自分でもわからなくなってきた。
「わかった、話すから」
レンが折れた。彼の碧眼には先ほどまでの緊張に加えて、恐れや怯えといった感情も見える。
「本当ね?」
「うん」
「そう、わかればいいのよ」
私は少しだけ満足をして、大きく息をついた。気持ちが落ち着くのにあわせて、自然と魔力も落ち着いてくる。
「ほら、これ着て」
「うん」
手渡された外套を再び体に巻き付ける。その直後、私はよくないものを感じてしまった。
「ねぇレン、これって」
「たぶん、その通り」
私たちの周囲を、魔物とは違うギラギラとした魔力が取り囲んでいた。
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