第2話 金髪の魔術師
何が何だかわからないのに、さらにわけがわからない。起きたら外にいるし、縛られた手足は痛くなってきたし、髪はサラサラだし。これはちょっと嬉しい。いやいや、そういう話じゃない。
問題は、この男だ。自分を誘拐した犯人を愛せだなんて、あまりにも気に入らない。私は精いっぱいの勇気を出して、睨みつけた。
「愛せって? 誘拐犯を?」
「酷い言いぐさだな」
「でも、そうでしょ?」
誘拐犯は困ったように笑って、後頭部に手をやった。そんな姿も、見た目だけは様になってしまう。
不安や恐ろしさは消えないけど、段々と腹立たしさが勝ってきた。私は何の理由があって、こんな目にあっているのだろう。
「ねぇ、なんのつもりか知らないけど、この状態であなたを愛せると思う?」
「まぁ、そのうち」
「一生無理よ。むしろ嫌うわ」
私は意図的に強い言葉を使った。この人が本気で私に好かれようとしているなら、きっと反応があるはず。せめて手足の拘束はなんとかしたい。このままじゃ、逃げるにも逃げられない。
「それもそうか。よしわかった、順に説明する」
「その前に、これ、ほどいてよ。痛いの」
私は眉を寄せたまま、金髪男の目を見つめる。ここで弱みを見せなければ、きっと何とかなるはず。
「逃げない?」
女の足で逃げたところで、意味のないことくらい理解できる。この人は魔術師なんだ。私を捕まえるなんて簡単だろう。
「逃げない。逃げたところで、でしょ?」
「まぁそうか」
男はひとつため息をつくと、私の手首を縛る紐に手を伸ばした。近くで見ると、ますます美形が目立つ。危うく目が奪われそうになってしまった。これは危ない。
「で、俺が君をさらってきたのは、ふたつ理由がある」
ようやく手足が自由になり、金髪がこれまたようやくまともなことを言い始めた。赤くなった手首をさすりながら、私は次の言葉を待った。
「ひとつは、さっき言った通り。君に愛されるため」
「あー、ええと」
改めて真顔で言われると、視線を合わせるのが難しくなってしまう。男の人にこんなことを言われるのは初めてなのだ。
「えっと、なんで私? こんな田舎娘じゃなくても、他にいるでしょう。あなたみたいな人なら誘拐なんてしなくても」
すごい早口になっているのが自分でもわかる。誘拐犯にこの態度、情けなくて恥ずかしい。
「あー、そういう話ではなく」
「ではなく?」
彼はまた、困ったように後頭部へ手を当てた。癖なのかもしれない。
「待った。話は後で」
「へ?」
これまでの軽薄とも思える態度から一変、金髪男は真剣な表情を浮かべた。
「魔物が来た。探知の魔術に引っかかった。三匹」
「魔物って」
「さっきのアレと同類だと思っていい」
さっきは夢だと思っていた、得体のしれないモノ。獣のようだけど獣ではない何かを、この人は魔物と呼んでいる。その魔物がまたやってくる。それも、三匹も。寝巻のままの背中に、冷たい汗が伝った。
「大丈夫。俺が守る。それがふたつ目の理由」
彼はささやくように軽く告げると、身にまとっていた外套を私に巻き付ける。最初の印象よりも、広い肩幅をしていた。
「それ、取らないでね」
「え、あ、うん」
なんとか頷いたのを確認すると、金髪の男は私から少し距離をとった。巻き込まないようにするためだろうかと思いついたところで、黒い影がみっつ、彼に迫った。
その後はなんというか、凄かった。私にはどうしても、そうとしか説明できないのだ。
鋭そうな魔物の牙や爪を、軽やかに避ける。ゴワゴワしている体毛ごと魔術の刃で切り裂き、光で焼き捨てた。
どうやったらあんな動きができるか、私にはさっぱりわからない。魔術師はみんなこういうものなのだろうか。
「よし、終わり」
ちょっとした用事を済ませたくらいの気軽さだった。うん、誘拐犯だしいろいろと気に入らないこともあるけど、凄い魔術師であることは認めないといけないみたいだ。
「思ったより反応が早かったね。急がないといけない。説明は移動しながらで」
「移動って」
「行くよ」
有無を言わさぬ様子で、魔術師は私の腕を掴んで立ち上がらせる。
「ちょっと、待ってよ」
「だめ。魔物が集まりつつある」
「ねぇ、なんで」
「動きながらで」
私の言葉は低く強い口調で遮られた。
「ううっ……」
どうしてこんなことになったのだろう。せっかくの誕生日、どこなのかもわからない場所で、知らない男に叱られている。無理した空元気も、そろそろ限界みたいだ。
涙が目に留まる感覚が、悔しくて、不愉快で、悲しかった。
「ああもう、わかったよ。無理強いしたのは謝るよ。ちゃんと話すから、今は移動してくれ。ほら、これ履いて」
魔術師が、編上げ式の革靴を差し出す。そういえば寝巻きのままだ。裸足で森の中を歩けるはずもない。
「うん……」
優しくされたのがちょっとだけ嬉しくて、なんか腹が立つ。私は垂れそうになった鼻をすすり上げながら、慣れない革靴の紐をなんとか結んだ。いつもの木靴と違って、しっかりと足を守ってくれそうな気がした。
「とりあえず、こっち」
魔術師の指示に従って、森の中を進む。逃げる気力なんて、私の中にもう残されていなかった。
「魔物は魔力を食って生きてるんだよ」
「は?」
突然口を開いた魔術師は、よく分からないことを言った。これが説明ってやつなのだろうか。
「普段は自然にある魔力を食ってるんだけど、たまに強い魔力を持つ人間がいてね、それに引き寄せられる」
「それって」
「大抵の魔術師は、それだよ。だから自衛も兼ねて魔術を覚える」
その言葉が本当なら、私は全く関係がないじゃないか。意味もわからず連れ去られ、危険に巻き込まれてる。何が愛するよ。
「なにそれ、私関係ないじゃない」
「いや、今魔物が狙っているのは君」
魔術師がこちらを振り返る、そしてその手のひらには魔物を焼き尽くした魔術の光。
「えっ」
あれ、私殺されるの?
誘拐犯ではあるけど、そういうことはしない人だと思ってた。なぜ油断してしまったか。
「伏せて」
言い終わるより前に、私の頭が押さえつけられる。被っていた外套が頭から落ち、後頭部で熱気を感じた。
「ね? 狙われてるでしょ?」
「あ、うん」
「今の君は魔力の塊。奴らからしたら、とんでもないご馳走なんだよ」
「ご馳走って……」
「魔力を遮断する素材でできているはずの外套を身に着けていても、あふれ出るのを隠しきれない。魔物が襲ってきたのは、そういうことだよ」
また、見慣れない銀髪が視界に入る。十六歳の誕生日、私に何があったのだろう。
「だから、俺が来た。君を守って、君の愛を手に入れるために。ユリーナ・サクシャ」
私を抱き寄せたまま、金髪の魔術師は本日何度目かの恥ずかしいことを言った。
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